TOKIO国分太一「SMAP激アゲゲッチュー」ツイートに「TOKIOとSMAP」デビュー前からの「複雑すぎ因縁」と「超ディープ愛」

TOKIO国分太一「SMAP激アゲゲッチュー」ツイートに「TOKIOとSMAP」デビュー前からの「複雑すぎ因縁」と「超ディープ愛」

  • 日刊大衆
  • 更新日:2021/11/25
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長瀬智也所属時代のTOKIOとSMAP

11月23日に、TOKIO国分太一(47)がツイッターを更新。

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《radioで青いイナズマが流れてきた 頭の中で無限ループ ゲッチュー! いい曲だなー #今日はSMAP曲がよく流れる》

と、この日ラジオでSMAPの曲が多く流れた、と報告した。

「《やっぱりゲッチュー!言いますよね。SMAP名曲揃いだもの》という声にくわえて、コアなファンからは《太一くんがゲッチューを歌う世界線もあったかもしれない…?》という声もありました。実は国分は、Jr.時代にSMAPの一員だった時期があるんですよ」(女性誌記者)

正式なデビューは木村拓哉(49)、中居正広(49)、稲垣吾郎(47)、香取慎吾(44)、草なぎ剛(47)、森且行(47)の6人組としてスタートしたSMAPだったが、初レギュラー番組はまだJr.グループだった88年の『いつみ・加トちゃんのWA―ッと集まれ!!』(フジテレビ系)だった。この番組に国分は、稲垣が修学旅行で不在の時などに代理出演していたのだ。

「さらに、当時のアイドル雑誌では稲垣と森、草なぎが不在で、代わりに国分と元V6坂本昌行(50)、そして現在は消息不明の岩佐克次がSMAPとして扱われていたこともありました。これは、そもそもSMAPが光GENJIのバックダンサーで12人組の“スケートボーイズ”の総称といった扱いで、“SMAP”の名称は単に、一部のジャニーズJr.がふわっと雑誌に登場している、という程度の意味合いしかなかった、ということも関係していますね」(前同)

ちなみに、SMAPのデビュー曲といえば91年の『Can’t Stop!!―Loving―』だが、当時の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)では、デビュー前のTOKIOがバックバンドをやっていた様子も確認できる。

■城島「僕らもSMAPみたいにおしゃれな音楽をやりたい」

「元ジャニーズスタッフらによる著書『SMAPがいた。僕らがいた』(主婦と生活社)によると、スポンサー等への配慮でカットされたものの、01年にTOKIOがキリンのラガービールとタイアップした『カンパイ!!』をリリースした際、音楽のノリが不服だったらしく雑誌取材の際に城島が“僕らもSMAPみたいにおしゃれな音楽をやりたい”としみじみ語っていたそうです。ちなみに、当時のSMAPのヒット曲は『SHAKE』や『ダイナマイト』。“おしゃれな音楽”と評するのも納得です」(専門誌記者)

同書によると、SMAPのコンサートにデビュー前のTOKIOが登場すると主に中居がトークで軽くイジりながらも盛り上げ、「みんな、TOKIOの応援もよろしくね」と会場ファンにもPRしてくれていたという。デビューの時期は違うが年齢は近かったこともあり、関係は良好だったようだ。

ちなみにTOKIOのデビュー当時について、木村拓哉は昨年12月23日の『TOKIOカケル』(フジテレビ系)で、

「“バンド”っていう形態を、男闘呼組以来にやるって聞いて。『ほお~!』って」

と回想していた。当時の城島はまったくデビューの気配もなく、いつも合宿所に住んでいるような状態だったため、

「ギターが、合宿所の無限の住人だったから、『うわあ、あの人がギターなんだ』って」「だってさ、(合宿所で)ずっと耳かきしてるんだよ!? 踊らないし、『何してんだろう?』と思って」

