オカンといっしょ #5 White(前篇)

オカンといっしょ #5 White(前篇)

  • 文春オンライン
  • 更新日:2017/09/15

その日の隠れ場所は、近所の公園の物置小屋の裏側に決めた。風が吹くたびに、木の上に生い茂っているたくさんの葉っぱが揺れている。

隠れていると、僕はいつもあの子に見つかる。振り返ると、あの子は無言で僕を見ている。

あの子の頬っぺたは赤みがかっていて、お花畑の絵が描いてあるワンピースを着ている。僕が着ている服には、穴が空いている。

特にこれといって言葉を交わすこともなく、二人で歩いて学童に戻る。

この街はちょっとしたスラムで、何十年も前に開発が止まり、昭和のままずっと置き去りにされている。

公園から帰る道中には、廃墟のままになってるファミレスがあって、窓ガラス越しに、真っ暗な店内が見える。

あの公園の横には、廃車になった車が捨てられている。

次の日は、その車の中に隠れた。もうまともに走らない、ぶっ壊れた車。

自分がもしも車だったとしたら、こんな車になるんじゃないかと、その時に僕は思った。

もう走らないオンボロの運転席で、いつの間にか眠った僕の頬っぺたを、指でつんつんして起こしてくる。

今日もまた、あの子に見つけられた。

なんでいつも、見つけ出すねん。

僕は内心、鬱陶しいと思っていた。もちろん、そんな事を口に出して言ったりはしない。僕は人と喋るのが苦手だったし、あの子もそれほどお喋りじゃなかった。

まだ8歳の、あんまり喋らない二人が無言のまま、バッテリーが切れかけのオモチャみたいにゆっくりとした足取りで、学童に戻っていく。

学童の中は、いつもサイが暴れた後みたいに散らかっていて、真ん中に陣取っているのは人間の皮膚で作ったみたいな肌色のソファー。

そのソファーは、破れた所から、ぬいぐるみの中から出てくる綿みたいに、中身がちょっとだけ飛び出ている。

そこにはいつもオバンが座っている。

「タカユキが消えてもあの子が見つけてくれるから、いつも安心やわ」

そう言って笑った。

オバンは、よく映画に出てくるウーピー・ゴールドバーグに似ていて、クリーム色のエプロンを付けていた。

大人はいつも疲れてくたびれているけど、オバンだけは大人なのにいつも元気だった。

子どもの心を持ったまま大人になったから、大人っていう感じがしなくて、一番年齢が高い、皆の友達みたいな感じ。

ハンマーヘッドシャークみたいな石頭の大人達とは種類が違っていて、今日生まれたみたいな心で、ずっと生きている。

遠くの国で誰かが死ぬたびに自分の事みたいに悲しんで、かき氷にかけるみぞれのシロップみたいな、大粒の涙を流した。

おやつの時間になると、ラジカセでボブ・マーリーの音楽を流す。ボブ・マーリーは、もう死んだ黒人のオッサンで、レゲエの神様だったとオバンが教えてくれた。

こんな音楽を作れる人がもう死んだって聞いて、僕は何だか悲しくなった。

ある日、オバンが僕にだけこう言った。

「あの子に優しくしてあげて」

「なんで?」

「アンタの事、好きって言ってたから」

8年後、高校の音楽室。目が見えない音楽の先生。授業が始まると、先生の目が見えないのを良いことに、ほとんどの生徒がこそこそと遊ぶ。

ある奴はケータイ。ある奴は漫画。ある奴は飯を食い、ある奴は眠る。

全ての表現者の頭の中には、エンターテイメントを食べるバケモンが住んでいる。エンターテイメントを吸収しまくってそのバケモンを太らせていき、太りすぎたそいつの腹が爆発した時に、新しいエンターテイメントが生まれる。

あの盲目先生の頭の中にも、そのバケモンは住んでいる。

遅刻した生徒はまず職員室に行き、入室許可証を貰わなければならない。

「また君か?」

僕にそう言った教頭は、太っていた。

「はい」

「いつも遅刻して来て、そんなんやったら、社会に出た時やっていかれへんぞ?」

社会によって、バリアフリー化された脳みそから出て来る言葉ほど、つまらないものはない。

「将来、何になるつもりや?」

母とコンタクトを取りに行く電車内でも、母に同じ事を聞かれた。
その時僕は、まるで何かになる事を強制されているような感じがして、水中で深呼吸したみたいに息が詰まった。

「おい、聞いてるか?」

ずっと、裏返さずに金網の上で焼き続けた焼肉のように、考えが焦げ付いている。そういう大人達を、僕は心底バカにしていた。

今、目の前に居る教頭なんてまさにその最たるものだ。

「さっさと教室に行け。……あと、顔をちゃんと出せ」

気づいた時には髪は伸び放題で、僕は井戸から出て来た直後の貞子と同じ髪型になっていて、前髪で自分の顔を完全に隠していた。

教室のドアを開ける。授業を受けている全員がこちらを一瞥するも、すぐに顔を黒板に戻す。

その一瞬だけ向けられた視線で、全身がヒリヒリした。人間の目からはきっと、薄い光線のようなものが出ている。

席に着いて、目を閉じる。

再び目を開くと、いつの間にか授業は終わっていて、皆、帰っていた。

「なあ」

頭上から、声がする。顔を上げると、女が僕を見下ろして居た。その女は、自分がレズだという事を公言していた。

レズって、世界にどれくらいおるんやろ?

レズは女なのに、野球少年のような短髪で、女子プロレスラーのような体つきをしていて、パッと見、女だと分からないくらい、ほとんど男に近い外見をしていた。

「皆、アンタの事、ヤバい奴って言ってたわ」

自分の事をレズやって公言してるお前の方がヤバい奴やろ? と、僕は思った。

「それがどうした?」

僕は、久々に声を発した。オレって、こんな声してるんや? 頭の中に反響する自分の声を聞いて、そう思った。

「なあ」

「なんや?」

その時、僕がずっと机に押し付けていた、シャーペンの芯が折れた。その芯が吹っ飛んだ先を見ながら、レズは言った。

「オナニーとかするん?」

こいつは女なのに、どうしてオナニーとか平気で言えるんやろう?

「ああ」

全くモテない人間にも、性欲は平等に分配されている。行き場のない、持て余しているだけの衝動ほど残酷なものはない。

新しい命の種は、いつもティッシュの上で死滅する。まるで自分で自分を殺しているみたいだ。

「僕のイメージやねんけど……」

レズは、自分の事をいつも僕と言った。中身は完全に男なのだ。だから、男と喋っていると思う事にした。

「アンタは、死体の事とか考えてオナニーすると思ってたわ」

レズはまるで、巨大なドーナツの真ん中の穴をくぐる肥満児みたいに、無邪気な顔をしながら言った。

「……どんなイメージやねん。そんな人間おったら、ゾンビ映画は最高のおかずや」

つづく(※小説「オカンといっしょ」は毎週金曜17:00に公開します)

(ツチヤ タカユキ)

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