開業時の利用者は1日たった16人!迷宮と化した渋谷駅発展の歴史を紐解く

開業時の利用者は1日たった16人!迷宮と化した渋谷駅発展の歴史を紐解く

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  • 更新日:2016/11/30
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渋谷駅周辺は再開発の真っ只中だ〈筆者撮影)

JR渋谷駅中央改札口を出て、地下にある東横線のホームへ向かう途中「ここには63年間、東横線渋谷駅の改札口がありました」と書かれた看板が通路の壁に掲示されていた。

2013年3月16日、東急東横線の渋谷駅が地上2階の高架駅から地下5階へと移動し、東京メトロ副都心線との相互乗り入れを開始した。東横線渋谷駅の名物だった「カマボコ屋根」の下で、大勢の人々が別れを惜しんだ出来事は、まだ記憶に新しい。

現在、渋谷駅の東側は大規模工事の真っただなか。幾本もの大型クレーンが空を向いて立ち、掘り下げられた地面の上で重機が動いている。

2012年4月、渋谷駅東方の東急文化会館跡にオープンした「渋谷ヒカリエ」を皮切りに、渋谷駅周辺の再開発はすでに始まっている。

複数の鉄道、交通事業者が集まる渋谷駅は、長い間それぞれが増築や改築を続けてきた。その結果、複雑怪奇な構造になり、乗換の動線が不明瞭でバリアフリー化にも支障があった。これを解消する目的で渋谷駅の抜本的な改築とあわせ、駅周辺の再開発に着手することになった。

渋谷駅周辺地区における都市再開発計画は「渋谷駅街区」「渋谷駅南街区」「道玄坂一丁目駅前地区」「渋谷駅桜丘口地区」「渋谷宮下町計画」と大きく5つの地区・街区に分けられ、今まさに進行中だ。

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品川線の駅として誕生

渋谷駅が開業したのは1885(明治18)年3月1日。品川から池袋、板橋を経て赤羽へ至る「品川線」の駅として設置された。品川線は民営の日本鉄道が建設。当時、日本の主要な輸出品だった生糸や絹織物を、北関東から横浜の港へ運ぶのが目的だった。

開業当時の渋谷駅は現在の場所から品川方へ約300メートル離れた「中渋谷村字並木前」にあった。これは今の埼京線ホームがある付近である。

品川線は、大崎から目黒川沿いに沿って敷設される計画があったといわれる。『新修渋谷区史』(1966年編さん)によれば、下目黒で住民の反対運動に遭い、大掘割工事をして五反田から目黒、恵比寿を経る今のルートに変更されたと記されている。

開業時の利用者は1日16人

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現在ではJRだけで1日の乗車人員が37万人を超える渋谷駅〈筆者撮影)

現在、JR渋谷駅の一日平均の乗車人員(乗車のみの人員)は372,234人。JR東日本の駅で第5位にランクする。しかし、開業当時は利用客が少なく全く振るわなかった。『東京府統計書』には、渋谷駅開業から一年間の利用客数が残されている。これによれば、乗車人員6,438人、下車人員5,816人、1日平均にすると16〜17人/日ほど。現在の渋谷駅の様子からでは考えられないような数値である。

開業当初の品川線は単線で、運行本数は1日3往復。車両は1、2等の合造車に3等車という2両編成を蒸気機関車が牽いた。渋谷駅に配置された駅員は、駅長以下6名だったという(新修渋谷区史より)。

当時の渋谷界隈は、宮益坂や道玄坂、広尾の周辺に民家が密集していた程度で、駅周辺は田畑に囲まれていた。そもそも住人が少ないのだから、利用が振るわないのは無理もないだろう。

人影がまばらだった渋谷駅も、明治20年代後半になると鉄道の利便性が人々の間に認知され、目に見えて利用者が増加した。やがて宅地も増え、郊外や都心からの鉄道路線が渋谷を目指して乗り入れるようになる。

ターミナル駅として急成長

1907(明治40)年8月、玉川電気鉄道(後に東急玉川線、地下化され新玉川線を経て、現在の田園都市線の一部)が道玄坂上から渋谷駅前へ延伸開業。1911(明治44)年8月には、東京市電(後の東京都電)が渋谷駅前への乗り入れを開始した。

国有化され、名称も品川線から山手線の駅となった渋谷駅は、1916(大正5)年に半円形の大きな採光窓と時計塔が特徴的な、2代目駅舎が現在のハチ公口付近の地平に竣工。同時期に渋谷駅周辺の高架工事が行われ、工事完了後、現在の場所に駅が移転した。玉川電気鉄道は山手線との立体交差が可能となり、天現寺橋へ至る「天現寺線」を、1922(大正11)年に渋谷橋までの区間で開業している。

昭和になると、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄が1927(昭和2)年に開業、1933(昭和8)年には帝都電鉄渋谷線(現・京王井の頭線)が相次いで開業した。渋谷駅は東京南西部のターミナルとして発展を遂げてゆく。

なかでも東京横浜電鉄は、渋谷の街を大きく変える存在となったが、その中心的人物が実業家の五島慶太。関西で阪急沿線の田園都市開発に成功をおさめた小林一三を手本にし、沿線に娯楽施設を建て、また多くの学校を誘致した。

渋谷駅においては、梅田駅の阪急百貨店に習って「東横百貨店」が設置された。渋谷駅の東に建てられたのは、地上7階、地下1階、3600坪の鉄骨鉄筋コンクリートビル。設計者は和光の銀座本館などを設計した建築家の渡辺仁。白亜のビルが、渋谷の街で輝きを放ったことだろう。

地下鉄がビル3階に

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ビルの3階に吸い込まれていく地下鉄は渋谷ならではの風景だ