と、木村は城島のデビューに驚いていたそうだ。

「TOKIOでは松岡昌宏(44)は紫色が大好きで、中学時代は紫のダブルのスーツでキメていたのは有名な話ですが、これは木村が89~91年放送の『アイドル共和国』(テレビ朝日系)で“(SMAP衣装の)スーツ、かっこいいですね”と話す松岡に“もう1個あるから”とプレゼントした服だといいます」(前同)

最近でも、昨年6月に木村は松岡主演ドラマ『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系)のポスターを前に、

《エレベーターにこのサイズのポスター……(顔文字)迫力が……(顔文字)松岡ぁ〜‼︎ファイトぉ〜!!》

と、インスタグラムでエールを送っていたこともある。

■松岡と長瀬のジャニーズ人生にも影響を与えていた

「そもそも、松岡が芸能界入りしたきっかけはSMAPの香取。16年の『オールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)によると、松岡は同い年の観月ありさ(44)がテレビで活躍しているのを見て感動したものの“ジャニーズ事務所は大人じゃないと入れない”と思い込んでいたそうです。

ところが、当時10歳の香取がテレビに出ているのを見て、同い年でも大丈夫だということに気づき、“それでジャニーズに(履歴書を)自分で送るんだよね”と話していました。その後、元V6の井ノ原快彦(45)と香取、松岡は同い年同士で仲良くなったと話していました」(前出の女性誌記者)

今年3月末で芸能界を去った長瀬智也(43)は原宿にあった合宿所で、

「木村くんとかにGuns N’ Rsesとか、Skid Rowとか、カッコいいバンドをとにかく教えてもらった」「僕の数少ない、カッコいいことを教えてくれる先輩だった」「バンドを教えてもらって、どこか僕にとっても、TOKIOとしても、すごく力になったような気がする」

と、19年2月にラジオ『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』(TOKYO FM)で話していた。

また、趣味が一致していたことから、TOKIOでは唯一木村とプライベートでも交流があったことで知られ、『NHK紅白歌合戦』でSMAPとTOKIOが共演する際は、必ずSMAPの楽屋に顔を出していたという。

■いまだから分かる“Can’t Stop”の真意

SMAPと関係が深かっただけに、情報番組『白熱ライブ ビビット』(TBS系)のMCを務めていた国分は、SMAP解散騒動の際に、

「『スマスマ』(フジテレビ系)を見ながらでも、正直な話、僕、SMAPを認めたいと思いたくなかった、そのときは。いつかSMAPを越えたいから。認めてしまったら、僕はあの先輩にかなわないんじゃないかなと思ったりしたから。数年前とか、SMAPのことも、うーん、なんだろな、このグループ、あんまり好きになれないと思ったときもあったんですけど。

でも昨日の『スマスマ』を見て、こんなことをやっていたんだ、SMAPは、と思ったときに、俺ってちっちゃい人間だなと思ったり、正直しました。やっぱり、もうね、この先輩は越えられないなと」(SMAP解散時)

「関係性としてはいつも笑顔でもあるんだけど、SMAPとジャニーさんが厳しい目で言い合っていたのとかも見たりして。その関係に僕は憧れていました。ジャニーさんの中でも思い出たくさんあると思う」(稲垣・草なぎ・香取の退所時)

と、それぞれコメントしていた。

「逆に、昨年2月に明るく円満退所会見を開いた中居については“城島くん、(退所を伝えるの)忘れた。本当にごめん!”と話していた件を2月22日の『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日系)で城島が“本当に気遣いの人、気配りの人。分かっていてわざとやっている”と、わざとネタ発言を用意してくれたことに感謝し、

“これからも互いに『Can’t Stop』で頑張りましょう!”

と、デビュー曲『Can’t Stop!!―Loving―』のタイトルで締めました。

今にして思うとこの時点で長瀬の退所や『株式会社TOKIO』の設立はほぼ確定だったわけですから、ことさら“Can’t Stop”の意味が重いですね……」(前出の専門誌記者)

TOKIOとSMAP。共演の機会は多くなかったかもしれないが、実は誰よりも深い縁のあるグループだったーー。

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日刊大衆編集部

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