現代建築界が解けない巨匠の呪縛 国立西洋美術館・文化様式の大革命

現代建築界が解けない巨匠の呪縛 国立西洋美術館・文化様式の大革命

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  • 更新日:2017/08/19

東京上野公園内にある国立西洋美術館。20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエの建築作品のひとつとして昨年、世界遺産に登録されました。

ル・コルビュジエが高名な建築家であることは知られていても、どのような作品を遺し、日本の建築界にどのような影響を与えたか、一般にはあまり知られていません。建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、その足跡をたどります。

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霧のロンシャン

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ロダンの考える人と外観

ヨーロッパをヒッチハイクで放浪していた若いころのことだ。

フランスの小さな田舎町、深い朝霧で先が見えないなか、ふもとからゆっくりと坂を上っていく。ゆるいカーブを曲りながら小高い丘の上に出ようとするとき、突如として空中に、黒々とした巨大なキノコのようなものが浮かび上がった。

ル・コルビュジエが設計した「ロンシャンの礼拝堂」の屋根である。

普通の建築なら、屋根はドームのように下向きにカーブしているのだが、この屋根は逆に、暴力的なほど力強く、上向きに反り返っている。壁は白く、窓がない代わりに、ところどころ大小いくつかの穴が穿たれている。

中に入る。
壁と天井の間がわずかに空いていて光が漏れる。壁の穴からもカラフルな光が差し込む。厚い壁に穿たれた穴の側面に原色が施されているので、外からの光も色彩を帯びるのだ。現代のステンドグラスは、モンドリアンの抽象画のように、軽快な荘厳を感じさせた。

理解しにくい世界遺産

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外観全景

世界遺産に指定されることによって、話題になり人が押し寄せる。

しかし最近指定された国立西洋美術館に関しては「なぜ、あれが世界遺産なのか」という声がよく聞かれる。たしかに、上野公園の一隅に、あまり目立つとはいえない「四角いコンクリートの箱」といったたたずまいだ。むしろその前に置かれた「考える人」「カレーの市民」「地獄の門」といったロダンの彫刻が強い存在感を放射している。

コンクリートの箱は、太い円柱で持ち上げられ、閉鎖的な印象を与えるが、中に入って見れば、上からの自然光が取り入れられ、変化に富む立体的な空間となっており、その構成と各部の造形は、まさにル・コルビュジエの手になるものである。それが特別な印象を与えないのは、すでに彼の設計手法が日本に根付いているからに違いない。

われわれはまずこの指定が、世界各地のル・コルビュジエの作品が一挙に指定されたものであることを認識する必要がある。

最大のカリスマ

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中心ホール・ギャラリーの各所から見える立体感とトップライト

とはいえ、ル・コルビュジエの名を初めて聞く人も多く、建築家であることを知ってはいても、彼が何をしたのかよく理解する人は、専門家以外にはほとんどいないであろう。

端的にいえば、ル・コルビュジエとは、建築モダニズム形成期における最大のカリスマであった。

ワルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエとともに、インターナショナル・スタイル(国際様式)を確立した一人であり、フランク・ロイド・ライトを加えて「巨匠」とされるが、中でもコル(建築界の慣例にならって簡略化する)は、もっとも理論的であり、もっとも前衛的であり、またもっとも個性的な造形力のある、まさにカリスマであった。

それまでの建築家は、建築に美しさを求めたが、コルはそれよりも、時代を一歩前に進めることを求めた。「住宅は住むための機械である」(機能に徹するという意味)とさえいった。

しかし彼の作品が美しくないわけではない。むしろとても美しいのだが、その美しさが他の建築家とは違っていた。たとえばラファエロの絵が迫真的な美しさに満ち、東山魁夷の絵が静謐な美しさに満ちていることは誰でも認めるが、ピカソの絵はどうであろう。キュビズムの初期には酷評されたのだ。分かりやすくいえば、ピカソの美が絵画に起こしたように、コルの美は建築に革命を起こしたのである。

スイス出身だが、やがてフランス国籍を取得する。日本の建築界で「エスキス、ピロティ、ファサード」などフランス語がよく使われるのはコルの影響が大きい。若いころは時計職人の学校で学び、絵描きでもあり、建築の正式な教育を受けることなく、高名な建築家の事務所で修行して建築家となった。

