【コロナと向き合う】今こそ日本人の創造力を問う「近代日本医学のふるさと」北里柴三郎記念館を訪ねて《荒井広幸のふるさと青い鳥》

【コロナと向き合う】今こそ日本人の創造力を問う「近代日本医学のふるさと」北里柴三郎記念館を訪ねて《荒井広幸のふるさと青い鳥》

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  • 更新日:2021/01/13

人は誰でも「ふるさと」を持つ。それは「郷土」であり、私たち日本人が歩んだ「道」であり、知恵でもある。今回は日本医学の原点を辿り、予防の観点からコロナ後を生き抜く道を見出していく。

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——本連載は各界の専門家をお招きし、「対話」を通して私たちの歴史に蓄積された知恵(ふるさと)を学び直すことで「先例なき時代」を生きるための柔軟な思考(青い鳥)を培(つちか)うことをねらいとしている。
第2回目は公衆衛生学と地域医療学の第一人者でもある放送大学教授で医学博士の田城孝雄さんをお招きし、「近代日本医学のふるさと」北里柴三郎記念館を訪ねた。

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北里柴三郎(1853~1931)「日本細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症学の発展に貢献。実学教育を重んじ、予防医学を実践した(写真:国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

■Wish(ウィッシュ)コロナ 明るい未来への布石

荒井 新型コロナウイルス感染症が世界中で蔓延(まんえん)し半年以上が経ちました。感染者数は増えているもののコロナと向き合う心構えや態勢も整ってきたと思います。

私は、今、こうした状況をWish(ウィッシュ)コロナ、つまり感染症と共生しながらさらに明るい希望を持つことができる社会に進化させていくことが歴史的にできると考えております。政府の医療と地域作り政策にかかわり、包括的な医療福祉健康問題の第一人者である先生はどう捉(とら)えておりますか。

田城  明るい未来という点では二つのことが言えると思います。

一つは感染症との闘いの歴史で人類が過去に乗り越えられなかったことはないのです。ペスト、結核、ハンセン病、スペイン風邪そして新型コロナウイルスも必ず克服できると思います。

もう一つは、地域活性化や働き方など社会的にみれば、テレワークの推進で通勤の負担が軽減され、地域で過ごす時間が増えるなど地産地消の機会が増えたり、それにともない東京一極集中の見直しなどコロナをきっかけに真剣に見直されてきています。その意味で明るい未来への方向性も見えてきたと思います。

荒井 新型コロナとの闘いという観点からみるとどうでしょうか。

田城 100年前のスペイン風邪と比較された2009年の新型インフルエンザと同様に、レベルダウンされる可能性もあるのかもしれません。

荒井 今回のコロナも様々な専門の先生方が取り組んでおられますが、私たちの難病克服の歴史において教訓となる事件がありました。明治時代の「脚気(かっけ)」【*注1】対策の歴史です。

私自身、政治家として仕事する上で理論が現実と乖離(かいり)する悲劇として脚気問題を捉えていました。日本における典型的な「失敗のふるさと」だと思うのですが。

田城  明治時代の脚気論争として有名ですね。解説しますが、脚気という病気は副食を摂(と)らずに主食の白米を食べる日本人の食習慣が主因となる生活習慣病でもありました。

この脚気の原因をめぐり、国家として医学の近代化を進めていた日本で大きな論争(脚気論争)となったのです。特に軍隊での兵食をめぐり、当時の帝国陸軍(=脚気細菌・伝染病説)と海軍(=栄養欠陥説)の組織同士の衝突です。*【注2】

荒井 陸軍軍医の森林太郎(もりりんたろう)(鴎外)たちの「白米派」と、海軍軍医の高木兼寛(たかぎかねひろ)の「麦飯派」対立ですね。

科学の真実は、海軍の高木説にあったわけですが、陸軍の白米採用で日清・日露戦争で多くの兵隊が脚気で亡くなる悲劇を生みました。なんと日露戦争の戦死者が5万人弱のうち半分以上の2・8万弱が脚気が原因と言われています。

田城  脚気の原因は白米主食のビタミンの欠乏と後(のち)に立証されるわけですが、この脚気論争は、日本近代医学の出自の問題と大きく関わってきます。

日本の医学は漢方と蘭学で後者の科学的近代化が趨勢(すうせい)を占めることで発達してきました。例えば、長崎の鳴滝塾、大阪の適塾、江戸の和田塾(現在の順天堂大学)などはみな蘭方医育成の私塾で、明治維新期の戊辰(ぼしん)戦争では西洋医学が主流となり、「病院」という概念が生まれます。

日本の近代医学はその後、東京大学医学部が中心となり、その学問はドイツ(プロイセン)を模範とし、学理は絶対でした。陸軍省医務局も東大閥でした。「脚気細菌説」がドイツへ留学した東大卒の緒方正規(おがたまさのり)に唱えられるや海軍の脚気の栄養説は黙殺されたわけです。

