【独占告白】故ジェリー藤尾の元妻と娘が語る、離婚後35年を経ての和解「〈愛しているよ〉が聞けた時、わだかまりが消えた」

【独占告白】故ジェリー藤尾の元妻と娘が語る、離婚後35年を経ての和解「〈愛しているよ〉が聞けた時、わだかまりが消えた」

  • 婦人公論.jp
  • 更新日:2021/11/25
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【ジェリー藤尾】1940年、中国・上海生まれ。46年に家族とともに日本に引き揚げる。57年、新宿のジャズ喫茶でスカウトされ芸能界入り。61年「悲しきインディアン」で歌手デビュー、「遠くへ行きたい」などヒット曲多数。タレント、俳優としても活躍した。2021年8月逝去。写真は1961年、歌手デビューした頃のジェリー藤尾さん

歌手のジェリー藤尾さんが、2021年8月、肺炎のため81年の生涯を閉じました。同居し晩年を支えたのは次女の板谷亜紀さん。離婚後は別々の人生を歩いていた元妻の渡辺友子さんもジェリーさんと和解し、最後の日々に寄り添ったそうです。そのいきさつは──(構成=吉田明美 撮影=清水朝子)

【写真】小学生の頃の娘さんたちと語らうジェリー藤尾さん

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パパの体はまだ温かかった

亜紀 パパが亡くなって3ヵ月。今でも、あの日のことを思い出すと涙があふれてきます。

友子 土砂降りの夜だったわね。

亜紀 パパはいつも、用事があるとLINEで私たち家族を呼んでいたのですが、その夜はそれがなくて。おかしいなと思って様子を見に行ったんです。そうしたら、リモコンを持った手がだらんとしていて……。

友子 すぐに病院の先生と私に知らせてくれたわね。

亜紀 亡くなったことを受け入れるのは、つらかった。私が触れたパパの体は、まだ温かかったから。

友子 私も電話をもらってすぐ、駆け付けました。5日前に会った時はいつもと変わらない様子で、元気だったのに……。

亜紀 前の日も普通に話をしていたから、こんなにあっけなく逝っちゃうとは思わなかった。

友子 でも、最後は娘や孫、ひ孫と暮らすことができて、幸せだったと思う。眠っているとしか思えない、穏やかな表情だったもの。

亜紀 パパはママと和解できて、ほっとして天国に行ったんじゃないかな。私はそれが一番うれしいよ。

「私、この人と結婚するんだ」って感じた

亜紀 パパとママが結婚したのは24歳と20歳の時だったよね。

友子 運命だったのかな? 中学生の時、テレビを見ていたら、ステージの上でひっくり返ってギターを弾いているミュージシャンがいた。それがパパだったんだけど、その時、「私、この人と結婚するんだ」って感じたの。

亜紀 15歳で芸能界に入ってすぐにパパと知り合って、17歳ぐらいから付き合い始めたんでしょ?

友子 仕事でほとんど毎日一緒だったし、かっこいいパパのことが大好きで、19歳で結婚を決意したの。みんなに反対されたけど、「この人を日本一のタレントにしよう」と思って、芸能界を引退した。

亜紀 ハネムーンベビーでネネ(長女の美紀さん)が生まれ、2年後に私。小さい時は、パパのことがちょっと怖かった。厳しかったしね。でも、守ってくれるのもパパという気持ちがあった。ジェットコースターはパパとしか乗れなかったし、手をつなぐのも大好き。

友子 あなたたちが小学生の頃は、家族そろって自動車のCMに出て《理想の家族》とか言われたけど、本当にあの頃は楽しかった。パパは子煩悩で、運動会でもすごく張り切って、ダンスが始まると率先して歌っていたわね。

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「パパはつらい思いをしたから、喧嘩に強くなることで自分を守っていたのかな。」(友子さん)

ゴルフクラブで殴られたことも

亜紀 夫婦喧嘩が増えたと感じたのは、中学生になった時。

友子 パパは芸能界でも喧嘩っ早いことで有名だったの。5歳で上海から引き揚げてきたけれど、お母さんは日本語が話せないイギリス人。パパはつらい思いをしたから、喧嘩に強くなることで自分を守っていたのかな。

