安倍元首相の国葬は「弔意の強制」になる? 「内心の自由を侵害する恐れ」識者が懸念

安倍元首相の国葬は「弔意の強制」になる? 「内心の自由を侵害する恐れ」識者が懸念

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  • 更新日:2022/09/23
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国会前で、安倍元首相の国葬に反対する人たち。参加者の一人は「国葬は統一教会に再びお墨付きを与えかねない」と怒った=8月31日

9月27日に開催される安倍晋三元首相の「国葬」をめぐり、世論の賛否が二分している。朝日新聞が9月10、11日の両日実施した世論調査では、国葬に「賛成」は38%、「反対」は56%と反対が上回った。国葬に反対する人から、「弔意の強制」だとする声も挙がっている。「国葬を考える」を特集したAERA 2022年9月26日号の記事を紹介する。

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多くの国民が違和感を持つのが「弔意」の強制だ。安倍晋三元首相の国葬中止を求める集会に参加していた埼玉県在住の会社員女性(45)は、こう言った。

「人を弔うのは、人間の感情的な問題。それを、国民への説明もせずに国の儀式として国葬を実施するということは、弔意の強制になると感じます」

岸田首相は9月8日の衆参両院の議院運営委員会で「国民一人一人に弔意の表明を強制するものではない」などと説明した。

だが、東海大学の永山茂樹教授(憲法学)は、弔意の強制は起こり得るだろうと懸念する。

「20年の中曽根康弘氏の内閣・自民党合同葬の際にも、文部科学省は国立大学や都道府県教育委員会などに弔意表明に関する通知を出した。それにもかかわらず政府は『強制は伴っていない』と強弁した。今回の国葬でも同じことが起きるだろう。弔意表明を強制される生活は、文化的に自由とはいえない。その意味で、文化的生活を営む権利を保障した憲法25条との関係が問われる」

何より、永山教授は今回の国葬は、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条、「信教の自由」を保障した憲法20条1項を侵害する恐れがあると指摘する。

■内心の自由は「絶対的」

「これらの規定は人間の大切な自由の一つ、内心の自由を保障するもの。またその自由を行使しても、他者の自由や権利の侵害は起こりえない。したがって内心の自由は、制限する正当性も必要性もない『絶対的自由』だ。誰をどういう方法で悼むかあるいは悼まないかの決定は、内心の自由として保障され個人の選択に任されるべきで、国家が強制したり干渉したりしてはいけない」(永山教授)

そもそも「弔う」とはどういうことか。

宗教学者で大阪大学の川村邦光名誉教授によれば、「弔い」は「訪(とぶら)う」を語源としていると話す。

「弔うとは、死者の元を知人や友人が訪れ、その人の死を悼み遺族を慰め死者の冥福を祈ること。弔いは、死者と弔問者との間で成立する極めて個人的で社会的な関係によるものです。今回の国葬は、安倍元首相の死に対して悼もうとする感情を抱けない人にとって、自分たちの税金を使って営まれることに納得できない人がいるのは当然であり、個人の心情に介入したり踏みにじったりすべきではないと思います」

一方で葬儀は、喪主を務める人物が「後継者」として権威づけを行う場として機能してきた。安倍氏の国葬では、岸田首相が喪主の立場に当たる葬儀委員長を務める。岸田首相は、安倍氏の死を政治的に利用して、国葬という形で行うことで自身が安倍氏の後継者としての権威づけを図ろうとしているのだろうという。川村名誉教授は言う。

「どれだけ豪華な葬儀であっても、人々の評価が伴わなければ記憶されず、忘れ去られていきます。人の死の意味は、葬儀によってではなく、当事者が死者をどれだけしみじみと心から記憶し続けるかどうかです」

9月27日。私たちはこの日をどのように迎えればいいのか。一人一人が問われている。(編集部・野村昌二)

※AERA 2022年9月26日号より抜粋

>>【前編の記事】安倍元首相の国葬「法的根拠なく国費で開催」専門家が問題視 実施理由「功績」に疑問も

野村昌二

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