荒井 海軍軍医の高木兼寛は、薩摩藩出身で鹿児島医学校でイギリス留学もしていますね。栄養説を主張する高木の見識は、海軍兵食の洋食化による世界初の疫学介入実験により軍艦「筑波」の遠洋航海で脚気死亡者ゼロを実証しました。高木の実証主義の方法に私たちの病気に対するあり方、現在の教訓はなんだといえるでしょうか。

===【注1】===◉脚気(かっけ)とは…脚気とは慢性的なビタミンB1の欠乏によって末梢神経障害をきたす疾患。重度の場合は心不全(脚気衝心)を起こし、死に至る場合もある。白米を主食として副食を食べない日本人の食習慣に起因した。江戸時代「江戸わずらい」とも呼ばれ、13代将軍・家定、14代将軍・家茂も脚気衝心が死因とされ、明治期には「結核」と並ぶ二大国民病となった。===【注2】===◉脚気論争とは…脚気の原因をめぐる明治時代に起きた日本初の医学論争。最単純化すれば「脚気」の原因は?細菌説(東京帝大医学部&陸軍)と?栄養不足説(研究者&海軍)の二派の論争。結論は後者が科学的実証により勝利するが、論争の趨勢は常に? 細菌説にあった。近代日本医学において東大医学部の権威とその根幹となったドイツ病理の理論は絶対視されていたからである。

■病を診みずして病人を診よ! 疫学的な「実証主義」

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田城孝雄  放送大学教授(医学博士)  1956年青森県八戸市生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。米国M i c h i g a n 大学内科Research Fellow、順天堂大学スポーツ健康科学学部教授、放送大学教養学部教授。専門は公衆衛生学、地域医療学など(写真:永井浩)

田城 高木兼寛は、後年東京慈恵会医科大学の創立者となりますが、鹿児島医学校時代、イギリス人軍医のウィリアム・ウィルスの弟子でした。日本の近代化はドイツ中心でしたが、薩摩の医学はイギリスで海軍は薩摩閥でした。

イギリスは公衆衛生学と疫学による医学の発達を遂げた国です。簡単に言えば、「今、現場で起きていることをみる」という人間と現実に対する好奇心で観察する。病人とその病人がいる現場を診るところからはじまります。

病気の発生原因や流行状態から予防の対策を講じる……まさに疫学です。私自身の研究も人間が好きで、人への関心から公衆衛生学を学んだ経緯があります。

ちなみに公衆衛生の教科書に必ず出てくるコレラ予防に成功した「麻酔医」のジョン・スノーはイギリスにおいて人と現場から汚染源をマッピングして感染を抑えました。

荒井 高木の名言となる「病を診ずして病人を診よ」は疫学的理念であり、「脚気栄養欠陥説」を唱えたのは、彼の信念でもあったわけですね。

田城 その通りです。ですが、ドイツのような病理学……物証的に病原菌を徹底的に調べ、遺伝子の病因論まで突き詰める方法も大事です。病を克服する上での真理の究明の志(こころざし)は同じですが、アプローチが違うだけです。

脚気論争の問題は、東大医学部と陸軍軍医局がドイツで学んだ本流の緒方正規の「脚気細菌説」の前提を疑うことなく盲信したことにあります。*【注3】

荒井 ドイツの医学は正しい。それはドイツの医学は日本医学の模範であり、日本医学は東大医学部だからという「権威」が現実を歪(ゆが)めたというわけですね。この高木の通説や真理の前提を問うという姿勢は、本当に社会を強くするためにも大事な点だと思います。

田城 そうです。この権威や常識に対して、単に盲信するのではなく、ドイツの学理的なアプローチを体得した上で、新たな理論を創造したのが、じつは北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)先生だったのです。

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荒井広幸 ナビゲーター  1958年生まれ。政界での30年に渡る経験を活かし、地域振興など多方面で活躍。趣味は絵手紙。ラジオふくしま『ちょっとブレイク』で長年、MCを務めている。これまでに招いたゲストは各界の著名人は500人を超える(写真:永井浩)

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===【注3】《脚気論争「論点」図式》【東京帝大医学部・陸軍軍医総監・ドイツ留学】森 林太郎=[作家]鴎外(1862-1922)→脚気細菌説ドイツから近代医学の薫陶を受けた石黒直悳、緒方正規の「東大・陸軍ライン」が主張した説。石黒の弟子・鴎外も踏襲した。脚気は栄養欠陥が真実だったビタミン説確定。【鹿児島県医学校・海軍軍医総監・イギリス留学】高木兼寛(1849-1925)→脚気栄養欠陥説高木の実証主義は洋食採用した海軍では脚気を改善できたことを踏まえ、「食事におけるタンパク質不足」という仮説を立てた。【東京帝大医学部・研究者・ドイツ留学】北里柴三郎(1853-1931)→脚気細菌説批判細菌学的に東京帝大の師匠でもある緒方正規の「脚気細菌の発見」批判を理論的に行い、学理的に研究の欠陥を論文に収めた。《結 論》脚気は栄養欠陥が真実だった→ビタミン説確定鈴木梅太郎(オリザニンの発見)やカシミール・フンクがビタミン欠陥による脚気の原因を発見。