亜紀 お酒もずいぶん飲んでいた。あんまりいい飲み方じゃない時もあったね。

友子 酒癖の悪さには泣かされたのよ。ゴルフクラブで殴られたこともある。次の日には、「昨日はごめん」ってそのゴルフクラブを折っていたけど。

亜紀 そんなことがあったなんて知らなかった。

友子 パパは嫉妬深い一面もあった。仕事のお誘いもあったけれど、長く家をあけることは許してもらえない。私が他の人といるのを嫌がったし、束縛が強かったのね。お酒を飲んだ時の暴力も激しくなって……。

亜紀 家を出て行った時は、もう限界だったんだね。

友子 そうすることでしか、自分を守れないと思ったの。

亜紀 パパとママが離婚した時、ネネは成人していたけど、私はまだ18歳。親権をどちらに持ってもらうか、決めなくちゃいけなくて。本当は中立でいたかったけど、自分なりに考えて、書類にパパの名前を書いたの。

友子 私は親権がどちらにあっても、親子であることに変わりはないと思っていたわ。

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「パパはママが好きすぎたから、恨んで、悪く言うことで自分を保っていたんだと思う。《可愛さ余って憎さ百倍》って、パパのためにある言葉みたい。」(亜紀さん)

「俺の葬式に渡辺友子は呼ぶな」

亜紀 離婚後、ネネも私もママに会っていたんだけど、それがわかるとパパはめちゃくちゃ不機嫌になる。パパは、自分一人で娘たちを育てていることを誇りに思っていたし、それを世間にアピールすることで自分を奮い立たせていたんだと思う。でも、いちいち不機嫌になるから、いつしか藤尾家ではママの話題は禁句に。それで7~8年間、疎遠になっちゃった。

友子 パパにとって、私は家を出て行った裏切り者だから。

亜紀 パパは子ども時代、お酒に溺れるお母さんと、異父兄弟がいる複雑な家庭環境で育ったこともあって、家族というものに強いあこがれを持っていた。でも、愛情表現の仕方がわからなかったんじゃないかな。パパはママが好きすぎたから、恨んで、悪く言うことで自分を保っていたんだと思う。《可愛さ余って憎さ百倍》って、パパのためにある言葉みたい。

友子 娘たちの結婚式に出られなかったのは悲しかった。あの頃が、一番距離があったかもしれないね。

亜紀 今だから言うけど、パパは「俺の葬式に渡辺友子は呼ぶなよ。これは遺言だぞ」とまで言ってた。

友子 それでも、25年くらい前かな。亜紀が3人目を妊娠している時に、久しぶりに連絡してくれた。

亜紀 私も親になってみて、母親なら娘の妊娠している姿を見たいだろうなって思ったんだ。それからは、うちの子どもたちは3人ともママのことを「あーちゃん」と呼んで、しょっちゅう面倒を見てもらうようになった。

友子 パパには内緒でね。

亜紀 そうなの。5年前、私の長女が結婚式にママを呼びたいと言った時も、パパがいい顔をしないから、「パパとママが離婚したのは私とネネのせいなの? 私たちを巻き込まないで!」と大喧嘩に。

友子 亜紀の説得のおかげで孫の結婚式に出席できて、とっても幸せだったわ。その時、パパとツーショットも撮ったわね。

亜紀 パパは実はうれしかったんだよね。それなのに、結婚式のあと「もう渡辺友子には会いたくない」とわざわざ私のダンナに言ってきたのよ。もう、どれだけ素直じゃないの? と思った。

肺気腫が悪化し、歩けなくなって……

友子 パパの具合が悪くなったのは、いつ頃だった?

亜紀 もともと自律神経失調症からくる不調に悩まされていたんだけど、去年、転んだりして、足腰も弱ってしまった。今年に入ってからは肺気腫が悪化して、だんだん歩けなくなってきて……。

友子 美紀からパパがかなり弱っていると聞いて、私から「パパに会いたい」って言ったのよね。気持ちがすれ違ったまま、パパが逝っちゃうのはいやだった。その時は、亜紀の一家がパパの介護をしてくれていた。

亜紀 そう。パパは2010年にお友達に誘われて、千葉の老人ホームに入っていたんだけど、翌年の東日本大震災がきっかけで、私とネネの家の間くらいにあるマンションで一人暮らしをしてもらうことになったんだ。何かあった時にすぐに会いに行ける距離にいたいと思って。

