政府の「お決まり答弁」を生み出す、記者の質問方法の問題点。なぜ論点を明示して質問しないのか?

政府の「お決まり答弁」を生み出す、記者の質問方法の問題点。なぜ論点を明示して質問しないのか?

  • ハーバービジネスオンライン
  • 更新日:2020/11/21
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ご飯論法の「達人」、加藤勝信官房長官(時事通信社)

◆「国民の間にわかりづらいという声がある」

記者会見やインタビューの場での記者の質問の言葉遣いで、気になるものがある。「国民の間にわかりづらいという声がある」や「……という指摘がありますが、受けとめを」といった問いかけ方だ。

「追及型の質問をするとかえって相手の態度を硬化させ、何も答えてもらえなくなる。だから、批判的な姿勢ではなく、できるだけやわらかい形で問いを投げかけて、自由に答えてもらう方が得られる情報が多い」といった判断がそこにはあるかもしれない。けれども同時に、「追及型の記者だと目を付けられるのは困る」という事情もあるように思われる。しかし、それでいいのだろうか。

今回の記事では、「わかりづらいという声がある」という問いかけ方の問題を、事例から考えてみたい。このような問いかけ方は、論点をぼやけさせる問題があると同時に、理解できない国民の側に問題があるかのような誤解を生むと考えるからだ。

◆理解できない国民の側の問題か?

適切に説明責任を果たさない政府の側に問題があるときに、「国民の間に分かりづらいとの声がある」という問いかけをおこなうと、理解できない国民の側に問題があるかのような問い方となり、「これからも丁寧に説明していきたい」といったお決まりの答弁に回収されてしまう。そして、何が論点であるかがやり取りの中ではっきりしないままとなり、その論点について政府側が適切に答えていないことが見る者に可視化されないままとなる。

例えば10月9日の非公式のグループインタビュー(望月優大氏のnoteによれば、毎日新聞・朝日新聞・時事通信によるものとされている)では、日本学術会議問題について、次のようなやりとりがあった。映像からの書き起こしは筆者による(参照:筆者のnote)。映像のタイムスタンプはTBS映像によっている。

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●記者(TBS映像5:58~)

時事通信のオオツカです。引き続き、学術会議について伺います。学術会議側は、6人の任命を見送ったことについて、説明を求めています。総理自身が梶田会長とお会いし、直接説明される考えはありますでしょうか?

●菅義偉首相

今、あの……申し上げましたけど、日本学術会議については、まあ、省庁再編の際にですね、そもそも必要性を含めてそのあり方について、相当のこれ、議論が行われた経緯があります。その結果として、総合的、俯瞰的な活動を求める、まあ、そういうことになった経緯です。

さらに、この総合的、俯瞰的活動を確保する観点から、日本学術会議にその役割を果たしていただくために、まあ、ふさわしいと判断をされる方を、まあ、任命を、してきました。

こうしたことを今後もですね、まずは丁寧に説明していきたいというふうに思います。

また、梶田会長とはですね、日頃から、これ、事務局との間でコミュニケーション、これ、とっているというふうに思いますが、会長がお会いになりたいということであれば、私はお会いをさせていただく用意というのは、もっております。

●記者(TBS映像7:24~)

今おっしゃった、その総合的、俯瞰的な活動ということなんですけれども、どうしてもなかなか国民の方々にはわかりづらい部分だと思うんですが、総理としては具体的にどのような活動を求めているということなんでしょうか?

国民にもわかりやすいような判断材料をお示しいただければと思います。

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時事通信の記者が6名の任命を見送ったことについて説明を求め、菅首相が「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から」と答えた。その点について、さらに説明を求めたのがその次の記者の問いかけだ。声の調子から判断するに、時事通信の記者とは異なる記者の発言と思われるが、通常の記者会見とは異なり、記者は名乗ってから質問を行っているわけではないため、どの社の記者の発言であるかは判然としない。

この2番目の記者は、「総合的、俯瞰的な活動」という言葉にさらに説明を求めている。しかし、その時の説明の求め方が、「どうしてもなかなか国民の方々にはわかりづらい」「国民にもわかりやすいような判断材料をお示しいただければ」というものなのだ。

これではまるで、「私は菅首相のご説明はよくわかっているんですが、どうも国民は納得していないようなんです。ここはひとつ、もう少し丁寧に説明していただけませんか」と言っているかのようだ。この記者は菅首相の説明に納得しているわけではないだろう。それなのに、なぜそのような問いかけ方をするのか。

省庁再編の際に日本学術会議に総合的、俯瞰的な活動を求めるとされたのは、あくまで日本学術会議としての活動について求められたことであって、個々の会員を任命するにあたって求められた観点ではない。

(参考)総合科学技術会議「日本学術会議の在り方について」(平成25年2月26日)p.4

また、個々の会員の任命にあたって、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」から判断するものだというような法的な規定はないし、法解釈もない。日本学術会議法は第7条第2項において、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」と定めているのみだ。

だから、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」から任命の判断をした(そして6名については任命拒否をした)という菅首相の説明は、説明にならない説明、こじつけの説明だ。

