俳優・奥田瑛二の美学「映画『痛くない死に方』を通して、ちゃんと生きなくてはと考えるように」

俳優・奥田瑛二の美学「映画『痛くない死に方』を通して、ちゃんと生きなくてはと考えるように」

  • 日刊大衆
  • 更新日:2021/02/22
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奥田瑛二(撮影・弦巻勝)

「生きる」ということは「長い自殺」である――。つい最近まで、僕はそんなふうに思っていました。

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飲みたいだけ酒を飲み、健康のことなど省みず、やりたい放題にやる。そうやって、少しずつ“毒”を体にため込んで死に向かうという生き方に憧れを持っていたし、だからこそ“奥田瑛二”でいられるんだとも自負していました。

ところが、ある作品に携わったことで、この考えがポーンと吹っ飛んでしまった。いやいや、生きなきゃいけない。それも、ちゃんと生きなくては。

ある作品とは『痛くない死に方』という映画です。この中で僕は、がんなどの終末期をケアする長野という在宅医を演じました。後輩医師である主人公を演じているのは、娘(安藤サクラ)の夫でもある柄本佑です。

出演が決まったとき、真っ先に思ったのは「シャキッとしなくちゃいけない」ということでした。もちろん、仕事はいつもやれる限りのことをやってきてはいるんですが、今作は「もっとできることはないか?」と自問自答してから臨みました。

なにしろ、奥田家も柄本家も一筋縄じゃいかない“うるさ型”ばかり(笑)。しかも、佑とは多いときには週に3度は会う仲なんですよ。だから、バシッと準備して現場に立たないと、親族にも、世間にも笑われるぞ、という思いでしたね。

そうやって撮影を終え、試写を観てみると、とにかく、登場人物の一人一人が素晴らしかった! 原作の長尾和宏医師をモデルにした役を自分が演じているという誇らしさ、そして彼に影響を受けていく主人公の姿に、非常に感動したんです。

余韻は消えず、その日の酒はめちゃくちゃおいしかった。そして、書き込みだらけの台本を引っ張り出してきて、それを眺めながら、生きるということ、死ぬということについて、考えたんです。

■「潔くしないと、時代に申し訳ない」

僕が死ぬときのことも考えました。2つの希望を家族に伝えてあります。まず、戒名は自分で決める。そして、棺桶は無垢の桐でできたリーズナブルなものにして、それに娘と孫たちに絵を描いてほしい、と。

この世におさらばを告げるときは……できることなら、ごく普通の感じで「ありがとう。グッバイ、またな」とあいさつをして逝きたいなぁ。

僕は死ぬ年齢をもともと98歳に設定していました。でも、コロナ禍があったので3年延長して、101歳にしました。今、70歳ですから、最期にそう言えるようには、あと31年をどう生きるのかが大事になる。

我々、団塊の世代は、明治生まれの祖父母と戦争を経験した両親のもとで育ち、昭和、平成、そして令和を生きてきました。東京オリンピックも、バブルも知っている。仕事をバリバリやり、酒を飲み、思う存分やってきたわけだから、みっともなくあがいちゃいかんと思うんです。潔くしないと、時代に申し訳ない。

幸い、義理の息子や娘たちは、我々、団塊世代を見て大人になり、因子を受け継いでくれているから、パワーがあります。彼らはコロナ禍でもおじけづくことなく、エネルギーを失うこともなく、でも慎重に、前へと進んでいる。あいつらが将来を支えていくと思うと心強いですよ。元気が出ます。

健康面については、ありがたいことに妻と娘たちが口うるさく言ってくれます。水を1日2リットル飲め、とかね(笑)。最初は「そんなに飲めるか!」って抗っていたんだけど、だんだんと慣れてきて、今では「今日はもう1リットル以上飲んだよ」なんて報告するようになった。だから家族には「今後もしつこく言い続けてくれ」って頼んであります(笑)。

そうやって生き続けて、いつか佑の父親である柄本明さんと“ジジイの闘い”みたいな共演をしてみたいな、と思っています。

奥田瑛二(おくだ・えいじ)1950年3月18日生まれ。愛知県出身。1979年『もっとしなやかに もっとしたたかに』で映画主演デビュー。主な出演作として、映画『海と毒薬』『千利休 本覺坊遺文』『棒の哀しみ』、ドラマ『金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて』『男女7人夏物語』(ともにTBS系)などがある。映画監督としても『少女』『長い散歩』など5作品を発表している。

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