ダウン症の弟はイジメのないクラスをつくる天才だった

ダウン症の弟はイジメのないクラスをつくる天才だった

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2019/10/18
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ダウン症の弟と近所のコンビニの店員の心温まるエピソードを綴ったnoteの記事「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」が話題になった岸田奈美さん。

17歳の頃、母親が心臓の手術をきっかけに下半身麻痺になってしまい(詳しくは、「『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』と下半身麻痺の母に言った日」を参照)、その時の経験がきっかけとなって、現在、ユニバーサルデザインの会社「ミライロ」で働いている。

人との触れ合いが大好きな奈美さんの弟。彼の周りは、いつも笑顔になる。それには、奈美さんのお母さんのある教えがあったという。

母が教えた3つの言葉

noteで弟の記事を書いたら、ものすごく反響をいただきました。日本中に私の弟のハイパーでエクセレントなところが伝わって、とても嬉しく思います。でも実は、その弟を育てた母のウルトラでマーベラスなところも、私は伝えたいです。今日は、そんな母の話をします。

母、最大の功績。それは、保育園へ入園する弟に3つの言葉を教えたことです。

弟はダウン症で知的障害があり、難しい言葉の理解ができません。簡単なひらがなを、かろうじて読むことはできます。意味がわかるのは、子どもが知っている単語くらいです。発話も不明瞭なので、初めて弟に会う人は何を言っているか聞き取れないこともしばしば。

でも弟は、特別支援学級ではなく、普通学級へ入りました。障害者だけがいる環境よりも、健常者もいる環境で社会のルールを学んでほしいという母の思いと、人とコミュニケーションを取るのが好きな良太の思いがあったからです。

母は弟に、辛抱強く次の言葉を教え続けました。

「こんにちは」「ありがとう」「ごめんね」

勉強なんかできなくてもいいから、これだけは言えるように、という母の強い決意を感じました。なぜそんなことをしたか。それは、周囲に「知的障害者に向き合う壁」があったからです。

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〔PHOTO〕iStock

障害者のうち、人数が一番多いのは身体障害者です。車いすに乗っている人や目が見えない人が何に困っているか、どうすれば助かるかを、皆さんはなんとなく想像できると思います。

でも、知的障害者はどうでしょうか。

よく知らない、どうしたら良いかわからない、と思う人が大半です。怖い、と思う人もいます。なぜなら、障害者のうち、人数が一番少ないのが知的障害者だからです。日常で見る機会が少ないからこそ不安になり、壁を感じるのは当然のことですよね。

それが子どもともなれば、入園式や入学式の段階から騒然とするわけです。弟を見て「僕たちと、なんか違うぞ……」「話しかけて良いのかな……」と、同級生たちが心の中で戸惑っているのが、よくわかりました。

そのままでは、弟と同級生たちの心の距離は開いていくばかりだったと思います。
でも、弟は違いました。

あいさつ一つで、印象は変わる

「こんにちは!」と、同級生に元気よく話しかけました。すると、同級生たちのこわばった顔がフッと緩みました。弟が話しかけたことで「あ、話しかけていいんだ」と思ってくれたそうです。

同級生だけではありません。通学路でも、犬の散歩をしているおじさん、店先を掃除しているコンビニのオーナーさん、部活帰りの中学生など、よくすれ違う人に弟は「こんにちは!」と言っていました。話題になった記事に登場したコンビニのオーナーさんは、あいさつがきっかけで、弟のことを覚えていたと言います。

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〔PHOTO〕iStock

次に、「ありがとう」と「ごめんね」です。普通学級で皆と一緒に過ごす弟には、わからないことが沢山あります。例えば、校庭の遊具を使う時。同級生は並んで順番を待っているのですが、良太は順番を抜かしてしまうことがありました。順番を待つというルールがわからなかったからです。

「岸田くん、順番抜かしちゃだめだよ。こっちで並ぶんだよ」と同級生から教えてもらうと、状況を理解した弟は「ごめんね」と言って、列に並びました。それから弟は、皆が並んでいる時は、列で順番を待つことができるようになりました。

私がコンビニのレジに並んでいて、列のつくりが複雑で先に並んでいた人を抜かしてしまった時、「姉ちゃん、違うよ。こっちだよ」と弟から教えてもらった時はびっくりしました。

