もしもあのとき整形していたら

もしもあのとき整形していたら

  • ウートピ
  • 更新日:2022/11/25
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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは、整形です。誰でも理想の容姿に変身した自分を妄想したことはあるはず。かつて美容整形外科を訪ねたことのある森さんは、その時の光景が忘れられないそうで……。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年4月6日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

整形はうしろめたいこと?

芸能人が整形をカミングアウトするのが、めずらしくない時代となった。それどころか、「勇気がある」とか「よく言った」など、称賛されたりする。これは裏を返せば未だ、整形=うしろめたいこと、という図式がうっすらと残っているからではないだろうか。

比較的簡単な整形がプチ整形と称され、メイクの延長線上みたいに扱われている昨今、「プチ整形だよ、整形じゃないよ」と施術した本人がわざわざいいわけしてみたり(いいわけするのだから、本人だって立派な整形だと承知している)。堂々としているわりには、どこかまだ罪の匂いが消えていない。決して罪ではないのに、だ。

整形。それは秘密裏に行われる自慰行為みたいなものだと、私は思っていた(自慰行為も罪ではないけれど、なんとなくうしろめたい香りがするから)。技術が良ければ成功して欲求が満たされ、技術がイマイチ、または目的とするポイントから外れていたら、さらなる手法を模索する、みたいな感じだろうか。

誰だって憧れの顔を夢見たことがあるはず

一昔前は「整形したい」なんて言おうものなら、「親からもらった身体に傷をつけるなんて!」とけちょんけちょんにけなされたものだが、こちらとて欲しくてもらった容姿ではない。親だってそりゃあ、できるかぎり見目麗しく製造し、生んであげたいと切望するだろうけれど、材料を考慮すれば完成品にもだいたい想像がつくし、いかに上質な材料だとしてもバランスを欠いてしまう場合だってある。

いやしかし、その後の調理の仕方で容姿の味など変わってくるので、生まれた時点ではまだ何とも言えない。とはいえ生まれてこのかた100%自分に酔いしれている人はいないだろう。誰だって、ここをどうにかしたい、あそこがもっとこうだったら、と憧れの顔や身体を夢見たことがあるはずだ。

実は私も、美容整形外科の診察を受けたことがある。もうかれこれ25~30年程前だろうか。目をもっと大きくしたい、鼻をもっと高くしたい、丸顔をなんとかしたいetc。身体はもとより顔には不満たっぷりだった。

特に目のコンプレックスは根深かった。切れ長で細くて小さくてつり上がった目……、今でこそ昔の写真を見て「美人とは到底言い難いが色白の和風な顔だし、メイクでどうにでもなったんじゃないか」と前向きにとらえられるのだが、当時はメイクの腕もないし「すっぴんでも可愛い、美人」というのが理想だった(まぁ、誰しもがそうだろうよ)。

私はすでに就職していて、そこそこの給料をいただいていたので、金銭面では問題はない。お金というものは人に自信と勇気を与える。私はひとりで某有名美容整形外科を訪ねた。

まるでお化け屋敷のようだった

そこは、待合室からしてすごかった。壁という壁一面に「整形前→整形後」のパネルが貼られていて、まるでお化け屋敷……、いや、前衛的な美術館のようだった。顔だけではない、「整形前→整形後」の胸(豊胸)やお尻や太もも(脂肪吸引)なども掲げられている。きまって「整形前」の顔は沈んだ表情をしており、「整形後」の顔はバッチリメイクで晴れやかな表情をしている。

夥(おびただ)しい「整形後」のパネル達が「ほら、あなたも「整形前」の世界なんか捨てちゃって、こっちの世界にいらっしゃい」と手招きしているようだった。そして待合室にいる女性達がやけにしれっとしていて、すでに魂だけが「あっちの世界」に飛び立ってしまったかのように落ち着きはらっている。ここにいる人達全員が、自らをカスタマイズした姿になっているのだろうか。もしかしてここにいる人達は全員がアンドロイド? 私は、その時そこにどんな容姿の人がいたのか、まったく覚えていない。

いよいよ診察時間となった。初診の上、あどけない顔をした田舎者の私に、担当医はやさしかった。懇切丁寧に説明してくださり、「目はこうして、鼻はこうするとね、顎もこうしないとおかしいんだよね。今なら4パーツやると割引になって、さらにきれいにもなるからお得だよ。頬も削ろうか」みたいな感じで、次々とカスタマイズ案を出してくる。たいていが医者の趣味で顔のサンプルがつくられていく。私は医者のカスタマイズではなく、自分でカスタマイズしたいんですけど、と意見したくても無知ゆえにできない。それにこちらは整形の素人だしプロに一任したほうがいいのかも、という考えも浮かぶ。裏腹に、勧められれば勧められるほど、腰が引けるのも事実だ。

