茨城の星? 1998年開業、常磐線「ひたち野うしく駅」の知られざる利便性を知っているか

茨城の星? 1998年開業、常磐線「ひたち野うしく駅」の知られざる利便性を知っているか

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  • 更新日:2022/08/07
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2004年10月16日以降、常磐線首都圏エリアの快速と普通電車について、品川・上野~取手間は快速に統一。取手以北は従来通りの「普通電車」とした(画像:岸田法眼)

ひたち野うしく駅の前身は万博中央駅

JR東日本常磐線ひたち野うしく駅は1998(平成10)年3月14日に開業し、25年目を迎えた。常磐線起点の日暮里から54.5km地点に所在しており、この距離は東海道本線の東京~辻堂間(54.8km)に相当する。

【画像】駅東口から約10分! 「二所ノ関部屋」を見る

かつて、ひたち野うしく駅は、ほぼ同じ地点に万博中央駅が所在していた。当時の国鉄は、つくば研究学園都市で国際科学技術博覧会(科学万博-つくば’85)が1985(昭和60)年3月17日から9月16日まで開催されることを機に、その玄関口として、日暮里から54.6km地点に万博中央駅が建設された。期間限定の臨時駅とはいえ、広大な駅舎、バスターミナルや駐車場が整備されるなど、恒久的に営業してもよいほどだ。

合わせて国鉄は常磐線の輸送力増強に着手し、日暮里~土浦間は一部の駅を除き、ホームの長さを12両分から15両分に延伸、土浦~神立間に土浦電留線という車両の留置施設を設け、定期列車の増発、臨時列車の留置に備えた。これらは1985年1月17日から開始された。当初、15両編成は普通電車(上野~取手間は実質の快速運転で、取手以北は各駅に停車)に限定されていたが、のちに上野~取手間の快速にも拡大された。

万博中央駅は国鉄ダイヤ改正日に合わせ、1985年3月14日に開業。国際科学技術博覧会の閉幕と同じ9月16日で営業を終えると、跡形もなく解体された。

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ひたち野うしく駅の周辺(画像:岸田法眼)

13年ぶりに駅が復活

1990年代に入ると、住宅・都市整備公団(現・独立行政法人都市再生機構)は、万博中央駅跡地付近に約235haの「ひたち野国際交流都市・人人(ひとびと)ニュータウン」(人人ニュータウン)の宅地開発(一戸建ておよび集合住宅)に取り組む。

当時、東京都の地価高騰により、持ち家、賃貸に関係なく、郊外に住まいを構える人々が増えていた。その人々は東京都外に住み、東京都内に勤めていることから、

「横浜都民」
「埼玉都民」

などと言われるようになった。茨城県では、取手市、古河市、守谷市などが東京への通勤圏、すなわち「茨城都民」のすみかと化していた。

1995(平成7)年5月17日、JR東日本と住宅・都市整備公団、牛久市は万博中央駅跡地付近に新設を建設することで合意。事業費約70億円のうち、駅舎やホーム(約50億円)は住宅・都市整備公団、駐輪場など(約20億円)は牛久市がそれぞれ負担した。のちに駅名が「ひたち野うしく」に決まる。

茨城県がかつて「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれたこと、新駅が牛久市に所在することが由来。「野」以外をひらがなにすることで、柔らかいイメージ、地域住民から親しまれる駅を目指した。さらに当時では珍しい、エスカレーターとエレベーターの両方を完備することで、いち早くバリアフリーに対応した。

人人ニュータウンも順調に宅地開発が進み、1997年度より分譲を開始。茨城県は東京都心に比べ、物価が安いことから、民間の分譲住宅は5LDKでも2000万円台に抑えた。

冒頭で述べたとおり、ひたち野うしく駅は1998年3月14日に開業。現在、駅周辺は宅地のほか、ショッピングセンター、銀行、郵便局、小学校、中学校が整備され、しかも居住地から徒歩圏内なので、利便性がよい。未開発の土地があることから、伸びしろが続く可能性を秘めている。

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ひたち野うしく駅で発車を待つJRバス関東のつくばセンター行き(画像:岸田法眼)

