天皇になろうとした男・道鏡が、女帝を虜にした手練

天皇になろうとした男・道鏡が、女帝を虜にした手練

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  • 更新日:2021/11/26

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

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古今東西、陰茎の大きさとその形状には男女問わず関心が高いが、日本で巨根の代表者といえば奈良時代の僧侶、道鏡だろう

世界では巨大な男性器を信仰している地域が数多くある。

男根信仰とは古代より男性器が多産・豊穣・開運をもたらす呪力を宿すものとして崇拝されてきたもので、日本では古くから金精神と称され、広義では男根の形をした御神体を祀った神全般をあらわすこともある。

男根の形をした御神体を祀った道祖神(塞の神)と混同されることが多いが基本的に道祖神と金精神は異なる神である。

古来、男性器は魔除けの呪具であり、生命の源、あらゆる活動の原動力とされ、信仰の対象となっていった。

そのため、より大きく、より逞しいことが男性にとって、その優位性を示すものとされ、格式の一つと捉えられる傾向がある。

巨根とは他人よりも群を抜いて尨大で立派、という相対的な観念である。

男性ならば誰しも巨大な陰茎に対する憧憬を抱くもので、そうした素懐を巨根願望という。

「陰茎が大きい方が男らしく女性が喜ぶ」だとか「子供なみに男性器が小さければ、力のない男と見なされて情けない」という妄想を抱く男性も多いはずだ。

では、巨根とはどのような水準を指すのか。

陰茎の大きさは、身長などの割合からみた比率、大きさの実測によるものなど尺度はまちまちなため、具体的にこれが巨根だと定義するのは難しい。

また、陰茎を組成する要素は逸物の長さだけでない。

形状も重要な一端であり、その容体は実に多彩だ。中央部分が太いツチノコ型、根が太く尖端に向かって細くなるトマホーク型、亀頭冠が原爆雲のような形の松茸型など様々なバリエーションがある。

男性器には、その長さもさることながら太さと形、そして硬さも重要な要素であり、その組み合わせにより、性愛時における機動性と効果に影響が出る。

人間の陰茎は他の霊長類や動物と比べて、身体の比率からすると大きいとされるが、それには、いくつかの説がある。

性器が長く亀頭が大きければ、先客が交接した際、膣に残った精子の残滓を掻き出すことが容易となる。

また、陰茎が雌に刺激を与えることにより排卵などを促す効果があるとされる。

さらには、人間は大きな脳の胎児を娩出するために女性の骨盤が大きく進化したため子宮の場所が腔のより後方にある。

そのため、陰茎が大ければ精子がより子宮に近づけることで効率よく子孫が残せるとの説もある。

男性の多くが大きな巨根に憧れを抱くのは、そうした潜在的に子孫繁栄といった本能的な動機によるものかもしれない。

男性が巨根か否かを判断する材料としては、鼻が大きい。親指が長い、手の甲から小指までの長さが勃起時の長さにあたるというものもある。

また、陰茎が太いか否かの見分け方として、左右の人差し指と薬指、合わせて4本を束ねて合わせた太さが陰茎の太さと一致するといわれ、男性器の大きさや太さを測る多くの俗説が散見される。

日本人男性の成人の平均勃起陰茎長は12.5センチとされ、下限は5~6センチ。中には30センチオーバーという規格外の猛者もいるそうだ。

では、どの領域が巨根なのかといえば、一般に17センチ以上とされている。平均勃起陰茎幅、つまり太さの平均では直径3.2センチだとか。ちなみにアフリカ系では4~6センチとの報告がある。

日本男児としての理想的な陰茎の構成要素の組み合わせとしては、長さは17センチ以上で径は4センチ以上。

形は先端の鬼頭が大型の松茸型で、硬度の高いものが情事において、他人に引けを取ることなく、女性を悦ばせるための威力と効果が発揮されるようだ。

男女問わず男性の陰茎の大きさとその形は国内外を問わず関心が高いが、日本で巨根の代表者を挙げるならば、奈良時代の僧侶、道鏡であろう。

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天皇になろうとした男、道鏡とは

日光の金精峠は道鏡の男根を金精神として峠に祀ったのがその名の由来だが、道鏡の巨根伝説は全国各地に伝えられ、数々の歴史書にも記されている。

淳仁天皇(733-765)は「あの禅師(道鏡)、放っておいては為にならぬ。(孝謙)上皇の寵遇を嵩(かさ)にきて増上慢ぶりは目に余る」と、その憤激を家臣である藤原仲麻呂にぶつけた。

その背景には、天皇の地位にありながら、孝謙上皇の背後で糸を引く妖僧、道鏡の介入が原因で思うように権力を握れない苛立ちによるものだった。

道鏡は「大化の改新」の中大兄皇子で知られる天智天皇(626-672)の子・志貴皇子の落胤説で皇位を授かる資格があったとの説もある。ちなみに志貴皇子の孫は平安京に遷都した桓武天皇である。

