トランプ当選に良い面があるとすれば。

トランプ当選に良い面があるとすれば。

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  • 更新日:2016/12/01

「トランプに勝たせない」という消極的な心理

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アメリカ大統領選挙の行方は多くの関心を集め、ドナルド・トランプの勝利は驚きと共に世界中に伝えられた。専門家ならずとも、多くの人はヒラリー・クリントンの勝利を予想していたことだろう。

ネット上には、当選が確定した瞬間のトランプ陣営を写した写真が出回ったが、周囲が沸き立つ中でトランプ本人だけが浮かない顔をしているように見えたのは、責任の重さを実感しているだけでなく、本人が一番当選という事態に驚いていたからなのかもしれない。

トランプ勝利の理由として最も納得がいった説明は、マイケル・ムーアが7月29日に投稿していたハフィントン・ポストの記事「ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう」である。この記事も、選挙結果が出たあたりからネット上で盛んにシェアされていた。

実際に、この記事で言われている通りになった。世論調査で「ヒラリーかトランプか?」と聞かれれば「ヒラリー」と答える人が多かったとしても、実際に投票所まで行って長い列に並んでまで投票をするほど熱心に支持する支持者が多かったのはトランプのほうだったのかもしれない。

そういった支持の「熱」の差が、フロリダ、ペンシルベニア、ウィスコンシン、ミシガン等の僅差の勝利に繋がったのだろう。これらの州では全て得票率1%あるかないかの差でトランプが勝利したが、選挙人の数を足すと75人で、もしヒラリーがこれらの州で勝っていたら全体でも逆転できるほどの数になる。

各種の報道では、選挙が盛り上がっているかのように見えたが、実際の投票率はオバマが初めて当選した前々回より約5~6%、オバマが二回目の当選を果たした前回よりも約2%低下して、約56%ほどに急落したと言われている注。

だから、いくらハリウッドのセレブが嘆こうとも、各地で反トランプデモが起きようとも、全米での得票数が上回っていることを訴えようとも、全て後の祭りである。孫子の兵法で「善く戦う者は人を致して人に致されず」と言われているように、戦いは主導権を握ったほうが勝つ。10月のテレビ討論会のあたりまでは、主導権を握っていたのはヒラリーのほうだった。しかし、最終的に投票日当日の主導権を握ったのはトランプのほうだったのである。

トランプに勝たせないためにヒラリーに投票するという消極的な心理よりも、トランプを勝たせたいという積極的な心理の勢いが勝った面もあっただろう。世論調査やメディアの予想もヒラリー勝利の一色で、ヒラリーを支持する有権者たちも、自分一人が投票に行かなくても結果は明らかだと油断していたのではないか。ヒラリーを勝たせるためには、本人も支持者も、守りに入るのではなく、攻めて主導権を握る必要があったのだ。

注 「Why did Trump win? In part because voter turnout plunged. 」https://www.washingtonpost.com/blogs/plum-line/wp/2016/11/10/why-did-trump-win-in-part-because-voter-turnout-plunged/?utm_term=.ed31ca8145e5

トランプ当選で政治的無関心が変わる?

今回の選挙の結果を受けて、民主主義がポピュリズムへ堕落したという嘆きが、多方面から聞こえてくる。たしかに、古代ギリシャのアテナイにおける民主主義が扇動家によって衰退し、第一次大戦後のワイマール共和国がヒトラーとナチスによって堕落したのと同じことが、現在のアメリカでも起きていると見ることもできるかもしれない。

だが、物事には必ず良い面と悪い面があるものだ。では、もしもトランプ当選という事態に「良い面」があるとしたら、それは一体どのようなことだろうか。

一つ言えるのは、多くの人が、今までとは違ったモチベーションを持って、政治という公共的な事柄へ積極的に参加したということである。

民主主義において、公共性の主体たる民衆が、無関心に陥ることなく、公共的な事柄へ関心を抱いて積極的に参加するということは不可欠なことである。これが無くなったら民主主義が成立しなくなるとさえ言えるだろう。

近代初期の民主主義国家では、ほとんどの場合、選挙権が財産や性別によって制限される制限選挙が行われていた。それは、公共的な事柄に関心を持って理解できるほどの知性を持ち、政治に参加できるほどの余裕を持てるのが、財産がある成人男性に限られると考えられていたからである。

