長寿老害社会だから理解しろ「不死身」より「死ぬ運命」の方が強い

長寿老害社会だから理解しろ「不死身」より「死ぬ運命」の方が強い

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/02/21
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ベニクラゲは不死研究の最先端

ベニクラゲは、「有性生殖をする生物」として不死である稀有な例であり、そのメカニズムが解明されつつある(無性生殖を行う生物は遺伝子に「死が組み込まれていない」から、事故や病気が無ければ、もともと不死である)。

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画像:新江ノ島水族館

たとえば、外敵に襲われて傷ついたり、水温や塩分濃度の変化によって生存に支障を来たすようになったとき、ベニクラゲは身体全体を団子状に変化させる。そして、ポリプという赤ん坊クラゲになる前の段階に戻るのだ。

この「再生」は1回限りではない。原理的には永遠に繰り返すことが可能であり、10回までの再生は確認されているようだ。

つまり、人間が手足を失ったり、食糧危機がやってきたりしたときに胎児や受精卵に若返って再び人生をやり直すようなものだ。

少なくとも秦の始皇帝以来(昨年2月22日の記事「どんな権力者でも『いつかは消える』から人類社会は発展した」冒頭参照)人類が求めてきた「不老不死」の実現に近づいているようにも見える。

また、バイオテクノロジーの発達ぶりを見ると、近い将来「不老不死」が実現できるようにも思える。だが、それは結局実現できない「錬金術」のようなものだと考える。

最近の科学の発達によって、金という元素(記号Au 番号79)がどのように生まれたのかは解明されつつある。しかし、地球がいくつも吹っ飛ぶような超新星爆発などを起こしたりして金を生み出すことは現実には不可能だし、そもそも意味がない。だから、2月8日の記事「コロナ危機で、じつは『銀行預金』より『株』が安全になりそうなワケ」で述べた、金の希少性はこれからも変わらないから、金の保有者は安心してよい。

同じように、人類は「有性生殖」の結果生まれた「極めて複雑に進化した生物」である。数の上では圧倒的な微小生物のほとんどは無性生殖であるから、有性生殖を行う生物は「エリート軍団」であり、人類はその頂点に立つ。

そして、有性生殖と死は不可分なのだ。考えてみれば当たり前だが、有性生殖というのは「古い個体が死んで、『新しい遺伝子ミックス』の個体が生まれなければ」成り立たない。つまり、有性生殖における「死は『進化』とワンセット」なのである。

ベニクラゲの「不老不死」も、ポリプは無性生殖を行うことと関係が深いと思われるから、結局人間には当てはまらないであろう。

しかし、落胆する必要はない。人間の死は無駄では無く、むしろ社会全体にとっては大いに意味のあることなのだ。

寿命は伸ばせるのか?

寿命を伸ばすことは可能かもしれない。ホッキョククジラは200年生きると言われる。

逆に、ネズミの寿命は約3年。IT産業黎明期には目まぐるしく技術や産業が進展することを「ドッグ・イヤー」と呼んだが、その時想定された犬の人生は7年(人間と共に生活環境が良くなっているので実際には10~13年程度とされる)である。

大きな個体ほど寿命が長いのは心拍数(大きい動物はゆっくり脈打つ)の影響があると言われるが、もしそうであれば、ゆったりとした気持ちで深呼吸をするよう心がければ長生きできるかもしれない……

また、衛生環境・食糧事情が劇的に改善されたことで、人類の平均寿命は飛躍的に伸びた。

織田信長は「人生50年」と謡ったが、それは当時の上流階級の話であり、生活環境が劣悪な庶民の平均寿命ははるかに短かったと考えられる。また、当時の極めて高い幼児死亡率を計算に入れればもっと厳しい数字になるであろう。「人生50年」は、あくまで生き残った人間の話なのだ。

国連の推計(2009年)では,1950年における世界全体の平均寿命は約46年だが、現在(2019年)では72歳を超えている。

そして日本では、男性でさえも平均寿命が80歳を上回り「長生きしすぎ」を心配するほどだ。

しかし、それらはあくまで「平均寿命」であって、人間の生物としての本来の寿命が延びたわけではない。

古(いにしえ)より、100歳前後までの長寿の例はしばしば報告されており、昨年12月28日の記事「晩年に成功する人生の必勝法『負け続けても最後に勝てればいい』」4ページ目で述べた天海僧正もその代表例の一つだ。

つまり、もともと人間というのは環境が整えば120歳くらいまで生きることが可能な存在と考えられるから、本来的(遺伝子的)な意味で言えば、現在の人類の寿命は伸びていないと言える。

遺伝子操作とは言っても……

サーチュイン遺伝子、テロメアなど遺伝的に寿命を制御する存在もわかってきた。しかし、まだまだこれらの研究の先は長い。

ヒトゲノム計画が2003年4月に終了したことから、人間の遺伝子の研究は進んでいると誤解されがちだが、古代文字の解読と考えれば、ロゼッタストーン(古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字の三種類の文字で記述されている碑文)が発見された程度にしか過ぎない。

しかも、ロゼッタストーンのそれぞれの文章は、基本的に「1対1」であるが、遺伝子と現れる形質(髪や目の色、運動の敏捷性など)とは必ずしも1対1ではなく、無数の遺伝子が1つの形質に影響を与えることも多い。古代文字の解読よりもはるか困難なのは明らかだ。

「遺伝子操作」は倫理面も含めて色々な議論を呼ぶテーマではあるが、今のところいわゆるデザイナー・ベイビーを始めとした話は幻想であり、人類の「遺伝子操作技術」はまだごく初期の段階にしか過ぎない。

しかし人類が不死になることが望ましいのか?

