絶対的な「守護神」がチームを勝たせる! 球団別“史上最高”のクローザーは誰だ? 【セ・リーグ編】

絶対的な「守護神」がチームを勝たせる! 球団別“史上最高”のクローザーは誰だ? 【セ・リーグ編】

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/04/08
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今季のプロ野球は開幕直前になって延長戦を行わずに9回で試合を打ち切ることが決定した。つまり、クローザーたちはリードしている場面を待つことなく同点の9回でも登板する可能性が増え、これまで以上に存在感を増すことになるだろう。

彼らクローザーにかかる役割の重さは並大抵のものではなく、だからこそ大役を務めてきた各球団歴代の抑え投手たちの記憶はファンたちにも強く刻まれている。今回はそんな偉大な抑え投手たちの中から、セ・リーグ各球団“最高”のクローザーを私なりの視点でピックアップしてみた。(通算成績は2020年終了時点)

「阪神タイガース」 藤川球児

代名詞である「火の玉ストレート」を武器に、NPBでは阪神ひと筋の藤川球児を迷うことなくピックアップだ。05年にセットアッパーに定着するとジェフ・ウィリアムス、久保田智之とともに「JFK」と呼ばれ、47回2/3イニング連続無失点の球団記録を樹立した。

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藤川球児(photo by gettyimages)

07年は開幕からクローザーに抜擢され、46セーブを挙げてタイトルを獲得。その後も12年まで6年連続で24セーブ以上を稼ぎ、11年には41セーブで2度目の最多セーブのタイトルを手にした。13年からはメジャー移籍を果たし、カブス、レンジャーズで15年途中までプレー。四国アイランドリーグplusを経て16年から阪神へ復帰した。

以後は中継ぎ起用がメインだったが、19年には16セーブをマーク。昨季を最後に現役を退いた。通算243セーブはNPB歴代4位。

「中日ドラゴンズ」 岩瀬仁紀

NPBで歴代トップの通算407セーブを誇る岩瀬仁紀を選ぶ以外の選択肢はないだろう。社会人からのプロ入りで99年にデビュー。1年目から65試合に登板して防御率1.57と抜群の安定感を示して「最優秀中継ぎ投手」を受賞した。

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岩瀬仁紀(photo by gettyimages)

抑えを多く務め始めたのは04年からで、この年は開幕前に骨折しながらも22セーブをマーク。05年には当時のNPB新記録となる46セーブを稼いで名実ともに日本屈指のクローザーとなった。

06年には早くも通算100セーブに到達してリーグ制覇に貢献。翌07年にはNPB史上初の3年連続40セーブを記録し、日本シリーズ優勝にも尽力した。

その後も中日ひと筋にプレーした岩瀬。18年まで現役を続け、通算1002登板、407セーブはNPBの歴代最多記録として残っている。

「広島東洋カープ」 永川勝浩

印象に残るクローザーは何人かいるものの、実は最多セーブ数をマークした投手は92年の大野豊が最後という広島。球団最多の通算165セーブを挙げた永川勝浩もタイトルには縁がなかった。

永川は球団史上に残る大エースの北別府学が付けていた背番号20をもらって03年にデビュー。前年に抑えを務めた小山田保裕の故障もあって、いきなりクローザーを任されたが、25セーブを挙げて期待に応えてみせた。

以後は先発や中継ぎも経験するなど起用法がころころ変わったが、06年は27セーブを挙げてオールスターにも選出された。翌年からは31セーブ、38セーブ、36セーブと安定してセーブを稼ぎ、09年には大野が持っていた球団最多セーブ記録を更新した。

クローザーとして活躍したのはこの年が最後だったが、以後も中継ぎとして存在感を発揮して19年まで現役を続行。息の長い活躍を続けた投手だった。

「横浜DeNAベイスターズ」 佐々木主浩

山崎康晃も捨てがたいが、やはりNPB歴代3位の通算252セーブを挙げ、メジャーリーグでも活躍した佐々木主浩(横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ)に軍配が上がる。

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佐々木主浩(photo by gettyimages)

リリーフの印象が強い佐々木だが、デビュー当初はしばしば先発も経験。抑えに抜擢されたのは91年途中からだったが、この起用が大成功。スタミナを気にすることなく速球と自慢のフォークを投げ続けた佐々木は、あっという間に球界屈指のクローザーとして認知されるようになっていく。

92年からは本格的に抑え役を任され、95年からは4年連続で最多セーブをマーク。「ハマの大魔神」は他球団の打者や首脳陣を悩ませ続けた。2000年にはマリナーズへ移籍してメジャーデビュー。いきなり37セーブを挙げてア・リーグ新人王に選出されている。

04年からは横浜に復帰。19セーブを挙げ、翌05年を最後に現役を退いた。日米通算のセーブ数は381を数える。

「東京ヤクルトスワローズ」 高津臣吾

高津臣吾は佐々木とは同世代で、タイトルを争うライバルでもあった。佐々木同様にプロ入り当初は先発起用もあったが、93年に抑えに転向して頭角を現し、この年に20セーブをマーク。日本シリーズでは3セーブを挙げて優勝に大きく貢献した。

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高津臣吾(photo by gettyimages)

94年には最多セーブをマーク。99年にはキャリア初の30セーブを挙げた。

最も輝いていた時期は99年から03年にかけてで、5年連続で29セーブ以上をマーク。この間に「最優秀救援投手」のタイトルを3回獲得している。

04年には佐々木と入れ替わるようにメジャー移籍。ホワイトソックスとメッツでプレーした後、06年にヤクルトへ復帰すると、この年に佐々木に次いで史上2人目となる日米通算300セーブを達成した。

キャリアの晩年は現役続行にこだわり、韓国や台湾でもプレー。さらには日本の独立リーグでもマウンドに立ち続け、12年を最後にユニホームを脱いでいる。NPBでの通算286セーブは佐々木の252セーブよりも上で、岩瀬に次ぐ歴代2位。

「読売ジャイアンツ」 マーク・クルーン

V9の黄金時代を語るまでもなく強豪としての時期を長く経験している巨人。球界史に名を残すような先発投手を数多く輩出しており、セーブを稼ぐためには勝ち試合での登板が大前提となるクローザーにも大物がいるかと思いきや、意外とそうでもない。

80年代には角三男と鹿取義隆、そしてサンチェが抑えとして活躍したが、成績的には圧倒的というほどでもない。

90年代前半には石毛博史が2年連続で最多セーブをマークしたが、個人的には守護神と言うには不安定な印象の方が強い。槙原寛己や河原純一、上原浩治ら先発投手が抑えに回る時期が続いたこともあった。

岩瀬や佐々木、高津らのように、守護神として長年にわたって唯一無二の存在だった選手は見当たらない。そこで、異論はあるかもしれないが、ここではインパクトを残した点を評価してマーク・クルーンを推したい。

豪速球を武器に横浜で3年間活躍したクルーンが巨人へ移籍したのは07年オフ。

翌08年には日本最速記録(当時)となった球速162キロをマークしたほか、キャリアハイの41セーブを挙げて自身初のタイトルを獲得する。

09年は防御率1.26で27セーブをマークし、日本シリーズ制覇にも貢献。10年を最後に退団したが、角が在籍12年かけて残した球団最多の通算93セーブの記録にわずか3年で肩を並べた。

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