「彼女は私だ」幡ヶ谷バス停殺人事件をモチーフにした劇映画『夜明けまでバス停で』

「彼女は私だ」幡ヶ谷バス停殺人事件をモチーフにした劇映画『夜明けまでバス停で』

  • 日刊サイゾー
  • 更新日:2022/09/22
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「彼女は私だ」

2020年11月16日未明に渋谷区幡ヶ谷のバス停で起きた暴行致死事件のあと、そんな声がSNSに上がった。NHK総合のドキュメンタリー番組『事件の涙』が亡くなった大林三佐子さんの生前の足取りを伝えると、その声はより大きく広がった。コロナ禍で仕事と居場所を失った大林さんは、バス利用者の邪魔にならないよう、運行を終えた後の深夜のバス停で過ごしていたところ、男に頭を殴打されて64歳の生涯を閉じることになった。板谷由夏主演、高橋伴明監督による映画『夜明けまでバス停で』は、大手メディアが「女性ホームレス殺害事件」と報じたこの事件をモチーフにした社会派ドラマとなっている。

バス停で亡くなった大林さんは広島市で生まれ、地元の短大に通いながら劇団員として活動していた。アナウンサーや声優になることを夢みていたそうだ。結婚を機に上京するも、夫の暴力が原因で離婚。一度は実家に戻ったが、しばらくして再び上京し、東京でひとり暮らしを続けた。企業に勤めたこともあるが、体調を崩して退職。派遣スタッフとして、デパートやスーパーマーケットの食品売り場の試食販売員を務めるようになった。明るい性格で、職場仲間から慕われていた。

短期間での派遣労働という厳しい状況に、コロナ不況が追い討ちを掛けた。店頭販売の仕事はなくなり、家賃を滞納した大林さんはアパートを出ることになる。埼玉県に弟がいたが、路上生活者になったことは最期まで伝えることができずにいた。ギリギリの生活を送りながらも、大林さんは仕事が入ると税金などの支払いを続けていた。亡くなった時、彼女の所持金はわずか8円だった。

大林さんを襲ったのは、近くに住む当時46歳の男性で、かつて引きこもりを経験するなど、社会的コミュニケーションをうまくできない問題を抱えていたようだ。父親を亡くした後は、酒屋を営む高齢の母親を手伝いながら、近所の清掃をボランティアで行なっていたという。彼のある種の潔癖さを求める性格が、深夜のバス停に佇む大林さんを異物と見なし、死に至らしめることになる。

加害者である男性は、事件から5日後に母親に付き添われて警察に出頭したが、仮釈放中に自殺を遂げている。やり切れなさだけが残る事件だった。

社会的弱者がより弱者を排除しようとした、そんな痛ましいこの事件を映画化したのは、『TATTOO〈刺青 〉あり』(82)や『 BOX 袴田事件 命とは』(11)など実在の事件を題材にした作品を手掛けてきた高橋伴明監督だ。彼女がもしも一冊の本と出会っていたら、別の人生を歩んでいたのではないか、というフィクションドラマとして成立させている。(1/3 P2はこちら

主演の板谷由夏は、『news zero』(日本テレビ系)のキャスター経験もある売れっ子女優だ。『37セカンズ』(20)では漫画家を目指すヒロインを叱咤するらつ腕編集長、現在公開中の東宝映画『百花』では産婦人科医など、キャリアウーマンを演じることが多い。高橋伴明監督の作品への出演は、「あさま山荘事件」をモチーフにした『光の雨』(01)以来、21年ぶりだ。

本作は脚色された劇映画として展開される。主人公の三知子(板谷由夏)はアクセサリー職人だが、手作りアクセサリーの販売だけでは生活できず、居酒屋で働いていた。フィリピンから来た洗い場担当のマリア(ルビーモレノ)は孫たちの食費に困っているため、お客が手を付けなかった料理を三知子はこっそりとビニール袋に詰めて渡している。男性スタッフが大声で猥談していると「それ、セクハラだよ」とたしなめる。非正規雇用ながら、お店を切り盛りしている三知子だった。

ところが、コロナ不況が飲食店業界を直撃し、社員であるマネージャー・大河原(三浦貴大)は三知子やマリアたち非正規雇用のスタッフをあっさりと解雇してしまう。しかも、退職金を渡そうとしない。社員寮として会社が借りていたアパートも出ることになった三知子は、住み込みの仕事を探すが、どこも新規採用は見送っている状態だった。