皆と同じように文字が読めない、計算ができない弟は、保育園や小学校の同級生から教えてもらうことが沢山ありました。その度に弟は「ありがとう」とお礼を言っていました。

母が保育園や小学校へ弟を迎えに行く度に、母はたくさん子どもたちに囲まれて「今日ね、岸田くんに掃除の仕方教えてあげたら、喜んでくれたんだよ。私も嬉しかった!」と、笑顔で報告を受けていました。

「知的障害者に対する、周りのイメージはすぐに変えられない。だから、自分たちからまず変わらないと」と、母はよく言っていました。

「岸田くんが遅い分、僕らが速く走ればいい」

そんな弟の日々を、象徴する出来事がありました。保育園で運動会が開かれた時のことでした。弟たち年長組は、リレーを走ることになっていました。リレーと言えば、運動会の花形競技です。クラスごとにチームを作って走るのですが、どのチームも優勝を狙い、足の早い子たちが名乗りを上げていました。

そんななか、弟がリレーを走りたいと立候補したそうです。

弟には低緊張があり、動きがとてもおっとりしています。弟がリレーを走れば、まず優勝は逃してしまいます。保育園の先生から報告を受けた時、母は「息子の気持ちはわかるけど、息子が走るとチームが負けてしまって、他の子たちがかわいそうだから……」と、戸惑いながら断りました。話を聞いたのが私でも、同じように断ったと思います。

保育園の先生も母の気持ちを汲んで、弟にはリレー以外の競技を勧めようとしていた時でした。クラスで一番足の早い子が「先生、どうして? 岸田くんが走りたいなら、走ってもらおう! その分、僕らが速く走ればいい」と意気込み、周りを説得してくれたそうです。

その日から、子どもたちの猛特訓が始まりました。休み時間になれば、スタートダッシュ、バトンの受け渡し、コーナーリングなどをチーム一丸となって練習したそうです。

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〔PHOTO〕iStock

そして、運動会当日。弟は本当に一生懸命走りました。「こんなに走れたの!?」と私たち家族が目を見張るほどに。でも、どうしても遅れを取ってしまいます。しかし、あっと言う間にチームの仲間が追い越してくれて、完璧なバトンパスの連続で、見事、弟のチームは優勝しました。

母は、涙を流しながら、喜んでいました。「障害者だから助けてあげないと」「障害者だから他の皆が我慢しないと」と大人が押し付けるのではなく、弟と仲良くなった同級生たちの素直な気持ちと行動が、本当に嬉しかったのです。

「助けたい人」よりも「一緒にいたい人」でありたい

保育園や小学校を卒業する時、母はいつも、同級生の保護者や先生の方々にお礼を言われていました。

「岸田くんと同じクラスになってから、うちの子が妹の面倒を見るようになったんです」

「岸田くんがいるクラスは、必然か偶然か、一年間いじめのないクラスだと評判でした」

お世辞かもしれません。思い過ごしかもしれません。でも私は、母と弟の努力が報われたと信じています。

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写真はイメージです〔PHOTO〕iStock

たくさんの人々に助けられ、弟は24歳になりました。今は自宅近くの作業所に通って、清掃やポスティングなどの仕事をしながら、大好きな塗り絵やYouTubeを観て、悠々と過ごしています。一人でできることも増えました。

この間は、誰に教えてもらったのか、Amazonで塗り絵と色鉛筆を買う方法を習得していました。さすがに決済までするのは「まずい」と思ったのか、カートに入れるだけ入れて、母が誤って決済するのをこっそり待っていました。沼で潜んで待ち構えるワニのような戦法に、私は思わず爆笑してしまいました。

そんな風に幸せな日々を過ごせるのは、母の努力があったからだと私は思っています。

私は小学生の頃に、先生から「岸田さんには知的障害のある弟がいて、いつも大変なのに頑張っているから、皆で助けてあげましょう」と言われて、我を忘れて怒り狂ったことがありました。

声をかけたい、一緒に過ごしたい、と皆に思ってもらえる家族なんだという確かな誇りが、今も昔も、私にはあるからです。

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