だが、物部氏の一族・弓削氏の末裔、弓削櫛麻呂の息子として生まれたというのが、道鏡の出自で最も有力な説とされる。

道鏡は修験道の開祖・役行者が開山した葛城山で苦行を重ねて呪験力を身につけたという。

その後、法相宗の高僧、義淵の弟子となり、さらには東大寺の華厳宗の名僧良弁の弟子となる。道鏡の祈祷は平城京の都で評判となり、やがて宮中に招かれる。

宮中に設けられた仏教道場に仕える看病禅師として、道鏡は病に伏せった孝謙上皇を治療する役目を拝命する。

そこで密教占星術宿曜秘法を用いて上皇の病を治癒させた結果、道鏡は孝謙上皇の絶大な信頼を得ることになる。

以降、上皇の寵愛を受け、政治的にも重用され続け、何の実績もないままに少僧都、大臣禅師と出世街道を直走った。

そうした状況に危機感を募らせた淳仁天皇と藤原仲麻呂は、孝謙上皇との対立を深め反乱を企てるも失敗。藤原仲麻呂は殺害され、淳仁天皇は淡路島に流され憤死。

孝謙上皇は、以前、孝謙天皇の時に退位し孝謙上皇となったが、称徳天皇と名前を変えてして再び天皇に返り咲いた。

称徳天皇となってまず行ったのが、史上例をみない太政大臣禅師に道鏡を就任させ、さらには聖徳太子のみ称せられた法王という最高位の地位を与えたのである。

それは天皇とほぼ互角の地位に引き上げたことを意味する。

女帝は道鏡を政権の中枢に座らせて、次期天皇候補となるほど権力を掌握させたのである。

だが、日本は開闢(かいびゃく:天と地が初めてできた時)以来、天照大神の子孫である天皇家に生まれた者でなければ皇位を継ぐことはできないという決まりがある。

「皇位簒奪」とは、「皇位は不朽の万世一系によるもの」という思想から出る言葉だが、なぜ称徳天皇は、その絶対規律を破ってでも、皇族ではない道鏡を天皇に就かせようとしたのか。

宇佐八幡宮の神託であるとして、中臣習宜阿曾麻呂は「道鏡が皇位に就くべし」と報じると、称徳天皇は「宇佐八幡から道鏡を皇位につかせれば天下太平になるという神託があったから自分は道鏡に皇位を譲る」と言い出して聞かない。

慌てた朝廷は、その真偽を確かめるべく、和気清麻呂を勅使として宇佐八幡宮に送った。

結果、清麻呂が持ち帰ったのは「天皇の跡継ぎには必ず皇族を立てよ」「道鏡を天皇にしてはならない」という託宣だった。道鏡は、ここで天皇に即位する道が絶たれた。

女帝称徳天皇が770年に崩御し、光仁天皇(709-782)が即位すると、道鏡は光仁天皇の勅命で下野国(栃木県)薬師寺別当となり、その2年後に客死する。葬儀の様相は庶民と同様の格式だったという。

御皇統を揺るがした道鏡だったが、なぜ、これほどまでに女帝の心を鷲掴みにして、権力の絶頂に昇りつめたのか。

その理由として、道鏡が女帝称徳天皇と多淫に耽った姦通説や道鏡の並外れた巨根説などが囁かれてきた。

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女帝、称徳天皇は、なぜ道鏡に朝廷の権力を掌握させ、皇族ではない道鏡を天皇に就かせようとしたのか

歴史書にみる道鏡巨根伝説

道鏡失脚からまだ、然程、時が経っていない平安時代初期に成立した日本最古の説話集『日本霊異記』には孝謙女帝との秘め事の様子が詳細に綴られている。原文とともに現代語訳はスクリプトにて当時の状況を紐解いてみよう。

「道鏡法師が皇后と同じ枕に交通(とつぎ)」

(道鏡はついに孝謙上皇に究極の快楽を与えるチャンスが訪れたことに激しく昂奮し、たちまち股間の如意棒を天に向かって屹立させた。道鏡は女帝の腰をたたき込むように突きまくるにつれて、肉の袋に粘りと蠢きが発生し、女帝を酔い心地にさせた)

「法師等を裙着(もは)きたりと軽侮(あなず)れど、そが中に腰帯薦槌懸(こしおびこもづちさが)れるぞ。弥(いや)発(た)つ時々、畏(かしこ)き卿(きみ)や」

(法師たちは裳〈も〉をはいているから聖職者だと思って油断し侮ってはならない。裳の下には宝石で飾られた帯とともに青筋立った熱い獣が息づいている。その暴れ棒が一端、そそり立てば、潤った魔性の穴ぐらをかき回し続ける。その威力は凄まじいのなんの)

「和が黒みそひ股に宿〈ね)給へ、人と成るまで」

(私〈道鏡〉の怒昂した赤黒い肉鉾が、あなた〈称徳天皇〉の湿潤の花弁を押し開き、深部へと抉り込むように救い上げて差し上げましょう。あなたの身体が波打ち隆起し、生命が吹き込まれるまで)

など、道鏡の巨根が称徳天皇を淫奔に走らせたことを暗示する戯れ歌が綴られていることから、当時、女帝と道鏡の関係は宮中だけでなく、世間に広く知れ渡っていたようにも見受けられる。

