「障がい者だから無理?残酷な現実に傷くことも...でも後ろを振り返っても何もないから前を向くしか!」現役パラアスリート選手・山本恵理さんインタビュー〈前編〉

「障がい者だから無理?残酷な現実に傷くことも...でも後ろを振り返っても何もないから前を向くしか!」現役パラアスリート選手・山本恵理さんインタビュー〈前編〉

  • Baby-mo
  • 更新日:2022/11/25
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パラパワーリフティング選手として活躍する山本恵理さん。先天性二分脊椎症(にぶんせきついしょう)により生まれつき両足が不自由な山本選手は、現役アスリートでありながら【日本財団パラスポーツサポートセンター】に所属し、障がい者や健常者だけに限定されない「お互いの違いを認め合って共生していく社会づくり活動」も行なっています。

パラリンピック出場という大きな夢と、誰もが心地よく暮らせる共生社会をつくる目標…決して簡単ではない夢や目標に向かって突き進む山本選手の原動力とは?そこには、山本選手のお母様の子育て方針が大きく関係していました。
引っ込み思案で自信がもてない私を“自立させたかった”母―――パラパワーリフティングの選手として活躍する山本選手ですが、スポーツとの出会いは水泳だったとか?

「水泳を始めたのは9歳のとき。母に水泳教室に無理やり連れて行かれて、それが水泳との出会いでした。もともと私は水が苦手で、お風呂も嫌いだしシャワーを浴びるのもイヤ。

多分なんですけど、1歳か2歳くらいの頃に浴槽の中で転んだことがあるんです。そのときに耳に水が入って、転んだことと、耳の中が気持ち悪い感覚が残っていて、水に対して嫌悪感しかなかったんだと思います。

でも母は、生まれながら障がいがある私をとにかく自立させたい人で。『恵理がひとりでも生きていけるようにする!』が母の目標だったんです。

そういう人だったので、娘がこのまま水が嫌いだと何もできなくなる、水害がきたら危ない!と言いながら、嫌がる私を水泳教室に引きずって行きました(笑)。

溺れる悪夢を見た翌日に水泳教室に連れて行かれたので、実際に溺れてみんなを諦めさせようと思って水につかったんです。そうしたら、溺れる!って思った瞬間に背中から浮いてびっくりして、そのままひとかきふたかきしたら体が進んで…」

―――それが水泳との運命的な出会いだったんですか?

「衝撃的!運命的!私にはコレだ!というよりは、これだったら私でもできるかも…って。小さい頃からずっと自信がなくて人見知りでありがとうも言えない子どもだったので、このとき初めて自分の中で“何かができる”と思ったんです。

水泳を継続する気持ちより、楽しいから毎日泳いでいたというワクワク感で続けていました」
生後1ヶ月で手術。後ろを振り返っても何もない。とにかく前へ前へ…―――スパルタなお母様に無理やり水泳教室に連れて行かれたことが、結果オーライだったのですね。

「母は常に前を向いている底抜けに明るい性格の人なんです。それは今も変わりません。多分、私が障がいを持って生まれてきたときに腹をくくったんでしょうね。生まれてから突然『娘は障がい児だ』と知るわけですから。

産婦人科クリニックで生まれて私だけすぐNICUがある病院に転院して、生後1ヶ月のときに手術。母乳を絞って病院に届けるとか母も色々な苦労はあったと思うんですけど、実は当時の話は母からあまり詳しく聞いたことはありません。そういう苦労話は私には一切してこないですし、私も聞きたいとは思わないです。

というのも、母も私自身も【昔より今が大事】だと思うタイプなので。例えば母に、生まれたときどうやった?って聞いたとしますよね。そこで、あのときは死ぬかと思ったわ~って言われたところで…じゃないですか(笑)。

私の背中にはコブがあったので、手術をして退院して家に戻ってくるまでうつぶせの姿勢でしかいられなかったんです。でも母から、ずっとうつぶせやったから頭の形がよくなったと言われて(笑)、本当にそういう話ししかしないです。

それでもやっぱり大変だったとは思います。生まれたときの写真が私は弟より少なくて、多分写真を撮る時間もなかったんでしょうね。因みに、弟の頭は絶壁です(笑)」

―――たしかに山本選手の頭の形、すごくきれいです(笑)。底抜けに明るいお母様に山本選手自身も影響は受けていますか?

「私は日本財団パラスポーツサポートセンターに所属していて、そこで『あすチャレ!Academy』という研修プログラムを広める講演活動を全国で行なっています。企業や自治体向けだったり、小中学校や養護支援学校向けだったり、年齢性別さまざまな方と日々関わっています。

もともと引っ込み思案で人見知りな性格ですが、母の影響もあってか、私の講演はいつも“前”なんです。後ろを振り返っても何もありませんからね!」

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ファミリーでクイズやアクティビティを行いながら「ふつう」と「ちがい」について考える【あすチャレ!ファミリーアカデミー〈特別版〉】で講師を務める山本選手。【あすチャレ!】についての詳細▶https://www.parasapo.tokyo/asuchalle/academy/