館内に劇場や屋上遊園地も備えた東横百貨店は、本格的ターミナル・デパートとして1934(昭和9)年11月1日に開店。「便利よく、良品廉価、誠実第一」とのモットーが認識され業績も好調だった。1937(昭和12)年には隣接して「東2号館」が増設された。

豪腕で知られる五島慶太の事業拡大は旺盛なもので、周辺の鉄道会社を次々と買収していった。前途の「玉川電気鉄道」も東京横浜電鉄に買収のうえ合併。玉川電気鉄道が建設した「玉電ビル」は後に東横百貨店西館となったが、このビルは2階に玉川線の乗り場、3階には現在の東京メトロ銀座線(当時は東京高速鉄道)の渋谷駅が設けられた。

銀座線渋谷駅は1938(昭和13)年に開業。宮益坂の横から飛び出した地下鉄電車が、高架橋を渡ってビルに呑み込まれるシーンは、当時はかなり斬新だっただろう。東京高速鉄道の常務でもあった五島の、地下鉄事業への力の入りようが窺われると同時に、渋谷が「谷間」にあることで複層的になった鉄道の姿を知ることができる。なお東京横浜電鉄は1942(昭和17)年に東京急行電鉄と社名変更された。

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坂倉準三が手がけた東急百貨店東横店南館と西館(筆者撮影)

渋谷に建ち並んだ近代建築

約7年にわたって続いた第二次世界大戦で、渋谷の開発は一時中断されたが、戦後復興から高度経済成長期へ進むなかで、再び開発の波が押し寄せた。

東横百貨店「東館」は「東2号館」への増築(1951年)に加え「東3号館」を新設(1956年)。旧玉電ビルの「西館」は地上11階、地下2階建へと大幅に増築し「東急会館」としてオープンした(1954年)。続いて「南館」を増設(1970年)、渋谷駅は東横百貨店に囲まれていった(1967年からは「東急百貨店」に改称)。

この時期に渋谷の街をデザインしたのが坂倉準三。「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるフランスの建築家ル・コルビュジエの門下生である。それぞれの建物が空中に架けた連絡通路で連結された渋谷駅周辺の構造なども、坂倉によってデザインされたものであった。

坂倉の活躍からすでに60年が経過しようとしている。ターミナルとして大発展した渋谷は、絶えず発展と変化を続けるなか、一部には増築による利便性の低下が否めずに再開発のメスが入った。現在進行する5地区・街区にわたる再開発のプロジェクトのなかでも、JR渋谷駅本体も含む「渋谷駅街区開発計画」では、「東棟」「西棟」「中央棟」の3棟のビルを建設予定だ。

近未来の渋谷はこうなる

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駅街区開発計画では3棟の高層ビルが建ち並ぶことになる〈筆者撮影)

このうち、渋谷駅の東に隣接する「東棟」は、地上46階、地下7階、高さ約230mという本プロジェクト最大の高層ビルになる。

低層階は大規模商業施設、16階から上層はオフィスとし、ビルの屋上には約3000㎡の屋外展望施設が設けられる。展望施設は周囲をガラス張りにして、一部には階段状の高低差がつけられるといい、オープン後に話題の中心になりそうだ。

駅街区の地下から地上部にかけては、1階に駅の東西を結ぶ2カ所の自由通路、3階に宮益坂や道玄坂を結ぶスカイデッキを設置。これら二次元の動線に加え、エスカレーターやエレベーターで多層なフロアを三次元的に繋ぐ「アーバン・コア」を整備。地上1階のJR線改札口と、地下5階の東横線・副都心線、地下3階の田園都市線・半蔵門線との乗換が改善される。

これら低層階や広場のデザインは、世界を舞台に活躍する「隈研吾建築都市設計事務所」や「SANAA事務所」によって手がけられるといい、どんなデザインが用いられるか楽しみだ。

駅西側の「西棟」は地上13階、地下5階、高さ76m。「中央棟」は地上10階、地下2階、高さ61mでJRのホームを跨ぎ南北に長い建物となる。JR渋谷駅は埼京線のホームが現在の位置から北へ約350m移設され、山手線と並列になり乗換の不便が解消される。

また銀座線の駅は玉電ビル時代の狭隘なホームを離れ、東へ約130m移設。東口バスターミナルと都道305号線を渡る高架上に駅スペースを新設し、幅員12mの島式ホームで運用されるようになる。

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渋谷駅西口を望む路地の風景(筆者撮影)

新しい街へのワクワク感は・・・?

工事の完成予定は、東棟が2020年。埼京線の移設も2020年。銀座線は一足早く2019年の使用開始を目指す。「西棟」「中央棟」は2027年の開業予定という。
再開発に着手されている他の4地区についてはここでは割愛するが、ビル建設、バスターミナル整備、渋谷川の再生と盛り沢山だ。

近未来に展開される新しい渋谷の駅と街、その完成した姿を目にする日が待ち遠しく、今から楽しみではあるが、筆者は今ひとつワクワク感が湧いてこない。なぜだろうか?再開発による都市の変化は、すでにこれまで幾度も体験しており、新鮮さが感じられないのかも知れない。

そう思いながら、道玄坂上から坂道を下ると、東急プラザ渋谷店が解体されていた。不意に現れた広々とした空間の手前には路地があり、流れてきた焼き鳥の煙が鼻をくすぐり、軒先に赤提灯が揺れる風景に温もりが感じられた。

これまで日本や世界の街を歩いて「居心地が良いなぁ」と感じたのは、こんな人間の目線レベルにある路地のような場所だ。再開発に求めるべきではなく、筋違いかも知れないが、更に次の時代の再開発には、こんな要素も期待してしまう。

著者
米屋 こうじ :写真家

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