「今はチャットレディの収入でなんとか...」銀座ナンバー1ホステス、“転落”の顛末

「今はチャットレディの収入でなんとか...」銀座ナンバー1ホステス、“転落”の顛末

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/05/06

日本で最高峰の“夜の街”銀座の灯りが消えて久しい。

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昨年、1回目の緊急事態宣言が発令された頃は、銀座の高級クラブが危機的状況、などと盛んに報道されていたが、いまや話題にのぼることも少ない。

コロナが収束しても、以前のようには戻らないと誰もが諦めつつあるいま、ホステスたちも銀座に見切りをつけ、地元に戻ったり、他の仕事を始めたりしているという。

しかし、ずっと夜の世界で生きてきた女性は行き場がないのも事実。そこで銀座でホステスとして25年間も働き、いま生活苦にあえいでいるという女性に話を伺った。(取材・執筆=素鞠清志郎)

◆◆◆

「今年55歳になりました。一度も結婚はないです。ずっと銀座で働いていたので……」

中田裕子さん(仮名)は銀座ナンバー1のホステスだったというが、にわかには信じられない。着ているものも地味で、髪も雑なパーマ。喋り始めると、どことなく浮世離れした雰囲気が漂うが、パッとみた感じでは「夜の蝶」の面影はまったくない。

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「18歳のときから25年くらい、ずっと銀座のクラブでホステスをしていました。若い頃は景気も良かったので、華やかでしたね。稼ぎはいちばんいいときで月500万円くらい。一晩での記録は300万円です。当時は築地にあった家賃30万のマンションに住んでました。お店まで歩いていけるくらいの場所でしたけど、移動は全部タクシー。出勤前には美容室に行って、お買い物をして、夜はお店、という毎日でした」

中田さんは、18歳の時に上京し、そのまま夜の銀座に飛び込んだという。

「同居していた私の叔母がキャバレーを経営していて、小さい頃から水商売が身近だったんですよね。たまに叔母がお店終わりにお寿司とか焼き鳥をお土産で持って帰ってきてくれて、『ホステスになるとおいしいものが食べられるんだな』って思ってました。

それで私もホステスになりたい、どうせなら銀座で働きたいとずっと思ってて、高校卒業して、専門学校に行くということにして東京に出て、すぐに銀座で働きはじめました」

当時は昭和の末期。まだ景気も良く、銀座の敷居も高かったという。

「あとから、銀座は誰もが働ける場所じゃないって知りましたけど、私は求人雑誌を見て飛び込んだら、運良く採用していただけて、日給1万2000円からスタート。毎日休みなくお店に出てました。当時の銀座って土曜日も営業していたんですよ。お客様は半ドンで、お昼で仕事が終わり。なので、土曜日は昼から同伴で映画見たり、料亭でお食事したりしてましたね」

中田さんは才能があったのか、すぐに人気ホステスとなり、界隈で一目置かれる存在になったという。

「私自身はちょっとワルそうな男性がタイプなんですけど、ホステスとしてはそれじゃいけないと思って軌道修正して、役職のある真面目そうなサラリーマンにターゲットを絞ったんです。そういうお客様は、長く通ってくれますし、接待でもお店を使ってくれる。そういう質の良いお客様に贔屓してもらえるかどうかが大事でしたね」

店を何度か移り、ある店でついにナンバー1になった。

「お店からの月給だけじゃなくて、チップのようなお金もたくさん頂きました。ちょっと深いお付き合いになった方から1000万円をいただいたりとか……。ただ、出ていくお金も多かったですね。知り合いがお店を出したいとか、お得意さんの事業が危ないとかで、お金を融資したり……まぁ、戻ってくることはほとんど無かったですけど。あとは、店の若いコに貸すことも多かったですね。

お店の女の子に詐欺師みたいな人に付きまとわれて困ってると相談されて間に入ったら、今度は私がターゲットにされたこともありました。絵を買ってくれということなんですけど、もうあまりにもしつこいし、面倒なので結局買ったんですよ、300万で。よく考えてみれば、その女のコと詐欺師はグルだったんですよね……」

たくさん持っていたはずのお金は「銀座のホステス」という肩書を守るためにいちばん使ったという。

「銀座で働いていると、いろんな繋がりができるんですよ。それでお得意さまに季節ごとに贈り物をしたり、おめでたいことがあればご祝儀も出しますし。あと、役者の方が舞台をやるといったら、チケットをまとめて買うとか、講演会をやるとなったら、その費用を出すとか……。けっこう稼いでるはずなんですけど残らないから、私はお金を貯める力がないんだなって思ってました」

順調に夜の世界を上り詰めていった中田さんだが、あることをきっかけに転落していく。

「私が38歳の頃ですね。某プロ野球チームの監督をしていた方と知り合って、いわゆる不倫になってしまったんですよ。最初はパーティで知り合って、お礼状を書いたら電話がかかってきて『試合を見に来ないか』と。それで最初に大阪に行ったときは何もなかったんですけど、次は『名古屋来れる?』と言われて、行ったらヒルトンホテルに部屋を取っていて、そういう関係になって……。

