相手は横浜の暴走族50人! 愛車のシャコタンマーバンで決死のカーチェイス!-連載:TAIGA晩成-

相手は横浜の暴走族50人! 愛車のシャコタンマーバンで決死のカーチェイス!-連載:TAIGA晩成-

  • WANI BOOKS NewsCrunch
  • 更新日:2022/01/15
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死ぬほど退屈な仕事とイケイケのプライベート

短い大学と書くように、短大の2年間はあっという間だった。卒業すると同時に実家に戻り、ごく普通の会社に就職し、サラリーマンの道へ進んだ。

就職先は、建築の仮設資材を製造販売する会社。子どもの頃からお世話になっていた、母方の知り合いのおじさんの紹介で就職が決まった。

どうしてもやりたい仕事ではなかったが、特にやりたいことがあったわけでもなかったし、コネで入れるなら楽でいいと思っていた。

本社は大阪の心斎橋にあったが、最初の研修は石川県能登半島にある工場で、配属されたのは実家からも比較的通いやすい横浜の綱島にある支店。

最初に覚えた仕事は単純な倉庫作業だった。建築の仮設資材として使うネットやメッシュシートに親綱、商品の名前、寸法を頭に叩き込まれ、それをトラックに積み込んだ。夕方になると、現場から回収されてきた資材を倉庫に戻す日々。

倉庫の仕事を一通り覚えた同期たちは、配送トラックの運転手や、営業に配属されていった。

月曜から土曜まで、与えられた業務をきっちりこなして、自宅に帰ったらテレビを見て寝るだけの生活。月曜になったら、また満員電車に揺られて出勤、それの繰り返し。つまらない仕事を一生続けるのかと、ため息ばかりついていた。

だから、週末はとことん遊び回った。自慢の改造車で大黒ふ頭に行ったり、山下公園でナンパしたりクラブ行ったり。それだけが人生の生き甲斐だった。

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▲マーバンに乗ってとことん遊んだ

サラリーマンになってローンで買った車は、当時流行っていた中古のマークIIのバン、通称マーバンだった。

当時、マーバンはナンパなイメージが強く、VIPカーなどのヤン車からは舐められがちだったが、マークIIのバンを買ったのには理由があった。短大時代に死んだ親友が大切に乗っていたのが、マーバンだったのだ。

その親友とは入学後すぐに仲良くなり、彼の地元の富山県名物・ブラックラーメンを食べにマーバンで向かった。高山の街で女の子をナンパするのも、いつもマーバンだった。躰道の全日本選手権が東京であると聞くと「俺が送って行ってやるよ」と運転手を買って出てくれた。

短大時代に付き合っていた彼女にフラれたときに、「忘れよう!」と夜中にドライブに連れて行ってくれたのも彼だった。俺の思い出の中にはいつもマーバンがあった。

彼を不慮の事故で亡くしたときはパニックになり、夜中の深夜3時に実家の母親に泣きながら電話したのを今でも覚えている。

だから俺は、車を買うならマーバンにしようと決めていた。中古で見つけた車を100万で買い、重低音を出すウーハーも100万くらいかけて揃え、シャコタンにして、さらにマフラー切って直管で乗り回した。

そんな粋がった車で町田や横浜に行ったら、まぁ絡まれる。無視をするのが一番だが、しつこい相手は別だ。だてに武道をやっていたわけではなく、相手を返り討ちにしたこともあった。マーバンに乗っていれば怖いもんなんて何もなかった。

闇夜に鳴り響く『ゴッドファーザー』のテーマ曲

危険な目に遭ったこともある。あの当時、神奈川県でも川崎と横浜の暴走族はむちゃくちゃ仲が悪く、粋がった車で地元以外を走るのはリスクがあった。だが、大きな街は誘惑も多い。ある週末の夜、川崎ナンバーのマーバンで、横浜に友人とナンパしに行った帰りのことだ。横浜の暴走族が溜まっているガソリンスタンドが目に入った。