友子 でも、階段の上り下りもつらく、一人で暮らすのに不安が出てきて……。

亜紀 今年に入って、私たち夫婦と長女一家、そして次男の7人家族だったところにパパを迎えた。最初は、部屋に余裕があるネネのマンションに引き取ったんだけど、男手もないから大変だし、「うちに来てもらおう」ってダンナが言ってくれて。部屋に余裕がなかったから、コストコで倉庫を買ってきて、そこに私たち夫婦が移動。パパにはリビングの隣で寝てもらっていたの。

友子 パパも賑やかな家族に囲まれて喜んでいたでしょう。

35年間言えなかったパパの本心

亜紀 でも、私はそこにママもいてほしかった。だからママがパパに会いたいと言ってくれたのはうれしかったけど……素直に「じゃあ、会おう」って言うパパじゃないでしょ?

だからベッドで寝ているパパの周りにみんなで集まって、まずはネネが「ママが、パパに会いたいって言ってるんだけど、どうしよう」って言ってみた。パパが目をつぶったまま黙ってるから、私が「パパ! 人を恨んだまま天国に行っても神様には会えないんだよ!」って大きな声で言った。そしたらパパがすうっと涙を流してゆっくりうなずいたのよ。

友子 娘の言葉が響いたのね。

亜紀 自分の命があまり長くないことも、わかっていたのかも。パパがうなずいた瞬間、「よし、今だ!」って、すぐにネネがママに電話した。

友子 私は出先からすぐに亜紀の家に直行。ベッドの脇へ駆け寄って耳元で「パパ、友子よ、わかる?」って言うと、パパがいきなり「友子、愛してるよ」って……。

亜紀 まさかそんなこと言うなんて思わないから、みんな号泣! でも、それが35年間言えなかったパパの本心だったんだと思う。

あの世に行ったら友子と住みたい

友子 あの瞬間にいろいろな思いがすべて溶けてなくなったわ。結婚生活で苦しかったこと、離婚の時のいざこざ、娘と引き離された日々……。彼に対して許せない、という気持ちを抱いていたこともあります。でも、あの言葉で、やっぱり私はパパが好きだ、と気づいたの。それからは週に2回は会いに行った。

亜紀 アイスクリームを食べさせてもらったりして、ママに甘えていたね。

友子 二人でテレビを見ながら話をしていると、35年のブランクが、逆に信じられないぐらいだったわ。それにしても、亜紀の一家は本当によくパパを看てくれたわね。

亜紀 昼間は訪問看護師さんが来てくれたし、子どもも孫もパパを「どんちゃん」と呼んで大好きだったからね。

友子 ヘルパーの仕事をしている孫娘に下の世話までしてもらったんだから、パパは幸せ者よね。

亜紀 全員ができることはなんでもしたから、そういう意味では悔いはないと言い切れます! 私は、家族一丸となってなんでも乗り切ることを教えてくれたのは、パパとママだと思ってるんだ。ママは昔、パパがお風呂に入っている時に、先に覚えておいたパパの新曲を歌って聞かせていたでしょう? 歌詞を覚えられるようにって。そんな姿を見ていたから、パパの介護も家族で協力できたんだと思う。

友子 そう言ってもらえるのは、うれしいわ。

亜紀 パパは晩年に親しい住職さんに戒名をいただいてたんだけど、その住職さんにだけは「あの世に行ったら友子と住みたい」って言ってたらしいよ。

友子 そうみたいね。なんだかうれしい。その住職さんは私にも戒名をつけてくれていたの。パパと同じく「歌」という文字が入っている、とってもいい戒名なの。

亜紀 やっぱりパパはママが一番だったんだね。ママが捨てずにとっておいた結婚指輪を、細くなった指にいつもはめていたし……。

友子 不器用な生き方しかできないパパだったけど、どこまでもかっこいい人だった。特に歌っている姿は。ベッドの上でも「テネシーワルツ」を歌っていたわね。

亜紀 私はパパとママの「ヘイ・ポーラ」、また聴きたかったな。

友子 私の今の夢は、美紀と亜紀と私で喜寿の記念ディナーショーをやることなの。そこで3人で「遠くへ行きたい」を歌いたい。そんな話をパパにしたら、「絶対に見に行くよ」って言ってくれた。

亜紀 ママ、必ず実行しよう。きっとパパも天国で喜んでくれるよ。

渡辺友子,板谷亜紀

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