【内田雅也の追球】我慢の先の虹 開始遅れ、味方失策、勝利水泡......も平然としていた阪神・青柳

【内田雅也の追球】我慢の先の虹 開始遅れ、味方失策、勝利水泡......も平然としていた阪神・青柳

  • スポニチアネックス
  • 更新日:2020/08/02

◇セ・リーグ 阪神3-3DeNA(2020年7月31日 甲子園)

No image

<神・D(7)>10回1死一、二塁、サンズの好守にグラブを叩く藤川(撮影・北條 貴史)

ベンチに下がった阪神先発の青柳晃洋が声援を送っていた。好投だったが、1点リードの7回表1死一、二塁を残して降板。マウンドを馬場皐輔に託した。

馬場は2死からタイラー・オースティンに左前適時打され同点。勝ち星が消えた青柳だが、それでも変わらず声援を送っている。同点でしのいだ馬場をベンチ前まで出て笑顔で出迎えた。

落胆のそぶりなど見せず――実際、心底感じていないのだろう――後輩を出迎える青柳の姿にホッとした。規定投回数に到達し、勝てばリーグ最多タイの5勝目。好投していた青柳に勝たせてやりたいと思っていたからである。

それでも青柳は頓着していなかった。それどころか「馬場ちゃんに難しい場面でマウンドを譲ってしまったので申し訳なかった」とコメントしている。これもまた本音だろう。自分よりも相手を、チームを思う心が見えた。今季の青柳には、こうした強い心を感じる。

試合開始40分ほど前、午後5時20分すぎに甲子園球場は突然の雨に見舞われた。梅雨明けとなった近畿地方「送り梅雨」の豪雨だった。

試合開始は57分も遅れた。先発の青柳にとっては嫌な時間だったろう。それでも「天気は自分ではどうすることもできない」と考えていたはずである。不安な初回、うまく立ちあがった。

2回表は先頭打者が遊ゴロ失策で出塁となったが平然と後続を断った。天候や状況を言い訳にしない強さがあった。

侍ジャパン強化本部長を務める山中正竹が日本代表監督だった当時の話を思い出す。1988年ソウル五輪に臨むメンバーに後に近鉄から大リーグ入りする野茂英雄(当時新日鉄堺)がいた。

世界各地で国際試合を行った。中米遠征でエアコンは故障、シャワーは湯が出ない、虫がはい回るといったホテルに泊まる羽目になった。

「多くの選手が“暑い”“眠れない”と不平を口にしたり、体調を崩したりしていた。野茂だけは平気でね。持って来たハンモックを部屋につるして、ぐっすり休んでいたよ」

野茂には「自分でコントロールできないことには頓着しない」という言い訳をしない我慢強さがあった。松井秀喜からも同じ言葉を聞いたことがある。自分ができることに没頭するというわけだ。今の青柳である。

藤川球児登板の延長10回表、また遊撃手の失策からピンチを招いた。それでも最後はジェリー・サンズの超のつく美技で無失点で終えた。

前夜(30日)のヤクルト戦(神宮)では、3失策すべてが失点にからんで敗れた。この夜の2失策はともに周囲の助けで無失点でしのいだ。

試合前、雨が上がると左翼席後方に虹が出ていた。ハワイのことわざに「ノー・レイン、ノー・レインボー」がある。以前も書いたが、ハワイで育った早見優が飛行機の機内番組で「虹を見たければ、雨を我慢しなくちゃね」と話していた。

誰かの失敗は誰かが補う。誰かは誰かを思い、我慢する。そんな青柳にも、チームにも、いずれ美しい虹が現れることだろう。=敬称略=(編集委員)

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加