合理主義からの転換

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ピラミッド型の間接光

初期の作品には住宅が多く、「五原則」と呼ばれる、ピロティ(建築を柱で持ち上げて地上階を空ける)や、屋上庭園(鉄筋コンクリートによってフラットな屋根が可能となった)など、都市計画とも関連する手法を使った、薄く、軽い、真っ白な空間を志向した。合理主義時代(絵画の世界ではピューリズム・純粋主義ともされる)のコルは、ヨーロッパの建築に機能主義が確立されるムーブメントの確固たる旗手であった。このころの代表作がサヴォア邸である。

しかし、インドのチャンディガールにおける公共建築を手がけてから、おそらくはその苛烈な風土に強く感化されたのだろう、薄く、軽い、合理的な機能主義は姿を消し、厚く、重く、原色と彫塑的な表現力に満ちたコンクリートの塊が姿を現す。この転換過程の詳細な論理は、本人の口からも、批評家のあいだでも、ハッキリとは語られていない。

そして冒頭に述べたロンシャンの礼拝堂が登場する。
前半期の合理主義的作品に加えて、後半期の造形主義的作品が加わることによって「建築界の巨人」としての立場はさらに強大なものとなった。「合理」に「情念」が加わった。筆者の語彙を適用すれば「都市力」とともに「風土力」が作用したのだ。

日本とル・コルビュジエ

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コルの平面図・螺旋型から卍型へ

国立西洋美術館は晩年の作品であり、コンクリートのマッシブな表現ではあるが、奔放な造形性は抑えられ、ピロティや上からの自然光など、むしろ前半期の原則が生かされていることを感じる。現在、その設計過程のスケッチや図面が展示されているが、それを観ると、螺旋型のプランから卍型のプランに変化していくさま、外部のプロムナード(遊歩道)と、内部の自然採光の考え方など、コルの頭の中が多少は理解できるような気がした。興味のある方は、ぜひ観ることをお勧めする。

設計には、坂倉準三、前川國男、吉阪隆正といった、直接コルの薫陶を受けた建築家がアシストしている。もちろん彼らの作品にはコルの影響が色濃いが、それがその弟子たちにも、特に東大と早大の出身者には強く残り、さらにその次の世代である安藤忠雄や妹島和代にも影響が感じられる。

その意味で、日本建築界とル・コルビュジエとの関係は深い。
他にこんな国は、コルの弟子でもあったオスカー・ニーマイヤーが首都ブラジリアを設計したブラジルぐらいのものではないか。

「1910−30革命」

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模型・内部の立体構造が分かる

筆者は、フランク・ロイド・ライトのロビー邸(1910)から、ル・コルビュジエのサヴォア邸(1931)までの20年間を「人類の建築革命の時代」と考えている。

第一次世界大戦をはさみ、ドイツにバウハウス、オランダにデ・スティル、ロシアに構成主義、イタリアに未来派といった前衛運動が一斉に登場し、ファグス靴工場(グロピウス)、バルセロナ・パビリオン(ミース)といった画期的な建築が建てられた。巨匠たちの時代であるが、理論と創造における最大の革命家はル・コルビュジエであり、彼によって建築様式のモダニズムへの大転換が完成したのだ。

そしてポストモダン(近代以後)が唱えられた時代を経ても、コルの影響は消滅するどころか、むしろ蘇ったとさえいえる。革命性において彼を超えるものが出ていないからである。建築界に「コルの呪縛」というものがあるとすれば、それはまだ解かれていない。

この「1910−30革命」によって、古代ギリシャ以来の地中海・西欧文明の建築様式の歴史が終焉を迎えた。そしてその変革が世界中に広がったのだ。神話的な時代であった。その後、第二次世界大戦があり、社会主義国家の失敗があり、科学技術、特に電子情報技術は大きく発達したのだが、1930年前後に確立された建築モダニズムは揺るいでいない。

筆者はこれまで、建築様式から文化様式を論じてきたのであるが、その論理を適用すれば、人間の文化的価値観は「1910−30革命」によって有史以来の大変革をとげ、その後は、さほど変わっていない、ということになる。

地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.71533133&lon=139.77589247&z=18

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