つくばセンター方面への玄関口も兼ねる

ひたち野うしく駅の開業は、つくばセンター方面へのアクセスにも影響した。

JRバス関東と関東鉄道は1998(平成10)年3月14日、ひたち野うしく駅~つくばセンター間の共同運行路線バスを新設した。これまで常磐線沿線から、つくばセンター方面へは荒川沖駅、もしくは土浦駅から路線バスが発着していたが、ひたち野うしく駅の開業により、路線バスを変える利用客が顕著になった。東京都内や千葉県内からだと、ひたち野うしく駅が近いということが影響している。

つくばセンターアクセスは当時、東京駅八重洲口からの高速バスが主流だったが、ひたち野うしく駅~つくばセンター間の共同運行路線バスは、それを補完する役割のほか、路線バス沿線から東京方面へ向かう通勤客ルートとして重宝された。

2005年8月24日のつくばエクスプレス線(首都圏新都市鉄道常磐新線)開業後も、ひたち野うしく駅~つくばセンター間の共同運行路線バスは1時間あたり2~3本運行されており、常磐線沿線からつくばセンター方面へのパイプ役として欠かせない存在だ。

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改札付近に掲示された第72代横綱稀勢の里のプロフィールと二所ノ関部屋への案内図(画像:岸田法眼)

牛久市と稲敷郡阿見町がランドマークに力を入れている模様

ひたち野うしく駅が所在する牛久市と、隣接する稲敷郡阿見町が力を入れているのは、観光客の誘致だろう。ひたち野うしく駅の改札付近には、牛久市出身の第72代横綱稀勢の里が興した二所ノ関部屋への道順を案内した看板兼地図がある。牛久市と稲敷郡阿見町は、二所ノ関部屋をひたち野うしくのランドマークに位置づけたいようだ。

二所ノ関部屋はひたち野うしく駅東口から徒歩約10分、牛久市から稲敷郡阿見町に入ってすぐのところにある。従来の相撲部屋と異なり、稽古場の土俵が2面、屋外にバスケットゴールを設けており、力士にとっては鍛えやすい環境が整っている。

また、相撲部屋では異例と言える来客用の駐車場を設け、付近には山稽古(土俵以外の場所で稽古すること)を想定しているのか、アスファルト上に土俵を描いており、夏以外は使えそう。さらに歩道上に設けられた玄関の塀は石製の棒で支えており、地震などが発生した際の倒壊防止に努めている。

今は敷地外から気宇壮大な相撲部屋を眺めるのみだが、新型コロナウイルスが完全に終息すれば、どの相撲部屋でも行われる朝稽古の一般公開が考えられる。牛久市と稲敷郡阿見町も“相撲の町”として大いにPRできるだろう。

参考までに茨城県の相撲部屋は式秀部屋(龍ヶ崎市)、立浪部屋(つくばみらい市。現在は都内に移転)以来3例目となり、二所ノ関部屋は“日本最北端の相撲部屋”だ。

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常磐線用のE231系通勤形タイプは品川取手間のほか、成田線我孫子~成田間にも運用されている(画像:岸田法眼)

交流電化がネック

常磐線首都圏エリア最大のネックは、取手~藤代間を境に直流電化と交流電化に分かれることだ。茨城県石岡市に気象庁の地磁気観測所があり、直流電化だと自然の地磁気に影響を及ぼす恐れがあることから、茨城県内の大半を交流電化にせざるを得なかった。これにより、交流電化エリアは列車の運転本数が少ない。

さらに一般形電車も東海道本線、東北本線、高崎線、湘南新宿ラインは、グリーン車、トイレつきのE231系近郊形タイプとE233系3000番台で、宇都宮・高崎~熱海間など広範囲に運用できる。

一方、常磐線は各駅停車を除き、グリーン車、トイレつきで、直流電化と交流電化の両方走行できるE531系、グリーン車、トイレなしで直流電化のみ走行のE231系通勤形タイプと異なる。このため、運用範囲も狭く、品川以西に乗り入れることはない。

別の見方をすれば、常磐線下り列車の始発駅は品川、上野に限定されること、上り列車はひたち野うしくで座席がすべて埋まっても、取手で始発の快速に乗り換えができるので、着席通勤がしやすいメリットもある。

岸田法眼(レイルウェイ・ライター)

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