それがこじつけの説明でしかないことを報じるための判断材料を得るために関連質問をしていることはわかるが、そこで「なかなか国民の方々にはわかりづらい部分」だというような言い方を記者側がしてしまうと、まるで問題があるのは菅首相の側ではなく国民の側であるようになってしまう。それは事実を曲げたおもねった聞き方であり、適切ではない。

◆NHKのインタビューでも「理解できないと国民は言っている」

このグループインタビューは報じるための材料を得ることが目的で、やりとりを可視化することは想定されていないから、どういう聞き方をしても問題ない、という見方もあるだろう。しかし、同じような聞き方は、10月26日のNHK「ニュースウオッチ9」でも有馬嘉男キャスターが菅首相に対して行っていた。

菅首相が生出演『ニュースウオッチ9』の質問に激怒し内閣広報官がNHKに圧力!『クロ現』国谷裕子降板事件の再来(リテラ2020年11月12日)

上記の記事から有馬キャスターの問いかけ方を抜粋すると、こうだ。最初の質問については記されていない。以下は、重ね聞きの部分だ。

「総理は国民がおかしいと思うものは見直していくんだということを就任前からおっしゃっていたと思います。で、この学術会議の問題については、いまの総合的・俯瞰的、そして未来的に考えていくっていうのが、どうもわからない、理解できないと国民は言っているわけですね。それについては、もう少しわかりやすい言葉で、総理自身、説明される必要があるんじゃないですか?」

「あの、多くの人がその総理の考え方を支持されるんだと思うんです。ただ前例に捉われない、その現状を改革していくというときには大きなギャップがあるわけですから、そこは説明がほしいという国民の声もあるようには思うのですが」

このように有馬キャスターが問いかけると、菅首相は、

「ただ、説明できることとできないことってあるんじゃないでしょうか。105人の人を学術会議が推薦してきたのを政府がいま追認しろと言われているわけですから。そうですよね?」

などと答えた。

このとき菅首相は険しい表情を見せており、「追認しろ」という箇所では特に強い口調となり、机を叩くような手の動かし方もしている。このような菅首相のふるまいを可視化させたという意味では、有馬キャスターが食い下がって重ね聞きをしたことには大きな意義がある。

しかし、「どうもわからない、理解できないと国民は言っている」「多くの人がその総理の考え方を支持されるんだと思うんです」という言い方は、やはりよくない。国民が理解できないのではなく、菅首相が整合的な説明を行っていないのだ。そのことはNHKのキャスターらも十分に分かっているはずだ。なのにこういう言い方をすると、理解できない国民が悪いという伝え方になってしまい、「丁寧な説明をおこなっていきたい」という返答が得られたらそれで一件落着、のような印象を与えてしまう。

毎日新聞と社会調査研究センターが11月7日におこなった世論調査では、6人の任命を菅義偉首相が拒否したことについて、「問題だ」37%、「問題だとは思わない」44%、「どちらとも言えない」18%という結果となり、「問題だとは思わない」者の割合が「問題だ」と思う者の割合を上回った。報道機関側が「国民には分かりづらい」といった聞き方をしているのでは、何が問題か、焦点がぼやけてしまい、政府の言い分が正しいと思わせることに加担してしまうのではないだろうか。

◆「説明が分かりづらいという趣旨」と要約されてしまった筆者のツイート

もう一つの事例として、筆者が関係する事例を紹介しておきたい。10月8日午後の加藤勝信官房長官記者会見における時事通信の記者の問い方だ。

この記者会見で時事通信の記者は、筆者が同日午前にツイートした内容について、こう問いかけた(首相官邸ホームページの映像10:51より)。

「学術会議に関連して、お伺い致します。昨日の午後会見で、1983年の国会答弁と2018年の文書の解釈に関する長官のご回答に関して、ご飯論法を世の中に広めた上西充子さんは、『エビチャーハンを作っていたのを玉子チャーハンに変えましたよね、という質問に対し、同じシェフが作っておりその点において何ら変わりがない、と言っているようなもの』と指摘しています。説明が分かりづらいとの趣旨かと思いますが、長官の受けとめをお聞かせ下さい」

私は「分かりづらい」と思ってそうツイートしたわけではない。11月7日午後の記者会見における加藤官房長官の説明が、説明になっていないことを論理的にわかってもらうために、チャーハンにたとえてツイートしたのだ。それが具体的にどういう文脈だったのかは、下記の記事で説明しているので、ぜひご覧いただきたい。

●④海老チャーハンと玉子チャーハンで考える|集英社クリエイティブ(2020年11月16日)

なのに、「説明が分かりづらいとの趣旨」とまとめられてしまう。それは筆者にとっては、非常に不本意なことだ。「分かりづらい」というのなら、わざわざたとえを使ってその説明のおかしさの論理構造を示すことなどしない。

