原宿は「ダメ!補導される」、共学大は「ダメ!女として不幸になる」と母親に縛られ続けた結果

原宿は「ダメ!補導される」、共学大は「ダメ!女として不幸になる」と母親に縛られ続けた結果

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  • 更新日:2023/09/19
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母は先のことを考えて、娘が損をしないように、無駄足をふまないようにと考えてのことだったったかもしれないが、娘は「将来を潰されてきた」と感じていた。大学卒業後から没交渉であったが、孫の誕生を期に行き来を再開。しかし母は孫娘にも同じことを……。

大人になってから、母親の「呪いの言葉」を受け止めながら成長してきたと気づくことがある。そこから脱するには相当の努力が必要だ。ようやく脱したのに、今度は自分の娘に母親の毒牙がかかることもある。

決めつけの言葉に震えた日々

「私が何かやろうとすると、母はネガティブな言葉をかけ続けるんです。母としては悪気はない。転ばぬ先の杖みたいな感覚なんでしょう。でも私は、母によってさまざまなチャンスを失ってきた。そう思ったのは大人になってからです。渦中にいるときは、母の『呪いの言葉』を信じていたから」

そう言うのはリカコさん(43歳)だ。ひとりっ子、両親は不仲。そんな状態で育ったリカコさんは、「母の所有物」だったという。

「小学生のとき、友だちの間でアイススケートが流行ったことがあったんです。私もスケートを習いたかったから、母に言ったら『スケートはダメ。転んで頭を打ったら死んじゃうのよ』って。言い方がすごいでしょう? スケート教室なんだから転ばないようにちゃんと教えてくれますよ。

今ならそう思うけど、当時の私には、死んじゃうんだということだけが伝わってきて怖くてたまらなかった。一事が万事、そうだったんですよ」

原宿はダメ! なぜなら「補導される」から

中学生のとき、友だちと原宿に遊びに行こうという話になった。クレープを食べて街を歩くだけだ。だが母は大反対。「補導される」と彼女を脅した。昼間の原宿でいきなり補導されるはずもないのだが。

「高校生になると、こちらもちょっと知恵がつく。着替えを持っていって制服から着替えて遊びに行っていました。でもあるとき、私たちがいつも着替えている駅に母親が立っていたんです。びっくりした。私の日記を盗み見たんですね。

『あんたをそんな不良に育てた覚えはない』と友だちの前で号泣したので、みんなドン引きでした」

大学は女子大へ行けという母の思いを裏切って、共学しか受験しなかった。母は、「あんたは女として絶対に不幸になる」と言い放った。

「そんなふうに娘を陥れて、おかあさんは楽しいの? 母親なら娘が自由に自分の意志で生きていることを応援するべきなんじゃないの? とあるとき冷たい口調で聞いてみたんです。母はなにも言いませんでした」

就職するとすぐ、リカコさんは家を出てひとり暮らしを始めた。母には住所も知らせなかった。父にはこっそり伝えておいた。

子どもが産まれて

リカコさんは30歳のとき、職場の同僚と結婚した。共働きのため、夫の母親がさりげなく応援してくれた。

「義母は本当に優しい人です。なにも押しつけてこない。母親なのに上から目線でものを言うこともない。義母に、私の母のことを話したときも黙って聞いてくれて『あなたの心の苦労を思うと言葉がないわ』と泣いたんですよ。

数少ない信頼できる人に母のことを話したことはあるんですが、みんな『それでも親子だから、断絶しているのはよくないよ』『わかりあえるよ』と言うばかり。誰も私の心情を理解してくれなかった。夫は理解しようとはしてくれた。でも義母はまず私の心に寄り添ってくれた。それがありがたかった」

義母が説教めいたことを言わなかったからこそ、出産後、ふと母に連絡をしてみようかと思った。義母に言うと「いいと思う。でもあなたが嫌な思いをしないようにね」と言ってくれた。

娘が生後3カ月たったころ、連絡をとると母は飛んできた。リカコさんは、母が一言でも「今までごめんね」と言ったら、すべて水に流すつもりでいたが、母からそういう言葉はなかった。それどころか、娘が自分に心を開いたと思ったのだろう。顔色をうかがいながらも、ときおり訪ねてくるようになった。

「私が職場に復帰してからは、週末ごとに来たがるので、来ないでほしいとピシャリと言いました。そうしないと元の木阿弥だから」

ただ、娘が4歳になったころ、助けてくれていた義母が転倒して足を骨折してしまった。とたんにリカコさんは困り果てた。定年退職したものの仕事を続けている義父が、週に2回くらいならなんとかなると言ってくれたので、リカコさんは他の日は夫と連絡をとりあって娘を迎えに行くことにした。

だがその間、夫の出張があったりリカコさんがどうしても定時で帰れなかったりしたことが続いた。

失敗だった……実母が孫に「呪いの言葉」

「どうしようもなくて母に連絡しました。母は飛んできて『だから最初から私を頼ればよかったのに』と勝ち誇ったように言いました。どうにもならないときだけ助けてほしいと言ったら、もっと頼っていいわよって」

ところがこれが失敗だったとリカコさんは言う。母はせっせと孫娘に「呪いの言葉」をかけていたのだ。

「以前から娘がピアノを習いたいと言っていたんです。そろそろいいかなと思って5歳の誕生日に『ピアノ習う?』と聞いたら首を横に振る。どうしたの、ピアノ嫌いになったのと聞くと『ピアノなんて習っても何にもならない、お金の無駄だっておばあちゃんが言った』と。

じゃあ、バレエは、日本舞踊はと娘が興味をもっていることを並べたのですが、『あたしはお嫁さんになるから、なにもしなくていいんだって』と言い出した。時代錯誤も甚だしい。年端もいかない娘に何を吹き込んでいるんだと私は頭から湯気が出そうになって」

翌日、実家に行って母を責め立てた。すると母は「あんただってピアノやバレエを習ったけど、結局、なにも役に立たなかったじゃない」としれっと言う。

「もう二度と、うちには来ないでと怒鳴って実家を後にしました。義母と相談して、娘がまた何かに興味をもつように少しずつ考えていこうと。ただ、子どもはすぐ忘れてくれて、しばらくしたらやっぱりピアノを習いたいというのでホッとしました。

別にプロになるなんて考えていません。趣味でいいから楽しめることを持っていてほしいだけ。好きなことを増やしてあげたい。そのほうが人生楽しいから」

それから8年、中学生になった娘はバレーボールに夢中で、ピアノのレッスンは中断している。だが週末になるとピアノを楽しそうに弾いてる。早く母と引き離してよかったと、リカコさんは心から思っているそうだ。

母とはあれきり、ほとんど会っていない。父とはたまに連絡をとりあっているが、母はたまに自身の妹と出かけたりするくらいで、静かに暮らしているようだ。両親もそろそろ70代。親が困ったときに自分はどういう態度に出るのだろうと考えてみるが、答えはでない。

亀山 早苗プロフィール

明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))

亀山 早苗(フリーライター)

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