スポンサーゼロでも、負けてばかりでも...カーリング男子が見続けた夢

スポンサーゼロでも、負けてばかりでも...カーリング男子が見続けた夢

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2018/02/15
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1998年長野五輪、開催国枠で出場したカーリング日本代表は男女とも出場8チーム中5位と健闘し、世間の注目を集める。その流れに乗って、連続出場を続ける女子代表の一方で、4大会連続で出場を逃した男子代表は、この平昌大会で初めて自力出場を果たした。長野五輪、軽井沢で行われたカーリング競技。ひとりの少年が観客席に座っていた。あれから20年、その少年が平昌五輪代表チームの舵をとる。

スポンサーゼロでも負けてばかりでも海外遠征へ

「ショットの種類もルールも、何もわからなかったけど、会場の熱気だけは覚えています。カーリングなんて全然知らなかったけどこんなに盛り上がるんだなあ、と。子供心に」

1998年の長野五輪、地元のスカップ軽井沢でカーリングを観戦した両角友佑(もろずみゆうすけ)は半生をかけて取り組む競技との出会いをそう振り返る。平昌五輪カーリング男子日本代表、SC軽井沢クラブでスキップ(最終投者)を務める友佑は、当時中学1年生、13歳だった。

その年のうちに、初めてカーリングのシート(ゲームで使用する整備された氷上のプレイエリア)に立ち、ストーンを投げ始めた。

翌99年には、現在も師事する長岡はと美をコーチに、SC軽井沢クラブの前身である「AXE(アックス)」を結成。2005年にSC軽井沢クラブとチーム名を変える頃にはジュニア世代で結果を出し、現在のメンバーが集まった07年の日本選手権では初の優勝を果たす。

しかし、五輪への道は険しかった。

カーリング女子は02年ソルトレイク、06年トリノ、10年バンクーバー、さらには14年ソチまで、長野を起点にすべての五輪の地を踏んでいるが、男子は平昌が長野以来20年ぶり、開催地枠以外で初の五輪出場となった。

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スキップとしてチームを牽引する両角友佑

この明暗はどこに分岐があったのかといえば、スポンサーの有無は大きな要因だろう。

女子カーリングは、ソルトレイクで小笠原(旧姓小野寺)歩と船山(旧姓林)弓枝ら、現在もカーリング界をリードする選手が五輪の地を踏んでいる。

続くトリノとバンクーバーには今回の平昌の女子代表であるロコ・ソラーレ北見(以下LS北見)の主将・本橋麻里、前回のソチには同じくLS北見の吉田知那美、それぞれ次の4年に繋がる選手を送り込んでいる。

彼女らの活躍は「カーリング娘」や「マリリン」、「カーママ」などといった愛称でさかんに報道されて、人々の注目を集め、CMの依頼がくるようになり、競技をサポートする企業や団体も増えた。

たとえば、ローソンやカシオ、北海道銀行や中部電力、ヒト・コミュニケーションズなどといった大手企業が並ぶ。

社会人になってからも競技を続ける選手への支援は、会社の名を冠した部活動、つまり所属企業で働きながら競技を続ける実業団のケース、合宿や遠征の費用を負担してもらうスポンサー契約を結ぶケースに二分されるが、少なくともカーリング女子は、この20年間、20人に近いトップカーラーは競技だけに集中できる環境が整っていた。

男子に話を戻すが、その当時、彼らのスポンサーはほぼゼロに近い状態だった。

今回の代表となったSC軽井沢クラブの選手たちは、学生時代、あるいは大学を出てもなお、避暑地、観光地である軽井沢でアルバイトをして、ほぼ自腹で毎秋、カナダ遠征を決行した。

「レンタルボートの受付や軽食の調理。何でもやりましたよ。ソフトクリームを上手く巻ける競技があればメダルに絡めるでしょうね(笑)」

そう笑うのは地元・軽井沢の名勝・塩沢湖の湖畔のカフェで働いていた、両角友佑の弟でリードの公佑だ。

ワールドカーリングツアーに参戦するために巡ったカナダでは、優勝に絡むことはおろか、賞金にありつく上位入賞すら稀だった。予選敗退だけを繰り返して帰国した年もある。食事は、A&W、バーガーキング、ウェンディーズ、マクドナルド、ティムホートンズといったファストフードのローテーションだった。安ホテルのひとつのベットに男同士で眠ることも珍しい話ではなかった。

