《三宅裕司70歳に》「飲みに行くときは団員に絶対払わせない」 “親分肌”の名司会者はなぜ生まれたのか?

《三宅裕司70歳に》「飲みに行くときは団員に絶対払わせない」 “親分肌”の名司会者はなぜ生まれたのか?

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/05/03

子供たちを淡い色合いで描いた絵で知られる画家のいわさきちひろは、司法試験を目指す夫(のちの衆院議員・松本善明)のため絵筆一本で生活を支えていた1951年、一児を儲けた。長じてちひろ美術館・東京や安曇野ちひろ美術館を設立する松本猛である。

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三宅裕司といわさきちひろの縁

だが、しだいに仕事と育児を両立するのは難しくなり、生後まもない猛を信州にいた両親のもとにしばらく預けることになる。いわさきはそれでも折を見ては信州に通い、日頃から母乳を止めないよう、当時住んでいた神田神保町の隣の家でやはり生まれたばかりだった子供に乳を飲ませていた。猛より半月ほどあとに生まれたその子こそ、現在、俳優・タレントとして活躍する三宅裕司だ。三宅はそのことを訊かれるたび、《ちひろさんが描いたたくさんの子どもたちの絵のなかに、僕の顔がちょっと入っているかもしれないですよね》などと冗談を飛ばしている(※1)。

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三宅裕司と乳母・いわさきちひろの作品 ©️文藝春秋

その三宅はきょう5月3日、70歳の誕生日を迎えた。1979年に劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を旗揚げして以来、座長を務めるとともに、テレビやラジオでも活躍する。

「イカ天」「夜もヒッパレ」「ヤンパラ」…司会やラジオでも活躍

俳優として舞台以外にも、NHKの朝ドラ『ひよっこ』などドラマにもときどき出演しているが、テレビではどちらかというと司会者の印象が強い。司会を務めた番組のなかには、バンドブームを巻き起こした『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称「イカ天」)をはじめ『THE夜もヒッパレ』『どっちの料理ショー』など人気番組も数多い。ラジオでも80年代に若者の支持を集めた『三宅裕司のヤングパラダイス』以来、パーソナリティを続けている。

司会も座長も要(かなめ)のポジションだ。大勢をリードする立場で、テレビ・ラジオのレギュラーとあわせて劇団の公演を40年以上にわたってコンスタントに続けている芸能人は、三宅ぐらいではないだろうか。

お笑いに造詣の深いイラストレーターの山藤章二は、各方面で活躍し始めた頃の三宅と対談し、彼のことを《発声とか態度の大きさが、実に座長的》と評した(※2)。“座長肌”は青少年期に培われた部分も大きいのだろう。小学生のころは、勉強もスポーツもよくでき、学芸会でオルガンを弾いたり、町内会の祭りでは太鼓を叩いたりと常に目立つ存在だった。高校・大学時代は、バンド活動と落語研究会を掛け持ちする。目立ちたがり屋の彼は、バンドでドラムを叩いていても、どこでスティックを回せば目立つかとか、どんな衣装にすれば女の子にモテるかとか、パーティの入場料をいくらにすれば儲かるかとか、音楽以外のことに神経を使っていた。それが、のちのち座長になってから意外にも役立っているという(※3)。

大学の落研で、面白さはトップクラス

明治大学の落研の後輩のなかに、落語家の立川志の輔、コント赤信号の渡辺正行がいたことはよく知られる。富山出身の志の輔は、部員のなかでも面白さはトップクラスだった三宅から、これが粋な笑いなんだと教わったという(※4)。それだけに、研究会の誰もが三宅は卒業したら落語家になるのだろうと思っていた。だが、彼が目指したのは喜劇俳優だった。落語のように1人で座って演じる芸より、立って動き回りながらグループで演じる表現のほうが自分の性格に合っていると思ったからだという。

磨けば光る才能を集めて劇団を旗揚げ

卒業後は日本テレビのタレント学院などを経て、大江戸新喜劇という劇団に参加する。しかし、この劇団の主宰者の笑いのセンスが古くて、芝居はまったくウケない。公演を重ねるたびに客が減っていくなかで三宅はふと、これほどウケない芝居なら、ここでやっていることをすべて逆にやれば大ウケするのではないかとひらめいた。そこで冷静に見ていくと、具体的にどこが悪いのかわかってきた。

そもそも劇団の芝居は、台本には物語の要点が簡単に書いてあるだけで、あとは役者のアドリブで見せる、「アチャラカ」と呼ばれる芝居だった。だが、アチャラカの笑いが成り立つためには、1人でも客を笑わせることのできる高い表現力を持つプロの芸人を必要とする。プロの芸人同士がハイレベルなアドリブをぶつけ合うからこそアチャラカは面白いのに、それを素人がやればただの“おふざけ”になってしまう。劇団の芝居がまさにそれだった(※3)。

これとは逆に、きちんと練られた台本を役者が的確に演じれば、しっかり笑いも取れるのではないか。幸い、劇団には役者もスタッフも磨けば光りそうな才能がそろっていた。そこで三宅は彼らを集めて、コントを書いていた大沢直行に台本を頼み、自ら演出して公演を行なった。これが予想以上に大ウケを取る。自信をつけた三宅は、このとき出演した永田耕一や小倉久寛らとともに劇団を脱退し、新たな劇団を旗揚げした。それがSETであった。