自分にはできないことが多い、生きづらい…。でも、母の言葉で気づけた大切なこと「もちろん、これまでの人生の中で“生きづらいな…”と思ったことはあります。

今でも思い出すのが幼稚園の頃。私は幼稚園に通う前は障がい者の通所施設に通っていました。そこでは重度の障がい者の方々と色々なアクティビティを通して過ごすのですが、そこの施設の先生が私の母に、『この子は一般的な幼稚園に行ったほうがいい』と声をかけてくれて。

その施設からも初めてのケースだったので、私が通える幼稚園を先生も一緒に探してくれて、でも5~6園に断られました。私が遊んでいる横で親と幼稚園の先生が話をしていて入園を断られているシーンが頭の中に映像としての残っています。

そんなこともあって、小中学校くらいまでは生きづらいと感じたことは何度かありましたね」

―――家族以外の人との関わりが多くなってくる時期になると、今まで経験したことがないことに悩むこともありそうですね。

「そうですね。小学生のときに学校で有志のポートボール大会があり、それに出たくて母に申込用紙を見せたんです。そうしたら母が、先生に聞いた?って言ったんです。そこで、なんで?とたずねたら、『あんたが出ていいかわからへんやん』という言葉が返ってきたんです。

まさか母からそんなことを言われるなんて、やればいいやんって言われると思っていたので、意外な言葉にトイレで泣いた記憶があります。そこで、私にはやっぱりできひんことがあるんや…って落ち込みました。

でもそれは、母が障がいを持つ私に“そういう現実”を教えてくれたんだと思ったんです。

そのあと、まず先生にポートボール大会に参加していいかを聞いておいでと言われました。早速学校で聞いてみたら、先生は、うーんちょっと難しいかな…という返事。私はそのときに社会を知った気がします。でも、そういうことも知っておかないと、私がこのまま能天気に生きていたらきっといつか壁にぶつかると思ったんじゃないですかね、母は。

そこからは、自分ができること・できないこと、やりたいこと・やりたくないことがはっきり分かれている気がします。やりたいんだけどやれないのかもしれない、やりたいけど工夫したらできるかもしれない、ということが小学生中学生くらいでわかるように、考えるようになってきました」

―――友達関係の中で悩んだことなどはありますか?

「私は中学2年生のときに転校したのですが、そこで分かってもらえないことがけっこう多くて最初はすごく悩みました。

基本的に私は人見知りで自分からは話しかけられない性格なので、ある日家に帰って母に、クラスメイトが自分のことをわかってくれないって言ったら、あんたはみんなのことをわかってるんか?って言われたんです。

自分の我を通そうとしてたけど『まずは恵理がみんなのことをわかって、そこで仲良くなれるんだよ』と教えてもらって、次の日からみんなの話しをとにかく聞く!ということをを心がけました」

障がいがあってもなくても“コミュニケーション”が大切―――転校した当初は受け身だったのですか?

「そうかもしれません。障がい者だと、こちらから何もしなくてもかまってもらえるじゃないですか。その当時、私自身がそうなりかけていたんだと思います。でも母は私をそういうところに立たせたくなかったんでしょうね。

誰かが助けてくれる状況がある中で 自分から何ができるのかできないのか、お願いしたいことはなんなのかを伝えていかないと分かってもらえない。傲慢な自分にならないというか、ある時々ではなっている自分もいるかもしれないけれど、きちんと謙虚に自分のことを伝えることが大事なんですよね。

私は障がい者の山本恵理です!車いすだからこうしてください!察してください!ということではなくて、自分ができることできないことを相手に伝える。そのような親子関係以外のコミュニケーションを中学2年生で学びました。

―――山本選手は「自分を主張することと相手を受け入れることはセットにならないといけない」とおっしゃっていますが、そう思う具体的なきっかけがあったのですか?

「きっかけはやはり中2のときです。転校した先に私と同じ病気、二分脊椎症の同級生がいたんですが、その男子はコミュニケーションが取りづらそうでした。つねに先生がその子のフォローしているから友達が近づけないという感じで。

同じ病気や障がいを持つ人たちを見ていて、社会の中でコミュニケーション不足で悩んでいることが多いなと感じています。だから、コミュニケーションのとり方を障がい者の方々や障がいを持つ子どもたちにたくさん教えてあげたいと思っています。

相手のことを受け止めながら自分のことをどう伝えるのかを、私の経験から伝えていきたいです」

▶「一度は諦めたパラリンピック。今ふたたび“2024パリ”を目指してチャレンジしています!」現役パラアスリート選手・山本恵理さんインタビュー〈後編〉

〈PROFILE〉
山本恵理●1983年5月17日兵庫県神戸市出身。ニックネームは「マック」。先天性の二分脊椎症により、生まれつき足が不自由で車いす生活を送る。9歳から水泳に取り組み、パラ水泳の近畿大会や日本選手権などに出場。カナダ留学を経て2015年より日本財団パラスポーツサポートセンター(パラサポ)職員に。パラサポが実施するD&I教育・研修プログラム「あすチャレ!」全体のディレクターとして、またプログラムの企画・講師業務、講演会などを行いながら、国内外の試合に出場中。パラパワーリフティング55kg級の日本記録保持者。

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