もちろん私も数限り無い煩悩を抱える身として「不老不死」には大いに興味がある。

しかし、1月25日の記事「企業競争力の源泉=個々の従業員の長所は後からいくらでも伸ばせる」3ページ目で述べたように「変えられないことを受け入れる」ことは大事だ。

しかし、そのような受け身の意味だけではなく、「死には積極的な意味」がある。

もちろん、それぞれの個人が「不老不死」を望むのは自然だが、「死」は社会全体としてのメリットが大きいのだ。すでに述べたように、「『死とセットになった有性生殖』が無ければ、高度な知能を持つ人類は誕生しなかった」であろう。

言ってみれば、「死」そのものが人間が高度な文明を生み出すことができた秘訣であり、人間の「死」は社会の発展に必要不可欠なのだ。

そもそも、人類が何千年も何万年も生きたとしたら、嫌な先輩(上司)が永遠に存在することになる……

さらには、すべての利権や階級が固定化され、「個人の死によってスタートラインに戻る」ことも無くなる。

兵馬俑を見ても、秦の始皇帝が「不老不死」によって自分が皇帝である世界を維持しようとしたことは明らかだ。秦で虐げられる農民の一人として未来永劫生きるのは、まさに「生き地獄」と言える。

不死身の集団は全滅する

ある進化生物学者の興味深いコンピュータ実験シミュレーションがある。

「不死のチーム」と「(個人が)死ぬ運命にあるチーム」とをゲームで対戦させたのだ。すると、「死ぬ運命にあるチーム」が勝利するという結果が出た。

「不死のチーム」は、個々のプレイヤ―の技量が向上するが、あくまで持って生まれた素養の範囲内であり、成長スピードも緩やかだ。

しかし「死によって選手交代」するチームは、選手が交代することで「進化」していく。突然変異などもあり、有利な能力を持った選手が生き残っていくから「革命的変化」によって「不死チーム」を凌駕していくのだ。

人間自身が人間を改造できるようになっても……

サイボーグ、遺伝子操作などが騒がれるが、そのような「能力の改善」は実のところ「現代の人類の浅知恵」でしかない。

そもそも36億年ほど前からの生物の進化と「人間の浅知恵」は何の関係も無い。人類は「高度な知的生命体」だとうぬぼれているが、その「高度な知的生命体」を生み出したのは数十億年にもわたる生物の進化だ。

そして「進化」が大成功したのは「浅知恵で予想しない」からである。「未来は予想できない」から、ただ「遺伝子の組み合わせ」を無数に試し「適者生存」してきたのだ。

そして「遺伝子の組み合わせ」を無数に試し「適者生存」するために、「生物個体の死」は必要不可欠なのである。

だから「死を迎えるすべての人々は、人類の発展のために貢献している」と言って良いかもしれない。

式年遷宮は極めて高度な文化かもしれない

この生物進化の原理はすべてにおいて普遍的だと思う。

例えば、古代ローマ帝国は当時としては偉大な国家であったが、今から見れば「侵略戦争ばかりを行う『悪の帝国』」であった。ローマ帝国が滅びたからこそ、現在の民主社会があると言っても過言ではないだろう。

組織に「死」があるからこそ、より良いものに「生まれ変わる」ことができるのだ。

その点で、日本は「死による再生」の扱いに関しては世界トップクラスの文化を持っていると思う。「伊勢の神宮」の「式年遷宮」は極めて合理的な手法だ。

昨年8月14日の記事「日本が『有事』にめっぽう強い『これだけの理由』」2ページ目で触れた式年遷宮は20年ごとに、社殿を始めとする一式を「再生」する。

20年で「死」を迎えさせるのはもったいないとも思えるが、「死」が無ければ発展も無いということを如実に示す行事だと考える。

持統天皇4年(690年)から始まるこの「死と再生の伝統行事」こそが、少なくとも1400年という「日本の不老不死」に大いに役立っているはずだ。式年遷宮文化が、災害多発国家であり、何回も「ご破算」になってきた日本が「不死鳥」のようによみがえってきた秘訣だと考える。

個人や個々の組織の死が、より大きな日本(あるいは人類)という枠組みの「不老不死」につながるのだとしたら、我々が忌み嫌う個人の「死」というものに重要な意味を見つけることができるはずである。

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