大先輩である伊東四朗と絶妙なやりとり

三宅はテレビに出始めた頃にはコントも披露していた。80年代に放送された『いい加減にします!』などのバラエティ番組では、喜劇界の大先輩である伊東四朗と組み、セリフがいつのまにか歌になってしまうコントなど絶妙なやりとりで笑いを取った。

ただ、三宅が最初に舞台を演出して以来、「演じる笑い」を信条としてきたのに対し、テレビではちょうど『オレたちひょうきん族』に代表される、出演者のキャラクターやアドリブに頼った笑いが勢いを増していた。彼がテレビでコントから司会へ比重を移したのも、こうした笑いが自分の目指すものではないと判断したからだった。

東京の笑いを意識した三宅の劇団SET

SETは結成時より「ミュージカル・アクション・コメディ」を標榜するとおり、俳優たちが歌って踊り、派手なアクションを見せながらの喜劇を売りにしている。常に観客の意表を突くため、公演では毎回、劇団員が新たなことに挑戦してきた。劇中で綱渡りをやるために劇団員がサーカスで修業したこともある。ほかにも楽器演奏など、40人近くいる団員が1つの目標に向かって1年くらい練習しないとできないようなものをしょっちゅう入れているが、それも劇団だからこそできることだ。演劇界では90年代以降、公演ごとに俳優を集めるプロデュース公演が主流となっていくなかで、三宅が劇団という形にこだわるのは、そんなところにも理由がある。

大阪の笑いに対し東京の笑いを強く意識する三宅にとって、音楽も重要な要素だ。大阪人には「そんなカッコつけても笑いは取れない」みたいなところがあるのに対し、東京人はどうしてもカッコつけたがる。だから彼は舞台でもセンスのいい音楽を流すのだが、そのあとでバカなことをやれば、落差は大きくなる。そのおかしさを狙うのが東京喜劇だというのだ(※5)。2004年には東京喜劇を継承するべく、伊東四朗を座長に担いで「伊東四朗一座」を旗揚げしている。以来、伊東がいないときは三宅自ら座長となって「熱海五郎一座」と称して、喜劇の公演を続けてきた。

劇団が長続きした理由は「座長の人柄と金遣い」

SETが結成30年を迎えた際、劇団が長続きした理由を訊かれて、三宅が《座長の人柄と金遣いじゃないですか》と冗談めかして答えたのを受けて(金遣いというのは、劇団で飲みに行くときには団員には絶対に支払わせないことを指す)、小倉久寛は《「この人について行けばなんとかなる」ってカリスマ性みたいなものが三十年前くらいからあったんですよ。徐々にお客さん増えてくるし、いろんな人から注目されるようになっていく。だからみんなついてきたんじゃないですか》と語っている(※6)。

劇団にかぎらず、いかに三宅が多方面で人望を集めているかを示すエピソードがある。それは10年前に還暦を迎えたときのことだ。

天国のような還暦祝い

発端は、ジョン・ピザレリという三宅が大好きなジャズミュージシャンが来日して青山のブルーノート東京で公演をする、しかも業界関係者向けのシークレットライブで一般にはチケットが売り出されていないと、マネージャー経由で知らされたことだった。三宅は、すぐにチケットの手配を頼んだ。だが、コンサート当日、マネージャーが遅刻してきて開演に間に合わない。怒りながら急いで会場に飛び込むと、いきなり自分にピンスポットが当たる。ピザレリが客席から登場してきたのだと思って、ライトをよけると、傍らにいたマネージャーにライトのなかに押し返されてしまう。それでハッとして周囲を見渡せば、そこには彼がこれまでお世話になった300人以上もの人々が集まっており、やがてペンライトを揺らしながら「ハッピーバースデイ」を歌い始めた――。そう、ピザレリの来日もシークレットライブというのもすべて嘘で、じつは三宅の還暦祝いのため用意されたサプライズだったのである(※7)。

そんな天国のような還暦祝いの翌月には一転、脊柱管狭窄症で緊急入院となった。かなりの重症で、当初は所属事務所のスタッフが担当医から「最悪、二度と舞台には立てないかもしれない」と宣告されたほどだったが、手術後、リハビリに励んで見事に復帰する。長い入院生活のなかで三宅は、自分の原点である喜劇と改めて大事に向き合いたいと思い、東京喜劇の継承を誓ったという(※8)。

昨年には予定されていた「熱海五郎一座」の公演『Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー~日米爆笑保障条約~』がコロナ禍により延期を余儀なくされ、今月30日にようやく初日を迎える。無事、幕が開くことを祈りたい。

※1 『週刊朝日』2020年6月12日号
※2 三宅裕司『錯乱の飛翔星人』(朝日出版社、1985年)
※3 三宅裕司『いまのボクがこうなわけ』(講談社、2003年)
※4 『婦人公論』2019年9月24日号
※5 『週刊文春』2012年4月19日号
※6 『悲劇喜劇』2009年11月号
※7 『週刊現代』2012年11月10日号
※8 『婦人公論』2012年5月7日号

(近藤 正高)

近藤 正高

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