それでも友佑は「世界に触れ続けないと世界では勝てない」と強く主張し、カナダへ渡り続けた。「どんな田舎町にも、銀行と教会とカーリング場はある」といわれるカーリング王国・カナダの最前線で、勝てなくてもそこに挑み続け、世界の戦術と技術を学んだ。

「予選で負けて、それでもずっとホールに通って何試合も観ました。面白かったし、そこには必ずヒントが転がっていた」

SC軽井沢クラブのチームカラーは徹底したオフェンス(攻撃)重視にある。「リスクを避けるよりも、そのショットが決まった場合のメリットを選びます」と友佑は言い、どのゲームでも攻め切った。それはカナダで学んだものに他ならない。

もちろん、攻撃的カーリングを貫いた結果、国内で負けるシーズンもあった。「もっとリスクを減らさないと勝てない」と批判されたことも一度や二度ではない。それでも「世界で勝つために、とか言うとカッコいいですけど。単純にね、攻めた方が面白いっすよ、カーリング」と友佑は笑いながら語ってくれたことがある。

結果が出なくても支援してくれた人々が財産

また、SC軽井沢クラブは国内初優勝の07年から10年以上、メンバーを入れ替えていない。シーズンごとに移籍が活発に行われるこのスポーツでは、ある意味でかなり異色のチームであり、今回の平昌五輪に出場する10カ国で、最も長く同じメンバーでプレーし続けているチームでもある。

メンバーを変えず、信条を曲げずにトライし続け、初出場だった09年の世界選手権は10位、2度目の13年は11位と世界の壁にぶつかりながら、3度目の14年大会では5位までジャンプアップ。翌15年大会では6位、16年大会は4位と日本男子カーリングの世界大会最高位まで駆け上がった。世界中位のポジションは確保したと言っても差し支えないだろう。

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前列左から両角友佑、清水徹郎、山口剛史、両角公佑、後列左からフィフスの平田洸介、コーチの長岡はと美

「やっぱりここ数年です、変わってきたのは。結果が全てなんだなと思い知ります」

そう実感したと言うのはセカンドの山口剛史だ。

まずは、メディアが集まった。

前述の女子だけが注目されていた時期は、国内最大タイトルである日本選手権の決勝ですら、ほとんどの記者はスルーしていた。今では笑い話だが、女子の会見場に急いで向かう記者に「どいて!」と怒鳴られたこともあるという。

今はテレビ、新聞、雑誌。多くの記者が彼らを囲んで試合結果から家族構成、趣味や好きな食べ物まで根掘り葉堀り質問をする。検索エンジンで「カーリング男子」と入力すれば様々な情報が乱れ飛ぶ。

続いてスポンサーがついた。

メインにはCITIZENという世界的企業、さらにエステーや大東建託といった国内トップメーカーが続く。

今秋のカナダ遠征では高級ステーキハウスチェーン「Keg」での食事を楽しんだと教えてくれたのはサードの清水徹郎だ。

「貧乏な頃は憧れだったけど、最近、やっと食べられるようになりました。最高に美味しかった。ありがたいですね。ますます頑張ります」

しかし、多くのことが改善されてきたカーリング界だが、「それでも」と両角は言う。

「あくまで僕は、ですけど。勝てなかった時代イコール苦しかった時代では決してないんですよ。メディアの方々は負けている時期を苦労話にしたがるけれど、当時もけっこう恵まれていた気がします。だってカーリング、ずっと続けてこられたんですから。それが一番、ありがたい。『頑張れよ』と声をかけてくれた人も遠征代をカンパしてくれた人もいる。苦労したことよりそういう人たちがいてくれたことが財産ですね」

先日、JCA(日本カーリング協会)主催で平昌五輪への記者会見が行われた。カナダ遠征から帰国して参加予定だった女子のLS北見は雪の影響で大幅に遅れ、まずは男子のみが80人を超えるメディアに囲まれた。その中心にいたのは20年前、ルールも知らない少年だった両角友佑だ。

カーリングやってみたい。あの熱気の中に立ってみたい。世界と互角に戦いたい。カーリングをメジャーにしていきたい。20年間、彼らの夢は少しづつ、輪郭がはっきりしてきた。そしてそれは最大の舞台、五輪を経てまた変わるのだろうか。男子カーリングの未来は彼らに委ねられている。

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