「しまった!」と思ったが、時すでに遅し。Uターンすることもできず、さらにタイミングが悪いことに、目の前の信号が赤になって彼らの目の前で停車することに。

横浜の暴走族たちは、律儀に信号待ちをしている川崎ナンバーのマーバンにメンチを切っている。

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▲内装にも凝った

俺は愛車を壊されることがなにより怖かった。だから信号が青に変わると同時に、横浜の暴走族を刺激しないようにそーっと発進した。

帰り道は交差点を左だ。巻き込み確認をきちんとしたうえで、法定速度を守って静かに信号を左折する。だが、どれだけ丁寧にアクセルを踏んでも、直管のマフラーは「ボボボボボボ」と挑発しているかのような音を出す。

背中を冷や汗がつたう。この50対2の構図で絡まれたら、間違いなく愛車がぶっ壊される。さらにスピードを落としてゆっくりと左折する。ようやく切り抜けた、と思ったその直後、誤ってハンドル横にあるスイッチをオンにしてしまった!

「パパパパラパラパラパラパー」

夜中の横浜に鳴り響く『ゴッドファーザー』のテーマ曲。このタイミングで一番触ってはいけないスイッチだった。

「パパパパパパパ」の音を合図にして、横浜の暴走族は一斉にこっちの車に敵意をむき出しにした。そんなつもりはなかったのだが、最初にあおったのは俺だ。

「やばい」

全力でアクセルを踏み込んだ。

バックミラーを見るまでもなく、爆音がマーバンを追いかけてくるのがわかった。捕まったらただではすまない。もはや車が壊されるというレベルでは済まないだろう。ドラマさながらのカーチェイスが始まった。

後ろから迫る横浜軍団。必死に逃げる川崎マーバン。

だんだん地元に近づいてきたのがわかった。横浜から川崎に入る246の道路を渡る、その直前で急ハンドルを切る。このあたりの地理ならお手の物だ。小さい道を駆使して、暴走族を巻くことに成功した。

「パパパパラパラパラパラパー」

ざまぁーみろと言わんばかりのラッパを鳴らす。俺たちは一命を取り止めた。

結婚式の司会が人生の分岐点に

その後もダラダラとつまらない仕事を3年ほど続けていたある日、短大時代の友人の結婚式で、俺は司会を頼まれた。

ど素人の俺が結婚式の司会をやったのだ。

初めての経験だったが、マイクを持つ俺にみんなが注目してくれるのが気持ちよかった。結婚式で言ってはいけないNGワードがあるなんて知らなかったけど、学園祭を盛り上げてきた経験もある。「まぁなんとかなるだろう」くらいの気持ちだった俺は、面白いことを言えば列席者が笑ってくれて、俺のひとことで場の空気が変わる快感を味わった。

新婦は、短大時代にバイトしていたクラブで働いていた子だったが、堅苦しくない楽しい結婚式にしたいと言っていたから、俺も気合を入れて盛り上げた。参列しているお客さんたちが笑ってくれるのがうれしかった。

友人たちも「楽しかった」と口々に言ってくれた。なによりも俺自身が楽しんでいたし、帰り際、結婚式場の人が「こういう仕事に向いてそうですね〜」なんて言ってくれた。お世辞もあったと思うが、学生時代から目立ちたがり屋だった俺の心に、何か一筋の光が見えた気がした。

しかし、翌日から始まったのは、またつまらない毎日。仕事は楽しくないし、やりがいなんか全く感じられない。なぜ働くかといえば、給料がもらえるから。ただただ社畜と化して与えられた業務をこなし、給料日を待ちわびる生活を一生続けることが耐えられなかった。

翌週、俺は結論を出した。

芸能界で売れてスーパースターになる。

あの結婚式の日から、芸能界という今までまったく無縁に見えた世界が、手を伸ばせば届くところにあるように思えたからだ。俺は暗い部屋で自分の未来を想像した。そこには派手な車に乗って、きれいなおねえちゃんをはべらせている姿があった。

この先の俺の人生は順風満帆だ。

翌朝、俺は朝一番で上司に辞表を提出し、会社を飛び出した。そこから20年以上の苦労が始まるとはつゆ知らず……。

(構成:キンマサタカ)

TAIGA

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