曽祖父・金谷眞一の1925年の世界旅行、スイス編2回目は、ユングフラウと素晴らしいホテルオーナーとの出会いです。
インターラーケン
ツェルマットからその名の通り、トゥーン湖とブリエンツ湖、2つの「湖の間」の街、インターラーケンへ行く汽車旅は、14キロもの長いトンネルを含む美しい車窓の旅です。ビクトリアユングフラウホテルに投宿。ここではなんといってもユングフラウ観光です。まずはケーブルカーでハーダークルムへのぼり、標高1325mの頂上のレストランからユングフラウの眺めを楽しみ、翌日にはインターラーケン東駅からユングフラウ鉄道に乗り、欧州最高地点にあるユングフラウヨッホ駅に向かいます。途中、かのアイガー北壁を掘って作ったアイガーバンド駅で景色を楽しみました。この駅は1903年にでき、約5分間停車する間に乗客は降車して景色を楽しんだそうですが、2017年からはここを飛ばして同じく岩壁を掘って作られたアイスミーア駅だけに止まるようになったようですね。

アイスミーア駅。ポストがあります。

アイスミーア駅からの眺め。岩をくり抜いていることがよくわかります。

ユングフラウヨッホ駅からの山の眺め。
ユングフラウ頂上のレストランでゆっくり昼食をとり絶景を楽しみました。感動した様子が日記から伺えます。
“The life is not worthwhile to live [sic] till you see the grandeur of this divine piece of work”
ルツェルン

ヨーロッパで最古の木造橋。今も変わらない風景のようです。
翌日は汽車でルツェルンへ移動です。車窓からみた華厳の滝より大きな滝やホテルの多さに驚きました。「スイスにはホテルが5000、10万人を泊められるという。一方日本は50に足りない」と記しました。宿泊先はルツェルン湖に面したホテル・シュヴァイツァーホフ。 ”The best one I stayed in this country so far.”と書いた理由は、スタッフがよく気がつく、部屋は清潔、ベッドはボックススプリング入り、ブランケット、ダウンキルト、テーブルクロスなど一点のシミもなし、食堂の給仕は注意深く、縁が青い食器が実に見事、など、「何か批評を加えるとするも見当たらず」。さらに風呂場に非常用のベルがある、ベッドに入ったまま部屋の灯りが消せる、というのも、100年前と考えると驚きですね。見るものごとに「富士屋ホテル式」、「金谷と同様だ」などと言いつつも、「ホームシックに罹ったような気がする」と、この晩は日本にだす絵葉書を40枚も書きました。彼我の違いに些か落ち込んだようです。
そしてこのホテル、今も健在なのです。今年の夏ルツェルンに行った友人・W氏がわざわざ写真を撮って送ってくれました。あらためて、ありがとうございました!

うーん、美しい!、大きい!

美しい内装。確かに、しょんぼりするかも。
翌日はリギ山観光に出かけ、1797mの頂上から見る湖の眺めを楽しみました。「スイスの湖は藍色、広重の版画のような色だ」と洒落たコメントを日記に残しています。

1873年開通したリギ山頂上への登山鉄道。可愛い。
夕食後はオーナーのオスカー・ハウザー氏がホテル中を案内してくれて、一緒にホテルで働く夫人、娘夫婦にも会いました。湖に面した4ブロックを占める、500室の大ホテルです。ハウザー氏は眞一にこう尋ねます。「日本でホテルマンはどんな地位ですか?それがホテルの発展に関わる多くのことを左右します。」2人は1時間ほど話し込み、次の目的地サンモリッツのスブレッタハウスへの紹介状をもらいました。同じような家族経営のホテルです。
翌朝、ハウザー氏はフロントで忙しく出発客を見送っていましたが、眞一を見つけるとすぐやってきて、よく眠れたかと尋ね、料金は20%引きにしてくれました。お礼にチップを10フラン上乗せです。前夜のハウザー氏の質問、家族経営であること、さらにお客への目配りや親切な態度は、眞一に強い印象を残したようです。
Schweizerhofは1845年に開業し、1861年から現在まで運営会社(その名もOscar Hauser Hotel Schweizerhof AG)はハウザー家がトップを勤めています。同じ名前のホテルがスイス各地にありますが、会社情報を見ると、系列というわけではないようです。
次の目的地はサンモリッツ。また印象深い出会いが待っています。
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1925年(大正14)、私の曽祖父は単身世界旅行に出かけ、半年間の毎日を記した3冊のノートを残しました。日光金谷ホテルの二代目社長・金谷真一の100年前の一人旅、ご一緒に紐解いて参りましょう。Twitter(@shinkanaya) で5月29日から毎日の日記を投稿中!
旅人のヒマゴ