三知子を慕っていた店長の千春(大西礼芳)、懇意にしていたカフェのオーナー・マリ(筒井真理子)が心配して三知子の携帯電話に連絡を入れるが、三知子は電話に出ようとはしなかった。仲のよかった人にほど、自分の惨めな姿を見せたくない、迷惑を掛けたくない。三知子の生真面目な性格が、彼女自身をより苦境に追い込んでしまう。

このまま劇中の三知子も、実際に起きた事件と同じ悲しい結末を迎えるのだろうか。自尊心を失なうことなく、真面目に働き続けた大林さんの生き方に敬意を払いつつ、伴明監督は劇中の三知子に異なる人生の選択肢を与えている。

行き場所を失った三知子は、日中は公園で過ごすようになり、ホームレスのひとり、通称・バクダン(柄本明)と知り合う。バクダンは全共闘時代の元闘士で、爆弾づくりが得意だった。バクダンが暮らす段ボールハウスを訪ねた三知子は、一冊の本を手渡される。

三知子が受け取った本は『腹腹時計』と呼ばれる地下出版本だ。1970年代に過激派グループが書き記した時限爆弾の作り方のマニュアルである。それまで社会に逆らうことなく、黙々と働いてきた三知子は、その結果「自己責任」という言葉に追い詰められてしまった。社会に絶望していた。だが『腹腹時計』を手渡されたことで、三知子は生きる気力を取り戻していく。

三知子は「心の爆弾」を持つことで、ただ従順に生きてきたこれまでの人生を変えていこうとする。(2/3 P3はこちら

幡ヶ谷のバス停で起きた事件がきっかけで、「排除ベンチ」「排除アート」の存在もクローズアップされるようになった。大林さんが休んでいたバス停のベンチは幅が狭く、浅く腰掛けることしかできないデザインだった。バス停や駅前のベンチだけでなく、公園の新しいベンチにも仕切りがあり、横になることができないようになっている。かつては段ボールハウスが並んでいたガード下などの街の空きスペースには、排除アート、もしくは排除オブジェと呼ばれる謎の物体が置かれるようになった。

排除ベンチや排除アートが普及し、駅前や公園などの人目につく場所からホームレスの姿を見ることは減っている。だが、ホームレスそのものが社会から消えたわけではない。見えにくい場所へ、彼らを追いやっただけに過ぎない。ホームレスを生み出す社会の歪みはそのままだ。排除ベンチや排除アートを見て、社会の不寛容さを感じる人も少なくないだろう。ごく普通の市民が急に気分が悪くなっても、横になれる場所は今の街にはどこにもない。

亡くなった大林さんは、真面目で働き者だった。そんな彼女がコロナがきっかけでつまずき、自己責任という言葉に追い詰められていった。コロナや災害だけでなく、誰もが病気や事故に遭う可能性がある。フリーランスのライターをしている自分も、面倒見のいい親族、気のいい友人、懐の深い仕事仲間たちのおかげでなんとか生活を続けてきただけに過ぎない。いつ自分自身が路上生活者になるか分からない。「彼女は私だ」と感じながら、この記事を書いている。

伴明監督は、劇中の三知子に『腹腹時計』を持たせたが、『腹腹時計』は全共闘世代ならではの心を鼓舞するための一種のシンボルだろう。「心の爆弾」を持つことで、従順だった三知子の人生は大きく変わっていく。社会的弱者を次々と排除しようとする不条理な世の中に対する怒りや悲しみを「心の爆弾」に変えて、三知子は強く生きようとする。

エンドロールが流れ始めても、席を立たないでほしい。物語の最後の最後に、伴明監督が用意したサプライズ映像が待っている。この映像は、伴明監督がプロデューサーには内緒で編集中に付け加えたものだそうだ。伴明監督も「心の爆弾」の持ち主だ。

異なる人生を歩み始めたもう一人の彼女の姿を、どうか劇場で見届けてほしい。

『夜明けまでバス停で』
監督/高橋伴明 脚本/梶原阿貴
出演/板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、松浦祐也、ルビーモレノ、片岡礼子、土居志央梨、あめくみちこ、幕雄仁、鈴木秀人、長尾和宏、福地展成、小倉早貴、柄本佑、下元志朗、筒井真理子、根岸季衣、柄本明
配給/渋谷プロダクション 10月8日(土)より新宿K’s cinema、池袋シネマ・ロサ、イオンシネマ広島西風新都ほか全国順次公開
©2022「夜明けまでバス停で」製作委員会
yoakemademovie.com

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