結局そういう関係は3回だけでした。男の人って3回までは遊びっていうじゃないですか。だから、きっちり3回だけで終わった……。でも私は思いが募ってしまって、勝手に遠征についていったり、夢中になってしまったんです。そんなことをしてるとお店も休みがちになって。お客さんも、私がいないと他のコに目移りするじゃないですか。それでお得意様がどんどん減って……」

年齢的にも、ホステスとして曲がり角の時期だった。

「歳を重ねると、お客様の年齢層も60代くらいに上がってきて、そうなると会社を退職されてお店に来なくなるんですよ。私を指名してくださるお客様もどんどん減りました。

なので、ちゃんと美容室に行って着物を着ていっても席につくところがない。手持ち無沙汰なので、どこか喫茶店とかで待機していてもいい? とお店に提案したら『近くにいると困るのでお客さんが来ない時は家にいて』と言われました。お店に出るために着飾った状態でひとりで自宅にいるのは、精神的にキツかったですね」

客が減ると、当然のように売上も減っていく。

「最初はわからないんですよ。あれ、今月ちょっと調子悪かったな、谷間の時期なのかなって。そういう時にはお客さんをお店に呼んで、私のお金で払うんです。そうすると名目上は指名も入って、売上もキープできる。でも、タコが自分の足を食べてる状態というか、10万円飲んでもらったら、私に入るのは3万5000円くらいなので、6万5000円が持ち出しになっちゃう。でも、当時は判断能力がなくて、そんな営業ばかりしてましたね」

やがて、精神的にも追い詰められていってしまった。

「そうやって窓際に追い込まれちゃうと、人間って鬱になるんですよ。どんどん悪い方向に考えて、精神的にもおかしくなってきて、お店にも行ったり行けなかったりの状態になりました。すると『今日休ませてください』という連絡を毎日するのが面倒くさくなって『行けるようになったら行きます』という状態になって、そのままフェードアウト。18歳から25年間、43歳でホステスを廃業することになりました」

ホステスを辞めても、お客さんとの関係は続いた。

「以前からお客さんに相談したり、助けて貰ってたんですけど、『辞めたんなら、どう?』みたいなお誘いがあって、月20万円いただける愛人契約をしました。同じ条件で契約した方がもうひとりいて、月40万円の収入。でもぜんぜん足らなかったです。生活レベルを落とせないというか、生活力がない。スーパーで何が安いとか、そういう知識もぜんぜんないんです。ホステス時代からのお客さまの講演会やチケットのようなしがらみで出ていくお金もまだあって、どんどん借金がかさんでいって……」

虚飾に満ちた愛人生活。貢いでくれる男性を替えながら、5年ほど続いたという。

「ついに契約してくれる人もいなくなったので、持ち物を全部売って、家賃8万のワンルームマンションに引っ越しました。それで仕事しないといけないなと思って、就労支援センターに2年間通って、パートの事務職をはじめました。時給1000円くらいなので、フルで働いて月に15万くらいですね」

その後は徐々に庶民感覚を取り戻し、低収入ながらも安定した生活を送っていた。しかし、そこにコロナ禍が襲ってきた。

「3年間働いたんですけど、コロナで出勤調整と時短で週4日勤務になって、手取りが8万円くらいになってしまって……。その3カ月後には週2回になるって言われて、もう辞めます、と」

新型コロナで仕事もない。頼れる人ももういない。そこで見つけた仕事が「チャットレディ」だった。パソコンの前で、インターネットで繋がったお客さんとビデオ通話をするという、風俗のような仕事だ。

「この年齢でもそれなりに稼げるからと聞いて、藁にもすがる気持ちでやってみたんですよ。最初は顔を出さなくても大丈夫という話だったんですけど、顔出しして裸にならないとお客さんが見に来ないって言われて……。もうここまで来たらやるしかないと思って、全部出して、お客さんからの過激なオーダーにも応えるようになりました」

現在はチャットレディの収入でなんとか暮らしているという。

「最近はマッチングアプリもやってるんですよ。愛人が欲しいというよりも、普通のボーイフレンドというか、話相手が欲しくて……。いま、お金がないことよりも、周りに誰もいないというのが一番つらいです。独りでいると昔の良かったことばかり思い出してしまいますから……」

中田さんはかつて先輩から「ホステスは一生できる仕事じゃないから、辞めたあとのことを考えないとダメ」と何度も忠告されていた。

「でも、あの頃の私はそんなの聞く耳持たなかったんですよね……。いまの若い子はしっかりしてるから、言われなくても大丈夫だと思いますけど。コロナで銀座の灯が消えてしまえば、逆に私のような人生を送る女もいなくなるのかもしれませんね」

一見、華やかで高収入な水商売の仕事だが、夜の蝶たちの何割くらいが、幸せな将来を迎えられるのだろう。

(清談社)

清談社

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