さらに、鎌倉時代初期に成立した『古事談』には称徳天皇が自慰に耽ったことが崩御の引き金となったと明かしている。

「称徳天皇、道鏡の陰猶不足に思し召され、薯苧をもって陰形を作り、これを用いしめ給ふ」

(称徳天皇は道鏡との交接に耽溺していたが、やがて道鏡の巨大な肉棒にも飽き足らなくなった。女帝は自らから薯蕷〈やまのいも〉を削り、男根の形を模した巨大な張形を作ると、滾る欲望からか自らの蜜壺に、それをぐいっとねじ込んだ)

極上の快感から、頂上に達した女帝の身体は躍動的に波打ち、痴肉は小刻みに痙攣している。

すると、張形は、その振動と圧縮によって羞恥の源泉の通路の中で折れてしまった。女陰は、次第に腫れあがり、秘密の肉壁はさらに塞がり、いよいよ大事となる。

百済から来た手が赤子のように小さい女医の小手尼が、女帝を診察すると「安心してください、すぐに取って見せますから」と手に油を塗り、その手を女帝の花溝に入れようとした。

その瞬間、権臣の藤原百川が「この霊狐め!何する者ぞ!」と叫び、すかさず抜刀、小手尼の肩に斬りつけたことで、女帝は為す術もなくなり崩御した、とある。

道鏡が称徳天皇の愛人だったとする歴史書は『日本霊異記』『古事談』『日本紀略』『水鏡』など複数に及ぶ。

そこには道鏡が称徳天皇を、巧みに手なずけて、自分の思い通りにできたのは、女を狂わせる絶妙な性の妙技と、霊動を発する巨大な肉杭によって女帝を陶酔させた結果によると、そろって、その手管を指摘している。

称徳天皇が道鏡との情事を求め、気が遠くなるほどの快楽に浸っていた時、女帝は既に40代半ばだった。

彼女は東大寺大仏を建立した聖武天皇の娘に生まれ、政治上の謀り事や駆け引きにより史上初の女性皇太子となった。

そして父・聖武天皇の後を継いだ。女帝となった彼女を待ち受けていたのは、権力闘争の渦中に身を置く暗鬱たる孤独な人生だった。

そのような中で唯一、心の拠り所として彼女の人生の渇きを癒し、瑞々しい潤いをもたらせたのが、道鏡との最初で最後の愛の佳境だったのだろう。

女帝は、男に一度入れ込んだら徹底して愛を貫く主義であった。

道鏡しか眼に入らない称徳天皇に、家臣が箴言しても耳を貸すことはなかったばかりか、血相を変えて逆上し「ならば尼になる」と言い出すなど直情的で暴走しがちな性分だった。

自身の意に添わないこと、癇に障ることを言われると、反撥してそれを強引に抑え込もうとする頑固な性格が、そこに見て取れる。

また、宇佐八幡宮神託事件では和気清麻呂に別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)などと卑しい名前を命名するなど、己の意に添わない相手や疎んじる者に対しては徹底して貶めるなど、攻撃的な性格も見受けられる。

江戸時代になると、道鏡と女帝の川柳が詠われた。

「道鏡は座ると膝が三つでき」

「道鏡に(女帝が)根まで入れろと詔(みことのり)」

「道鏡に崩御(昇天する。快感で法悦状態になる意)、崩御と称徳言い」

それは道鏡の巨根と、それに溺れた称徳天皇を皮肉交じりに詠ったものだが、道鏡の巨根説のモデルは中国の古典『史記』に記された、ある物語を起源とする説がある。

それは、中国戦国時代の政治家で権勢を誇った呂不韋が、のちの秦の始皇帝となる太子・政の生母で太后の趙姫と密通してたという話である。

趙姫は元来、淫奔な女性で、荘襄王の死後、性的欲求不満となり、太后から同衾の誘いによるものだったが、政が成長し王となると国母となった太后と不義密通を続けるのは危険と呂不韋は判断し、自分の代わりに嫪毐という巨根の男を太后にあてがい男性の入れぬ後宮に宦官に変装させて送り込んだ。

淫乱な太后は嫪毐の巨根に無我夢中となって歓喜に浸った。

道鏡の女帝との姦通の話は、おそらく道鏡と嫪毐の話が結びつき、高貴な夫人を巨根の男がたらし込んだという連想によって作られた話との説もある。

称徳天皇が崩御すると、道鏡は晩年、熊本を訪れ藤子姫という妖艶華麗な女性を見初めて夫婦となった。

藤子姫の献身的なもてなしと性愛により、淫蕩な道鏡は良き夫として安穏で幸せな晩年を過ごしたと、熊本の弓削神社に伝わっている。

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陰茎には呪力が宿るとの信仰がある。熊本の弓削神社は、五穀豊穣、家業繁栄の神として崇められ、特に陰陽茎の弱筋、子宝に恵まれない人、縁遠き男女、下の病に悩む人、夫婦間の不和、浮気封じの問題解決など、多くの霊験があるとして、今も数多くの人々に崇められている

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市川 蛇蔵

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