住民ゼロからの再出発、1000人の「生きる」意志と選択とは

住民ゼロからの再出発、1000人の「生きる」意志と選択とは

  • 東北復興新聞
  • 更新日:2016/10/20

福島第一原発周辺の市町村で避難指示の解除が続いており、来年3月に向けてその動きはさらに加速していく見通しだ。7月12日に解除された福島県南相馬市。市の推計では、対象地域に再び居住する住民の数はこれまでに1000人超に達し、登録数に占める割合は10%を超えた。先行して指示が解除された市町村よりも高い割合だ。再生に向けて強い思いを抱き奮闘する住民らの声から、まちの未来を考えた。

福島県いわき市から常磐道を北上すること約1時間。避難指示区域の大部分を占める南相馬市小高区に近づくにつれ、周囲の景色が変わり始めた。路上のあちらこちらで「除染作業中」の看板を目にしたり、放射性廃棄物の入った黒い袋が山のように積み重なる光景を見かけるようになった。午前10時、JR常磐線・小高駅前に車を停めた。人影はまばらだが、住民や土木作業員の姿が時折目に飛び込んでくる。2011年3月12日を境に、ここは人の声が一切聞こえないゴーストタウンと化した。あれから5年半が過ぎ、少しずつではあるが日常が戻ってきたのだ。

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生まれ育った小高を「ゼロから作り上げる唯一のフィールド」と語る小高ワーカーズベースの和田さん

その小高区と、隣接する原町区に帰還した住民は9月26日現在、492世帯1066人。登録人数の1万583人を指標にした際の帰還率は10%を超える。昨秋の解除から約1年が経過した楢葉町は10%に満たない状況が続いており、南相馬市の動きが早いことがわかる。2014年のシェアオフィス開設を機に数々の事業を展開してきた小高ワーカーズベースの代表・和田智行さんは、「解除前の早い段階から地元のNPO法人によるワークショップが定期的に開催されるなど、日頃から住民同士が顔を合わす機会があり、さらに実際に現場を目にすることで戻ってきて暮らすイメージが描きやすかったのではないか」と分析する。

和田さん自身もシェアオフィスの開設後、元はラーメン屋だった店舗を間借りして食堂をオープン。翌2015年には、市の委託で仮設スーパー「東町エンガワ商店」を開店させるなど精力的に活動してきた。特に食堂は当初、土木作業員の需要を見込んでいたが、避難先から足を運ぶ住民が連日後を絶たなかったという。営業再開を断念していたラーメン屋の店主は、住民で賑わうかつての光景を目の当たりにして再起を決意。現在は、長く地元に愛された「双葉食堂」として営業を再開している。

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仮設スーパー「東町エンガワ商店」は住民生活に欠かせない場所だ

他の事業者も避難指示解除を見据え、昨年から今年にかけて再開するケースが目立っているという。昨年7月には再建工事を終えた「双葉屋旅館」が営業を開始。その後も、寿司屋や鮮魚店がオープンした。歴史的に海産物を主食としてきた住民にとっては、特に嬉しい知らせだったようだ。さらに、10月20日にはコンビニのローソン、その後はファミリーマートが営業を開始する予定で、大型スーパーの誘致計画も進む。一方、市立小高病院の診療日が4月から週5日に増えるなど医療環境も少しずつ整備されつつある。来年4月には小・中・高校が1校ずつ再開する。さらに、2018年には多世代が交流できる復興拠点施設の建設計画も浮上している。

ただ、当然だが課題も多い。帰還した1000人ほどの住民のうち、65歳以上の高齢者が占める割合は約60%。まちの未来を担う若い世代の動きは鈍い。和田さんによると、事業者の間でも特に若い世代ほど「小高で経営が成り立つのかと不安を口にする人が多い」という。震災前に550ほどあった事業者の数は現在90社程度にまで回復したが、大半は家屋の解体・再建や除染作業を行う土建業者で、スーパーなど住民の生活ニーズを満たすようなサービスは限られている。既に避難先で事業を再開しているケースも多い。5年半という長い歳月が重くのしかかる。

