綺麗事だとしても、悪口のない世界があるのなら

綺麗事だとしても、悪口のない世界があるのなら

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2020/11/22
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私には心掛けていることがあります。それはマイナスなことを口にしないこと。そして、誰かの悪口を言わないことです。

まあ、当たり前と言えば当たり前ですよね。子どものときに大人たちから何度も口酸っぱく言われてきましたので。けれど、いざ大人になって周りを見渡してみてふと思うことがあります。

「あれ、むしろ私たち大人の方がその当たり前を守れていないんじゃないの?」

なんということでしょうか!

ぼんやりとテレビを見ているときでも、テレビの中のコメンテーターが毒づいている場面が流れてきます。そういうメディアの攻撃的な部分は苦手です。

私はメディアの世界に憧れていました。世界の多くのジャーナリストたちのおかげで、小さな日本にいても世界中の新鮮な情報を知ることができます。テレビや新聞、スマートフォンを舞台にして様々なジャンルのあらゆる情報が顔をそろえます。ジャーナリストたちの伝えたいという強い意志が垣間見える記事を見聞きしたときは胸が熱くなりました。

ただ、大学の講義でメディア論を学んでから(といってもほんのさわりだけです)知ったのですが、どうやらメディアはマイナス思考な性質を持つようです。

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公共の電波を使って悪口を言うのはどうなのか

思い返してみれば、メディアで大々的に発信されるほとんどの情報はセンセーショナルなものです。過激でショッキングな事件を批判的に伝えれば伝えるほど人々の注目を引きます。残念ながらこれが人間の性なのでしょう。しかし、その中には世界の悪しき慣習についてジャーナリストたちが命がけで言及しているものや、痛ましい事故・事件が二度と起こらないことを願って報道するものもありますのですべてが悪いこととは思いません。

けれど、芸能界の不祥事に対して、例えば、芸能人の不倫に対する攻撃的な報道にうんざりしてしまいます。(不倫することは当たり前に悪いことだと思いますので、不倫そのものを肯定しているわけではありません。)

個人的には「不倫があった」という事実だけを伝えるだけで十分だと思うのですが、不倫報道に便乗して、その不倫をした芸能人の悪口みたいなことまで放映するのは果たして報道なのでしょうか。そもそも、人として公共の電波を使って悪口を言うのはどうなのかなと思うこともあります。

言葉というのは武器にも薬にもなると思う

私はなるべくポジティブにいようとしていますが、たまにネガティブになることもあってそういうときはバラエティ番組を見て元気をもらっています。よく相手を少しからかって笑いをとる「いじり」を見かけますが、そこで問題になるのは「いじり」と「悪口」の違いはなにかということです。

両者は紙一重でしょう。ですが、決定的な違いというのは相手を思いやる心、つまり、言葉に「愛」があるかどうかなんだろうなと思います。そこに愛があるのかお笑い芸人の今野さんに聞いてみたくなりますね。

話が逸れましたが、言葉というのは武器にも薬にもなると思います。ときにナイフのように鋭く相手の心を深く傷つけ、ときに傷ついた心を薬のように癒してくれます。私たちはそのことを念頭に置いて言葉を操らなければなりません。

何十年も前のことですが、小学校の卒業式の日に先生が「誰かの悪口を言って友達を作るな。それは本当の友達じゃない」と言いました。不思議とこの言葉をよく覚えています。当時の私はいまいちこの言葉の意味を理解してなかったと思いますが、今の私なら本当の意味がわかる気がします。

「誰かの悪口は人と人とを結びつけやすいが、その関係は脆い」

マイナスな感情でつながった関係が強いわけありません。そういった意味で本当の友達ではないということなのでしょう。

私はメディアが好きです。メディアが誰かの何かのマイナス面や悪口を伝えて、視聴者の関心をとるのは悲しいことです。どうかメディアと私たち見る側の人たちが、そんな脆い関係ではないように願いを込めて。

悪口のない世界があるのなら、私たちを取巻く様々なつながりは今よりもっと強いものになると信じています。

マルイキキ

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