なのに、「説明が分かりづらいとの趣旨」とまとめられてしまうことによって、加藤官房長官の答弁も、次のように意味のないものとなってしまった。

「まずそのたとえの意味がちょっと私には、にわかに分かりませんが、ただ、今おっしゃるように、その、説明が分かりづらいという指摘に対しては、しっかりと説明ができるように、さらに努力をして行きたいというふうに思います」

そしてこのやりとりが時事通信と毎日新聞で記事となったのだが、時事通信の記事は筆者のツイートの内容を紹介して「『ご飯論法』と同じ論理を展開した」とし、加藤官房長官の答弁をそれに加えただけのもので、このたとえが何を説明したものなのか、記事を読んでもわからないものとなっていた。

加藤官房長官が「チャーハン論法」? 学術会議の説明めぐり(時事ドットコム2020年10月8日)

それに対し毎日新聞の影山哲也記者の記事は、「1983年の『(任命)行為は形式的』との国会答弁と、2018年の政府文書の『推薦通り任命すべき義務があるとまでは言えない』との見解に関し、政府が憲法を根拠に『同じ考え方に立っている』(加藤氏)と説明したのを批判している」と、このたとえの意味を的確に解説してくれていた。

加藤氏の論点ずらし、今度は「チャーハン論法」 上西・法政大教授が批判 任命問題巡り – デジタル毎日2020年10月8日

時事通信がなぜ私のツイートを記者会見で話題にしたのか、その意図はわからない。けれども結果的に、そのたとえの意味がわからないという加藤官房長官の答弁が様々なネット記事でとりあげられ、私のツイートが意味の分からないたとえをおこなったものとして嘲笑される結果となった。それを気に病むわけではないが、やはりそれは不本意な展開だ。

ここで言いたいことは、つまり、「国民に分かりづらい」といった問いかけ方でさらなる発言を引き出そうとすることは、国民の側を不当に貶めるものであるということだ。

「誤解を招いたのならお詫びしたい」という謝罪の言葉が、自分の側の非を認めるのではなく「誤解」した側に責任を転嫁するものであるのと構造が似ている。相手の発言を引き出すためだとしても国民の側を不当に貶めるのはやめてほしい。そして、質問の中で、何が論点なのかを、はっきりと可視化してほしい。

◆東京新聞・村上記者の論理だった質問

その点において、11月7日午後の官房長官記者会見における東京新聞の村上一樹記者の問い方は適切だった。筆者によるチャーハンのたとえは、この村上記者の質問に対する加藤官房長官の答弁の論理的なおかしさを指摘したものだ。

そのやりとりはこういうものだった。

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●村上記者 東京新聞の村上です。日本学術会議の推薦についてお伺いいたします。今日の衆院内閣委員会で、1983年の国会答弁と2018年の文書とで、考えかたを変えたということではないとの答弁がありました。2018年の文書では「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」としています。しかし、83年11月の参院文教委員会の丹羽国務大臣の答弁では、「学会の方からの推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」と明確に述べています。これ、この場でも何度も訊いていますが、改めてお伺いいたします。考えかたを変えていないのであるならば、いまも推薦者は拒否をしないということになりますが、どうしてそうなっていないんでしょうか。

●加藤官房長官 あの、そこはすでにお配りをした文書でもありますが、憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定任命権が国民固有の権利であるという考えかたからすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではないという考えかたを確認をしたわけでありまして、昭和58年の国会答弁も当然、現憲法下、のもとでなされたわけでありますから、このような前提でなされたものであると認識をしております。

●村上記者 東京新聞の村上です。そうしますと、これも午前の会見とまた同じくり返しになってしまうかもしれませんが、昭和58年、1983年の国会での答弁も現憲法下でなされているということになりますと、83年の段階で「推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」、この答弁というのはそもそも妥当だったんでしょうか。

●加藤官房長官 そうした答弁ももちろん踏まえて整理をさせていただいているわけでありますし、あくまでも先ほど申しあげた確認文書の中身に沿って、これまでも対応してきたということであります。

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この村上記者の質問と加藤官房長官の答弁を聞けば、政府側の説明が説明になっていないことがよくわかる。エビチャーハン(83年の国会答弁)と玉子チャーハン(解釈を明確化したとされる2018年の文書)は、同じシェフ(任命権者たる内閣総理大臣)が作っている(ので、解釈を変更したものではない)といっても、やはり違うものなのだ。

このとき、村上記者は主観的な問題意識を示して問いかけているわけではない。政府側の説明では整合しない部分について、整理して論理的に問いかけているのだ。その問い方が明晰であったからこそ、加藤官房長官の答弁が、説明のつかないことを無理やり説明しようとしているものであることが明らかとなったのだ。

「国民に分かりづらい」というような問い方ではなく、こういう問い方が記者には必要ではないのか。

◆【短期集中連載】政治と報道3

<文/上西充子>

【上西充子】

Twitter ID:@mu0283うえにしみつこ●法政大学キャリアデザイン学部教授。共著に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。働き方改革関連法案について活発な発言を行い、「国会パブリックビューイング」代表として、国会審議を可視化する活動を行っている。『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』の解説、脚注を執筆。単著『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)、『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ)ともに好評発売中。

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