舛添要一氏が医師や官僚から評価されていた理由 既得権益との闘いが実を結ぶ

舛添要一氏が医師や官僚から評価されていた理由 既得権益との闘いが実を結ぶ

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  • 更新日:2017/10/13
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「医療崩壊」あるいは「医師不足」という単語を含む全国紙の記事数の推移。医療ガバナンス研究所作成

東京を中心に首都圏には多くの医学部があるにもかかわらず、医師不足が続いている。そのような中、現役の医師であり、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は、著書『病院は東京から破綻する』で、医学部の定員を増やすことに尽力した人物について言及している。

*  *  *

日本の医師不足は明らかであり、早急に若手の医師を増やす必要があります。そのためには、医学部の定員を増やすか、医学部を新設しなければなりません。

ところが、これがなかなか進みません。

医学部の定員を増やす、あるいは医学部を新設するには、政府の規制を緩和しなければならず、政治や行政を動かす必要があります。ところが、医師を増やそうとすると、それに反対し、抵抗する人々が出てくるのです。

かつてそうした勢力と闘った一人が、前東京都知事の舛添要一氏でした。

舛添氏は政治資金の使い途を追及され、都知事職を辞任しました。私自身も納税者の一人として、資金の使途や舛添氏の振る舞いは不適切なところがあったと考えています。

しかし、政治家としては卓越した能力を持っていたと思います。厚労大臣として成し遂げた仕事の中には特筆すべきものがあります。医学部の増員を決めたのは彼だからです。

日本経済新聞の報道によると、舛添氏が医学部定員を増やそうとしたとき、文部科学省(以下、文科省)に出向中だった医学教育課長ら、医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話して回ったことが判明しています。

厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された国立大学の医学部長たちは悩んだはずです。厚労大臣は大きな権限を持ちますが、任期は通常1~2年です。一方、幹部官僚は、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になります。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、通常は官僚に与します。

しかし、高級官僚が大臣の意向に反し、自ら管轄する業界に指示することは、公務員としての職務義務違反です。このことは、舛添氏の部下たちの働きかけもあったのでしょう、2008年10月10日、日本経済新聞が朝刊の一面で報じ、大臣に対して面従腹背の厚労官僚の姿が国民に曝されました。

厚労省内の一部の官僚たちが舛添氏を応援したのは、07年8月の厚労大臣に就任後、誠実に勤務する姿が彼らの信頼を得たからです。

当時、舛添氏は官僚の準備した資料に目を通し、自らの外部人脈も使い、厚労行政一般を勉強していました。官僚たちの説明を自分なりに理解し、わからないところは質問していました。地道な努力が舛添厚労大臣と厚労官僚の相互理解を深めたのです。

■医学部1500人増員の決定まで

日本医師会など医療業界団体にとっての共通の敵は「規制緩和」でした。

特に、医学部定員の増員は、将来的に自らのライバルを増やすことになりますから、絶対に承服できない話でした。

彼らは舛添厚労大臣が、医学部定員増員を持ち出した途端に、一枚岩となって反対し始めました。

こうした「抵抗勢力」に対抗するには、世論を味方につけるしかありません。舛添氏にとって幸いだったのは、06年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件以降、社会の医療への関心が高まっていたことです。現に、07年に民主党が躍進した参議院議員通常選挙では、医療が主要なテーマとなりました。

舛添氏が大臣に就任した時点で、すでに「医師不足」に対する社会的合意が形成されつつありました。

当時の全国紙で「医療崩壊」、あるいは「医師不足」という単語を含む記事の推移を図に示します。舛添氏が厚労大臣を務めた期間は、「医師不足」や「医療崩壊」が連日のようにマスコミを賑わせていたことがわかります。

さらに、08年10月には、東京都立墨東病院でたらい回しされた妊婦が死亡する事件が起こり、マスコミは連日のようにこの事件を報じていました。

舛添氏は、こうした世論を背景に、日本医師会やその意向を受けた族議員の抵抗を抑えることに成功したのです。

舛添氏は、参議院での与野党逆転の情勢も利用しました。当時、舛添氏は、後に民主党の医療政策をリードすることになる仙谷由人・元官房長官や鈴木寛氏(後の文科副大臣)と太いパイプを持っていました。仙谷氏や鈴木氏は、医師を増員すべきと考えており、彼らが中心になり作成した民主党のマニフェストは、ほぼ舛添氏の考えと同じでした。

こうして、08年6月17日に、1997年の医学部の定員削減の閣議決定を撤回させることに成功しました。同日の記者会見で舛添氏は、「(政府は従来)医師数は十分だ、偏在が問題だと言ってきたが、現実はそうではない。週80〜90時間の医師の勤務を普通の労働時間に戻すだけで、勤務医は倍必要だ」と述べて、必要な医師数に関する具体的な数字を挙げました。

翌日には、超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」(会長:尾辻秀久・参議院議員)が、舛添厚労大臣を訪問し、医学部定員を毎年400人ずつ増やし、現在の8000人を10年後に1万2000人にまで増やすことを提案しました。

「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」は、民主党の仙谷氏や鈴木氏らが主導したものです。

舛添氏は参議院で半数に近い民主党と連携することで自民党内の族議員を牽制しました。自民党の退潮、民主党の躍進という政治状況をうまく利用し、日本医師会や厚労官僚の抵抗を押しきったのです。この結果、2016年3月現在までに約1500人の医学部定員が増員されることになりました。

※『病院は東京から破綻する』から抜粋

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