
Chapter・3 歯車と選択
コーヒーの良い香りが漂う。
「さて、まずどこから話そうか……」
「僕の名前は、狭間(はざま)望(のぞむ)と言います。あなたの名前も教えてもらえますか?」
「私は、瀬戸エドワードだ。私のことは、エドワードと呼んでくれ」
そう言って、彼は微笑んだ。名前から、どうやら二ヶ国以上のルーツを持つらしいことはわかった。しかし、それよりも解決したいことがある。
「えっと……。エドワードさん?」
「なんだね? 望。なんでも聞いてくれたまえ。それから、さんづけは不要だ」
なんだか、昔読んだシャーロック・ホームズの主人公、ホームズの話し方に似ているのは気のせいだろうか? 話し方が独特だ。
「あの、まずここはどこなんですか?」
「ここは“夢と現実のはざま”というところだ。君は、あの白猫のチャーリーに導かれてここにいる。ここは、その日飾られた“空”というものによって決まる。それは、僕らには扱えない。ロジャーというおじいさんしかわからないし扱えない。あの中央のパズルが、その“空”と呼ばれるものだ。だから、決して触ってはいけないよ」
そう言って、彼は僕が先ほど見ていたジグソーパズルを見つめた。
「わかりました。しかし、僕はなぜここに導かれたのでしょうか? 理由がわかりません」
そう彼に問いかける。
「そうだな……。そこは、君の読書への貪欲さをチャーリーが見抜いたのだろう」
そう言うと、エドワードは少し困った顔をした。なんとなく、彼は何かを隠している気がした。
僕は、今まで人の目を気にして生きてきた。両親の記憶はほとんどない。気づくと、僕は施設にいた。唯一ある思い出が両親からの虐待だとわかったのは、中学生に上がる頃だった。
施設でもいじめを受けていたこともあり、今では相手の表情ひとつで何を考えているのかわかるようになった。
間違いない。エドワードは何かを隠している。僕の脳内で、サイレンが鳴っている。今は、彼を信用してはいけないと。
「では、僕の役目が“本を読むこと”なのはなぜなのですか?」
「それは、君が真っ先に本を手に取ったからだ。ここの本は、誰もが夢中になって読めるわけではない」
彼は、そこでコーヒーを一口含んだ。
「誰もが長所と短所を持っている。長所を伸ばす方が効率的で、人生も生きやすくなるだろう?」
そう言って、真っ直ぐ僕を見た。確かに、長所を伸ばして活かす方が、きっと効率は良いのだろう。しかし、長所だけでは生きていけないのが現実だ。
僕は、お互いのコーヒーカップを見つめた。二人のコーヒーカップは、すでに空になっていた。
「おかわりでもどうだね?」
「いただきます」
なんとなく、お互い微笑み合った。
まだまだ謎は残るけれど、少し一歩を踏み出したような気がした。とりあえずは、コーヒーの香りに酔いしれることにしよう。どれぐらいの時間が経ったのだろうか。エドワードが立ち上がった。
「私は、今から少し出かけないといけない。君は、ここで本を読んでいたまえ。なぁに、ちょっとした買い物だ。誰かが来ても、気にしなくて良い」
「わかりました」
彼は微笑むと、颯爽とジャケットを肩にかけ、扉を開けて出て行った。
僕は、先ほど読みかけていた本の続きを読み始めた。物語に出てくる彼女が最初に描いたのは、とある湖のほとりだった。彼女が描き切るまでの葛藤がよく伝わってくるのか、映像のように脳内で彼女が動く。彼女の声までもが、脳内で再生される。優しい声だ。
そんなふうに読書にのめり込んでいる時だった。突然扉が開いて、人が入って来た。気にしなくて良いと言われていたが、チラリと視線だけを向けた。おじいさんだった。彼は、パズルを眺めていた。容姿は、小さなサンタクロースと木こりを足して二で割ったといった感じだ。彼が、ロジャーという人物だろうか?
彼は、中央のジグソーパズルに近づいた。ガラスの蓋を開け、服の内ポケットらしきところから杖を取り出した。そして、杖を振りながら何やら呟く。すると、ジグソーパズルがぱぁっと光り輝き、宙に浮いた。そして、一度バラバラになったかと思うと、光がすうっと消えると共に、またゆっくりと元の位置に戻っていった。
今目の前で起きた光景に、本を読む手を止めて見入ってしまった。しかし、彼は僕が見えているのかいないのか、こちらを見ることもなく出て行った。彼は一体何者なのか?
今何をしたのか?
頭が混乱していた。
「今のは一体……」
慌ててジグソーパズルを覗き込みに行く。明るい太陽があったはずのジグソーパズルには、満月の浮かんだ星空が広がっていた。
しかし、よく見るとやはり一部ピースが欠けている。
──ここは、その日飾られた“空”というものによって決まる
──エドワードの言葉を思い出し、慌てて外に出る。明るかったはずの空には、満月とぽつぽつと浮かんだ星空が、ジグソーパズルと同じように広がっていた。
見渡していると、やはりところどころピースの形に真っ黒な部分があった。
「これが、“空”……」
僕は、目の前の現実に呆然としながら、空を見上げていた。
【前回の記事を読む】たとえ元の生活に戻れなくても…「ピースを集める。それがあたしの“役目”だから」
黒田 真由