19歳の藤井聡太叡王に“後輩”出口若武六段が挑む 将棋界タイトル戦「若手対決」の系譜とは

19歳の藤井聡太叡王に“後輩”出口若武六段が挑む 将棋界タイトル戦「若手対決」の系譜とは

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/05/14

藤井聡太叡王に出口若武六段が挑戦中の第7期叡王戦五番勝負が注目を集めている。藤井にとっては初めての(棋士番号が若い)後輩とのタイトル戦で、19歳のタイトル保持者と27歳の挑戦者という対局者双方の若さも、将棋ファンが熱する理由の一つだろうか。

【写真】昨年、北村桂香女流初段と結婚した出口若武六段27歳

これまでの将棋界におけるタイトル戦は、年長の王者に次世代が挑むという構図が繰り返され、また同時に世代交代が行われてきた。しかし、19歳にして五冠を保持する藤井が頂点に立ったため、今回の叡王戦に限らず、当面は若手棋士が相打つタイトル戦が行われる可能性が高くなった。

両対局者の年齢を足した数字がもっとも小さかった番勝負は

とはいえ、過去に若手同士が覇を競った勝負がなかったわけではない。そのような勝負でタイトルを持っていた棋士は、藤井のようにデビュー当初から次代の覇者として期待を集めていたのか。当時の様相と合わせて、若い俊英によって争われたタイトル戦を紹介していきたい。

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初めて「後輩」とのタイトル戦に臨んでいる藤井聡太叡王(写真提供:日本将棋連盟)

タイトル保持者と挑戦者の年齢を足した数字がもっとも小さかった番勝負は、1990年に行われた第57期棋聖戦の屋敷伸之棋聖-森下卓六段(段位などはいずれも当時)のシリーズである。屋敷が18歳で森下が24歳だった。当時を振り返って、屋敷は以下のように語る。

「森下さんは各棋戦で勝ちまくっていたので、こちらとしては棋聖位を守るよりも挑戦する気持ちだったと記憶しています。(3勝1敗で)防衛できたのは、運がよかったです」

せめて1勝をしたいとの思いで指した結果が…

藤井以前の最年少タイトル記録保持者が屋敷だが、その流れをみると、55期に17歳で初挑戦、翌56期に初奪取、そして上記の第57期が初防衛戦となる。55、56期での相手は、すでに大御所の域にあった中原誠十六世名人だ。

「初挑戦のときは、中原先生との棋聖戦でしたが、無我夢中で目の前の対局に打ち込んでいました。いろいろと不慣れなところもありましたが、いい経験、勉強をさせていただきました。その次の期はいい勝負をしたいと思い臨んだシリーズでした。しかし、2連敗スタートと厳しい出だしでした。

せめて1勝をしたいとの思いで一局一局集中して指した結果が、幸運にも棋聖位奪取につながりました。中原先生も森下さんもどちらも強いですが、中原先生は相掛かりを中心に軽快ながらも重厚な指し方をしていたので、こちらも相掛かりを中心に研究していました。森下さんは矢倉を得意として、とにかく厚みを生かしてくる指し方をしていたので、対応するのに苦心した記憶があります。世代間の違いよりも、棋風や戦法、指し方に対する対応がやはり難しかったですね」

山田道美棋聖が34歳でも「若手」だったわけ

最年少記録がかかった屋敷は2期連続で中原に挑み、2期目に戴冠を果たしたわけだが、実は中原のタイトル初戴冠もほぼ同じような状況だった。歴史は繰り返すとはよく言ったものだが、あるいは中原の初タイトル戦が、将棋界における史上初の若手同士のタイトル戦だったと言うべきなのかもしれない。

中原の初タイトル戦は、20歳だった1967年の第11期棋聖戦。五段の新鋭棋士として山田道美棋聖に挑戦した。20歳・五段のタイトル挑戦は、いずれも当時の最年少・最低段記録である。受けて立つ山田は34歳だから、今の感覚では若手とは言えないかもしれない。2022年現在の棋界に当てはめると、佐藤天彦九段、広瀬章人八段、糸谷哲郎八段らの年代だ。

だが当時の山田は、この第11期棋聖戦が自身のタイトル初防衛戦だった。それだけではなく、この第11期棋聖戦は、史上初めて「昭和生まれ同士の棋士で行われたタイトル戦」なのである。