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■脚気論争では師匠を論破 医道は国民のためにある

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北里研究所北里柴三郎記念室の医学博士・森孝之氏より世界初の破傷風の純粋培養に成功した「嫌気性菌培養装置(模型)」の説明。(写真:永井浩)

荒井——北里先生と言えば、「近代細菌学の祖」ドイツのコッホの弟子です。熊本医学校から東大医学部に進みました。北里大学の学祖で、慶應義塾大学医学部の初代医学部長でもある。第1回ノーベル賞候補、また世界初の破傷風菌の純粋培養に成功(1889年)したことでも有名です。

田城——北里先生は学者として王道を歩まれました。科学者として、物事の本質を見極める人。またその見極めたものを現場に応用するという人。病原を調べて臨床に応用する人。すなわち「人」としても誠実に生きた方です。

その誠実さは、学問的に間違っていることがあれば忖度(そんたく)することもしません。

脚気論争でも先生は自分の師匠、東大の緒方正規(おがたまさのり)の脚気細菌説を、学理の観点から論駁(ろんばく)します(「緒方氏の脚気バチルレン説を読む」89年『中外医事新報』)。恩師が間違っていると正直に言ってしまったのです。ドイツ留学中にです。

荒井——医学界で恩師の「間違い」を糾(ただ)すことはどういう意味でしょうか?

田城 明治の時代ですよ。しかも東大です。自らの「首」をかけることです。ただ、それでも言わざるを得なかったのは北里先生が真の科学者だったからです。

荒井——当然、帰国すれば、師を論破したのですから、医学の道では前途多難であるはず。が、しかし、世界で最高峰のコッホの研究所をはじめ海外の大学から研究者としての招へいを断って92年に帰国。案の定、東大医学部は受け入れません。なぜ、北里先生は日本に戻ってきたんでしょうか。

田城 自己の出世より祖国日本への恩返しと貢献だと思います。北里先生の実学の精神の根底にはやはり義理と人情があったんです。

荒井——北里先生の学問の根っこに「四書五経」を学んだという儒学の教えもあり、また義理が廃(すた)ればこの世は闇と感じる「人生劇場」の世界もあったのかもしれませんね。

田城 この後、内務省の衛生局で務められ、世界的な研究者が日本国民のために働くこととなるわけです。

荒井——私は改めて北里先生は国民こそ近代国家の主役だと考えて医道に邁進(まいしん)されたと感じております。当時は、人間の一人ひとりの命が大事にされない、富国強兵の時代です。にもかかわらず、先生は国民の健康のために立ち上がった。

官とは対決しましたが、それこそ福沢諭吉などが民の力を結集して伝染病研究所まで設立したんですよね。

■日本人の創造力実証から論へ、実践へ

田城 北里先生が25歳の学生時代に著あらわした演説原稿の『医道論(いどうろん)』(1878年)には学問を実学(じつがく)として活(い)かす理念が述べられています。

また医学の本質を摂生と予防であることも訴え、公衆衛生学の基本を身につけています。研究者であると同時に教育者でもあったのです。

研究者としては学理の受け売りでなく、自ら学理と向き合いながら議論するという科学者の基本も体得していました。ドイツ医学の模倣(もほう)ではなく、十分に学んで自らが創造する進取の精神を持っていたのかもしれません。

荒井——北里先生の精神を現在の医師、研究者は受け継いでいるでしょうか。

田城 現在の新型コロナの集団クラスター対策としての現場への働きかけ、三密(密閉・密集・密接)の回避の啓発(けいはつ)は公衆衛生的にしっかりと、当たり前のことを実践できていると思います。ですが、しっかりと役所が情報開示しているかと言えば、いまだに疑問です。

荒井——今回、お話で通底することは、医学は誰のためのものか、という問題意識と、その答えは国民のためにあるということを再確認できたと思います。

しかし、私たちが忘れてはならないのは脚気論争での軍閥、東大などの組織がメンツを守るために国民の命すら蔑(ないがしろ)にしてしまったという歴史的事実を私達は教訓とすべきと思います。

田城 医療現場での悲痛な声が組織や、政府に届くようにすることは、重要です。先の戦争でのガダルカナルの戦いやインパール作戦などの失敗にも見受けられるような作戦完遂の現場無視は必ず悲劇を生みます。

荒井 過去の失敗は「教訓のふるさと」と考え、しっかり今に活かし、未来へ伝承していかねばなりませんね。

《対談を終えて・・・荒井広幸》

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教科書にある森鴎外著『山椒大夫』。主人公は「なんでも姉さんの仰るとおりにします」と言う。権威への服従という主題です。兵士ファーストで陸海軍が共同実験さえしていれば、と悔いが残る。組織や自己主張・メンツを離れて考える勇気が欲しいものです。北里先生は国民こそ近代国家の主役だと考えて医道に邁進(まいしん)されたと私は感じております。

荒井 広幸

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