けっこう衝撃的な体験だったのだが、私にはこの時の詳細な記憶がない。きっと自分というものをなくすのが怖かったのだと思う。ただ、確かに担当医は親身になってくれたし、無理強いもしなかった。美容整形は心のケアも大切だと心得ていたのだろう。でも私にはその美容整形外科が、待合室からして洗脳に入っているのだと思えてならなかった。今よりもっときれいになれば幸せになれるよ、未来がパーッとひらけるよ。それはわかる。長年苦しんできたコンプレックスから解放されるのなら、幸せにもなれるし未来だってひらけるだろう。でも、本当に私が望む幸せで、未来だろうか。

パネルの中にいた人々は「あっちの世界」で幸せをつかみ、色とりどりの未来を生きているのだろう。でも私は自分ではない何者かになりたいわけではなかった。顔を変えたいと望むくせに矛盾していると非難されても、やっぱり怖かった。私は逃げるように美容整形外科をあとにした。

もしあのとき整形していたら

結果、私は整形を選ばなかった。でも、もしあの時整形していたら、と考えなくもないのだ。これも矛盾しているのだが、整形した自分というのも見てみたかったし、整形後の幸せや未来も生きてみたかった。ただ私は、今まで生きてきた自分の顔と決別できなかったのだろう。そして一度整形をしたことでさらに加速することを恐れたのかもしれない。

皮肉でも嫌味でもないと前置きしておくが、私は趣味のように整形を繰り返す人を尊敬している。だって、いちいち自分の顔=過去を振り返らず、幸せと未来をカスタマイズしていくなんておいそれとはできない。かろやかに決断している姿は(悶絶するほど悩む人もいるだろう)、見ていて惚れ惚れする。リスクをものともせず貪欲に突き進む人には、「こっちの世界」に執着せず「あっちの世界∞」でどんどん活躍してほしいのだ。

さて、美容整形外科の門を叩いてから25~30年程後の現在、私はプチ整形をした。シミをひとつレーザーで除去したのである。切ったり縫ったり削ったりするのは未だに怖いのだけれど、注射とかレーザーとかならいいよね、と自分に許可を出したのだ(うん、これもいいわけだな。つまりは老いには勝てないということよ)。美容整形外科の手にかかったのだからプチ整形といえど立派な整形なのだ。皮膚科医で施術すれば治療かな、とか逃げ道をつくってみたりするが、とにかく自分で自分をカスタマイズしたのである。

還暦を過ぎた友人が、「この年齢になると、きれいになりたいとかじゃなくて、現状維持とか、みすぼらしくならないようにするとか、整形も最低限の礼儀なのよね」というようなことを言っていた。私もそういう域にさしかかってきたのである。

美容師さんの意外な言葉

うれし恥ずかし初めての整形、シミ除去。安価だし気軽だし、さほど痛くもない。約1ヵ月、除去した箇所にバンドエイド(虫刺されパッチみたいなもの)を貼っておくだけだ。

場所がフェイスラインだったので、美容院にいったさい美容師さんに、「すいません、実はレーザーでシミ取りをしたので、シャンプーする時に気をつけてもらえますか」とひとこと申し伝えた。すると美容師さんが「うちのお得意様で、美容整形に凝っている女性がいらっしゃるんです。70歳過ぎてらっしゃるんですけど」と言うではないか。「70歳過ぎて?」と失礼ながら聞き返してしまった。美容師さんも私と同世代の女性だったので、美容と健康の話が大好物らしく、話に乗ってきた。「ええ。ていうかその方、70歳過ぎたからもうどんな顔になってもいいの、後悔しないの! っておっしゃって、いろいろやりまくっているんですよ」。つまりは、切ったり縫ったり削ったり、を豪快に繰り返しているというのだ。

なるほど、還暦を過ぎたら現状維持で、70歳を過ぎたら女は何でもありなわけだ。自分の顔=過去と決別するのが怖いなんて思いとサヨナラできるのだ。自分の過去を知る人も、少しずつ減っていくわけだし、今度こそ自分で幸せを、未来を、心置きなくカスタマイズできるのだ。なんだか年を重ねるのが愉快になってきたなぁ。

超高齢化社会だし、顔だけではなく見えない部分(セクシャリティな部分ね)の整形ももっと身近になるかもしれない。第2、第3の人生は心身ともにカスタマイズ! で楽しく過ごしたいものだ。

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