1960年代の棋界は、大山康晴十五世名人の無敵時代だったと言ってよい。藤井をしても更新できるかどうかわからない「全タイトル戦連続出場50期」の大記録を作ったのも、この時代のことである。要するに、当時は行われるすべてのタイトル戦に大山が対局者として存在していたのだ。

対局相手へのお祝いにシューベルトのレコード

その大山の大記録を止めたのが、第11期棋聖戦の山田と中原である。五番勝負第1局の観戦記で「タイトル戦といえばここ十数年来、大正っ子の大山名人が必ず一枚加わっていた。それがいま昭和っ子同士で戦っている。これも時代の流れであろう。長い間大山名人のタイトル戦を観戦してきたぼくは、ものさびしさ、ものたりなさをおぼえてならない」と書いたのは、明治生まれ(1910年)の加藤治郎名誉九段である。

棋聖戦で挑戦を決めた中原は、勢いに乗って山田棋聖との番勝負でも第1、2局を連勝した。初タイトルがかかった第3局について、中原は以下のように書いている。

「私はあと一番ということで、コチコチに堅くなり、食事も少ししかノドを通らなかった。逆に山田さんは、それまでの堅さがとれ、すっかりリラックスして、実力を出し切っていた。対局の前日に娯楽場で卓球に興じたが、いくらやっても山田さんに勝てなかった。もともと私よりはうまいのだが、一回も勝てなかったのは不思議だった」

結果としてこのシリーズは第3~5局を山田が連勝して、中原の初戴冠はならなかった。第5局の観戦記には、山田の談話が紹介されている。

「一、二局をひどく負かされた時は、申し訳なくて対局料を返上しようと思いました。三局目からはタイトルを獲られた後のことばを考えたり、中原君のお祝いに好きなレコードを上げようと思ったり、なにしろ鉄腕アトムのような男ですからね」

中原は翌12期にも山田に挑戦し、今度は3勝1敗で棋聖を奪取した。当時の史上最年少タイトル記録である。直後に山田からお祝いのクラシックレコード、シューベルトの「冬の旅」が贈られたそうだ。

平成生まれ同士の初タイトル戦となったのは…

昭和生まれ同士の初のタイトル戦が第11期棋聖戦なら、平成生まれ同士の初のタイトル戦は2018年の第59期王位戦、菅井竜也王位-豊島将之八段のシリーズである。このシリーズ以降、平成生まれ同士のタイトル戦は7期行われ(内訳は竜王戦1期、王位戦2期、王座戦1期、叡王戦3期)、今回の叡王戦、藤井-出口戦は8期目だ。

そして間もなく始まる棋聖戦の藤井-永瀬拓矢王座戦が9期目となり、同じく藤井がタイトルを保持する王位戦で10期目となることが確定している。改めて、出口に話を聞いてみた。

「挑戦が決まってから、色々と忙しくなりました。中一日で対局するというのは、これまで経験しなかったことです。タイトル戦を戦うということについては、やはり和服着用と9時開始ということで、普段の対局とは異なっていると感じます。

和服の着心地ですか? 指す時に影響することはないですけど、立ったり座ったりするときの違和感がまだ慣れていないですね。多くの方から激励を受けたので、挑戦だけで満足せずに、期待に応えたいですね」

第1局は惜しくも敗れたが、次局以降の巻き返しに期待したい。新時代の将棋界の活性化のためには、藤井だけではなく現在の10~20代の棋士の活躍が大いに求められるはずだ。

「出口さんの指し方、振る舞いには注目しています」

最後は若手時代にタイトル戦を経験したことについて語った、屋敷九段の言葉で締めたい。

「タイトル戦は檜舞台です。当時は実力がついていってないところもありましたが、第一人者の中原先生とタイトル戦で戦えたのは、今の自分にとっても貴重な経験として生きていると思います。

若いうちに経験するのはもちろんいいですが、年を重ねてからタイトル戦にでてくるのもすばらしいと思います。弟子の伊藤沙恵も女流名人を取りましたが、やはりたくさんのタイトル戦を指してきたことが貴重な財産になったと思います。

藤井聡太さんはもはや第一人者ですが、そこに挑む出口さんの指し方、振る舞いには注目しています。叡王戦1局目も堂々とした将棋を指していましたので、いいタイトル戦になりそうです。今後も次々と若手がタイトル戦に出てくるので、それに対して、藤井さんがどのように対応していくのか楽しみです」

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藤井聡太竜王の記録については、文春将棋ムック『読む将棋2022』にも掲載されています。

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(相崎 修司)

相崎 修司

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