また、ボランティアなど市・県外から足を運ぶ人たちの宿泊施設不足も課題だ。若い世代を中心に住民の帰還が短期間で一気に進むことは考えづらいのが実情で、和田さんは次善策として「『よそ者』を呼び込む受け皿」を整える必要があると考えている。ただ、市は「移住」を前提とした宿泊施設の確保には熱心な一方で、例えば1週間ほどの短期宿泊や数年程度の長期間滞在を対象にした施設の整備には消極的だという。和田さんは、市に対して宿泊施設の整備を引き続き働きかける一方で、複数の事業者と協力して自前のシェアハウスを建設する計画を進めている。このほか、再開される学校に通う生徒がどれほどいるのかも未知数で、他の自治体の動きを見ると生徒数は伸び悩むことが予想される。

それでも、避難指示の解除によって「ようやくスタートラインに立てた」(和田さん)という思いは強い。和田さんら住民たちは事態をなんとか打開しようと、むしろこれまで以上に主体的に、小さな再生の種を1つずつ撒き続ける決意を新たにしている。

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ガラス細工のアクセサリー工場。若い女性の雇用を生み出している。

和田さんが鍵を握ると考えるのが、「よそ者」の存在だ。和田さん自身、外部人材がまちに活気をもたらす姿を目の当たりにしてきた。例えば、東町エンガワ商店の店主・常世田(とこよだ)隆さんは元外資系金融マン。震災後に県内各所を訪ね歩く中、早期退職して同店のマネージャーに就任した。また、和田さんが6月にオープンしたガラス細工のアクセサリー工場「HARIOランプワークファクトリー」でも、東京に拠点を置く元NPO団体職員・平果林(たいら かりん)さんがマネージャーを勤めているほか、アクセサリーをつくる職人スタッフの中には東京出身で震災後に移住した20代の女性もいる。

和田さんは小高を「住民ゼロからまちを作り上げていく日本で唯一のフィールド」と表現する。「避難区域にまた人が住み始める歴史は誰も経験したことのない史上初のチャレンジだ。その中心に立って、いろんなことに挑戦できる」と逆転の発想を促す。そんな場所に魅力を見出す人が全国から集い、少しずつ活気が湧き上がれば、それにつられるようにして住民が戻ってくるのではないか。そう願ってやまない。そのために和田さんは、今後も「小高でしかできない」ような事業を生み出していきたいという。

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再開した双葉屋旅館の若女将・小林友子さん。「あと10年続ける」と笑顔で語る。

「戻ってきた人たちで、できることをやるしかない」。そう力強く語るのは、双葉屋旅館の若女将・小林友子さんだ。「国や県、市、東京電力に言いたいことは山ほどあるが、愚痴っていても仕方がない。実際に住み始めると『これがほしい』『あれが必要』と思うことが自然に出てくる。それを少しずつ実現させていくしかない」と前を向く。現在63歳、「(旅館経営を)あと10年続ける」と小高の再生に気力を尽くす決意だ。

昨秋開設したコミュニティスペースのスタッフ、廣畑裕子さんも「今住んでいる人たちで新しいコミュニティを少しずつ作っていけばいい」と同じ意見だ。「5年半の月日は長く、既に避難先で生活が定着している人は少なくない。でも、たった数カ月で住民が1000人に増えるなんて日本のどこでも起こり得ないこと」と、視点を変えて前向きに生きる覚悟を語ってくれた。

一方、仮設スーパー店主の常世田さんは「復興」の意味を日々考えているという。「お客様の要望を繰り返し実行していくうちに、品揃えが充実し、来店客が少しずつ増えてきた」。スーパー経営から多くのことを学び、「『復興』とは住民の声を聞き、それを具現化していくことだと思う」という持論に行き着いたという。

「1000人」という数字は、果たして少ないのか、多いのか。見方によって、その景色は様変わりする。ただ、少なくともおよそ1000通りもの人生を賭けた尊い決断と、かけがえのない生活がそこに存在することは紛れもない事実だ。実際に住民らと顔を突き合わせ、言葉を交わしていると余計に、その事実が何よりも重く響いてくる。明日も明後日も、住民たちはここ小高で新しい朝を迎えるのだ。

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