明日は閻魔様のご縁日 閻魔信仰の本当の意味とは?

明日は閻魔様のご縁日 閻魔信仰の本当の意味とは?

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  • 更新日:2022/01/15
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新宿・太宗寺の閻魔大王の左側に鎮座する奪衣婆

今ではすっかり忘れられた言葉に「藪(やぶ)入り」というものがある。江戸時代には特に盛んになったが、商家などに勤める奉公人たちが、年に2回、親元などに帰ることのできる休日のことをこう呼んだ。

その頃、10歳くらいになると、豊かでない家の子どもたちは、家から出され、人手が必要な家に奉公することが通常だったので、雇い主たちはたくさんのお土産を持たせて親元へと送り出していたのだとか。年にたったの2回でもあり、いい話なのか哀れを誘う話なのかは判断がつきかねるが、どんなひどい雇い主でさえ、年に2回はお休みとともに温情をかけたという日なのである。

帰省の習慣のはじまり

もともとは、嫁入りした娘が実家へ帰ることができた日だとか、由縁はいくつかあるようだが、「藪入り」とは正月とお盆の16日を指している。もちろん、以前は旧暦のことであったが、現在の暦になってからは、1月16日と7月(あるいは8月)16日がこれにあたる。藪入りという名の由来も、この日である理由もはっきりしたものは今ではすっかり分からなくなってしまったようだが、正月とお盆に「帰省をする」という習慣だけは、現在もしっかり定着しているようだ。

「地獄の釜の蓋もあく」日=藪入り

商家では忙しい時期が過ぎ、「正月送り」「盂蘭盆」も過ぎたあたりで、店なども一段落することから奉公人がいなくても手が足りる時期と判断してのことだろうか。

こんな日は、きっと地獄もお休みだろうと考えられたのか、藪入りの日は「地獄の釜の蓋もあく」日として、地獄の鬼たちもお休みして、罪人たちに責め苦を与えるのを休むのだという。このことから、地獄の番人として名高い閻魔大王の縁日=賽日(さいにち)ともされ、人々は閻魔詣でに繰り出すようになった。藪入りの習慣が先なのか、賽日が先なのか、こちらも今でははっきりとしない。深読みすれば、奉公先は地獄と同等の意味を持っていたということなのかもしれない。

賽の河原で石積みをする子どもたち

ところで、以前の稿でもご紹介したが、日本では閻魔信仰は独特の進化をしてきている。閻魔大王と地蔵菩薩を同一視して、閻魔大王が地獄で罪人たちを裁く一方で、地蔵菩薩があの世の人々たちを救済するというものである。

地蔵菩薩がもっとも救済するのが幼くして亡くなった子どもたちだとされる。三途の川のほとりにある「賽の河原」は、親に先立って亡くなった子どもたちがいる場所と言われ、父母供養のために河原小石を100個積み切れば、あの世に旅立てるが、99個になった時、獄卒(鬼)が蹴飛ばし崩してしまう。これを表して「賽の河原」=「際限なく無駄なこと」を意味する慣用句となっている。この子らを救うのが地蔵菩薩と言われ、多くのお地蔵さまが市中に作られることとなっていく。

三途の川の渡り方で罪の重さがわかる

また、三途の川の対岸には、閻魔大王の前に引き出される前の罪の重さを測る懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)という魔物が待っている。着ていた服を脱がせ、衣領樹(えりょうじゅ)に掛け、枝のしなり具合から服の重さを測り、三途の川をどのように渡ってきたか、つまりどのくらいの罪を背負っているのかがわかるのである。罪なきものは、裁判に引き出されることなく、また罪深きものは地獄行きへの裁判官の前へ引き出される。

日本人が持つ地獄の概念ができたのは

この裁判官の中心人物が、日本では閻魔大王となった。海外の他の仏教国でも地獄の様子にはさまざまな説があるが、われわれの知る地獄の概念は平安時代の日本のお坊さま(源信)が描いた世界観によるところが大きい。また、日本には歴史的に面白い人物がいて、小野篁(おのの・たかむら)という官僚は、昼は朝廷で夜は地獄で閻魔大王のそばで働いていたという。篁が地獄との行き来に使っていたという井戸が、京都の六道珍皇寺に今も伝わる。ちなみに小野篁は、源信よりも前に生きた人物なので、篁の通った地獄とわれわれが今イメージする地獄とはちょっと違うのかもしれない。

嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる

友人から「閻魔さまを拝むのはなんで?」と聞かれて「死んだ後に手加減してもらうためじゃない?」と答えたのだが、果たしてそれだけだろうか、と思い返すことがある。あるお寺では、閻魔さまのご利益に「子授け」や「子育て」がある。子育ては、各お寺に伝わるエピソードでよくわかる。道をはずした子どもを閻魔さまの前に引き連れて、お坊さまに地獄絵図の絵解きをしてもらったところ、まっとうになったといった話である。閻魔さまのそばにある「やっとこ」は見るだけで怖い。では「子授け」は、と言えば、転生した魂をわが家族にお願いします、という祈願らしい。

閻魔信仰の本当の意味は

もちろん、閻魔さまにお願いするのは現生に生きる者のためだけではない。亡くなった人たちの魂が少しでも苦しまないよう、そしてよい世界へ行けるよう、という先祖供養の側面もあるのだろう。だが、いろいろ考えて合わせてみると、藪入りと閻魔さまの縁日が同じ日であることの意味は、どう考えても過酷な環境へと旅立たせた子どもに対する親の贖罪のようにさえ感じる。

ところで、閻魔の縁日だけを「賽日」と呼ぶのはなぜだろう。賽銭(神仏に奉納する金銭)、賽人(寺社に参る人)、賽物(神仏への供物)と「日」以外はすべての神仏に際する言葉なのに。ちなみに賽子は(博打で使う)サイコロと読む。明日は、年に2回の賽日で、藪入りの日である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

鈴子

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