一方、移民の国であるアメリカでは、階級社会であったヨーロッパよりも早く普通選挙が実施されてきた。だからこそ、早くから公共的な事柄への無関心とポピュリズムが生まれやすい土壌が存在していたとも言える。そのため、大衆社会化が進んだ20世紀前半のアメリカでは、大衆の政治的無関心と政治参加について、盛んな分析と議論が行われた。

1920年代のアメリカは空前の好景気に湧き、「狂騒の20年代」とも呼ばれる時代を迎えていた。自動車の普及は工業と交通網を発達させ、映画館は人で埋まり、ラジオからジャズが流れる。禁酒法下の潜り酒場では夜な夜なダンスショーが繰り広げられ、メジャーリーグのスタジアムに集まった観衆はベーブ・ルースの活躍に熱狂する。大衆が社会の主役となったそんな時代に、多くの人々は公共的な事柄への関心を失い、民主主義の主体として政治へ参加する頻度を少なくしていったのである。

民主主義とは、民衆が常に公共的な事柄へ高い関心を持ち、多種多様な事情を理解した上で、理性的な思考によって判断を行い、政治に参加するような「公衆」となって行われるものだという前提から成り立っている。

だが、20世紀の大衆社会を生きる人々には、公共的な問題に関する膨大で仔細な情報を読み解くための関心と理解力を持てず、生きるための労働と僅かな余暇に追われているために政治に参加する時間と余裕がない。現代の民衆は民主主義の主体である「公衆」とは成り得ないのである。

アメリカの知識人ウォルター・リップマン(1889~1974)は、「公衆」が失われた時代の民主主義をそのように捉えた。そのうえで、「公衆」の全面的な参加による民主主義という幻想を捨てて、専門家による統治運営の強化という現実的な処方箋を提示したのである。

「公衆」に希望を見出したデューイ

一方、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859~1952)は、リップマンの現状認識を受け容れつつも、異なる道を提示する。

たしかに民主主義に積極的に参加する主体として想定された「公衆」は見られなくなったかもしれないが、「公衆」そのものが存在しなくなったわけではないとデューイは主張する。デューイは、ある物事が引き起こす結果の影響を被る複数の人たちという意味での「公衆」は存在し続けると考えたのである。

問題は、そういった人たちが、自分たちが「公衆」を形成していることに気づかないまま、意識的にまとまっていないということだ。都市化、工業化、大衆社会化によって、かつての親密な絆が薄れ、人々は大衆としてバラバラになった。また、大衆社会化は物事の影響関係を複雑化し、見えづらくした。人々は、実際には何らかの物事の共通の影響を受け「公衆」となっているにも関わらず、その影響が気づきにくいものとなっているために、それに気づけなくなってしまっているのである。

だが、ひとたび自分たちにとっての共通の問題に気づき、意識的にまとまることができれば、「公衆」が組織されて、民主主義に参加する主体となれるだろう。そのためにも、デューイは知識人が知識を公表して多くの人が共有できるようにすること、ニュースの伝え方を工夫していくことなどを、具体的な対処法として提示した。その際には、バラバラな点に過ぎない個人を、線で繋いて一つの「熱」を持った「公衆」へと組織する。そのためにも、大衆が共通の問題意識に気づき、意味を見出せるような伝え方が必要となるだろう。

リップマンと違い、デューイは「公衆」としての在り方を見失った大衆に幻滅するのではなく、大衆が再び「公衆」として積極的に公共的な事柄に参加するようになると期待していた。つまり、20世紀の大衆社会化によって生じたポピュリズムをペシミスティックに捉えるだけでなく、希望をも見出していたのである。

民主主義の熱を盛り上げていかなければならない

リップマンやデューイが生きた20世紀前半のアメリカは、マスメディアが発達して、19世紀以前と比べれば遥かに膨大な数の人に情報が共有され、社会に影響を与えるようになった時代である。一方、21世紀の現代では、インターネットとSNSの普及によって従来のメディアを介さずとも多くの人に情報が共有され、社会に影響を与えるようになった。

従来のメディアでは伝えられなかった情報が、SNSによって人々の間で直接やり取りされることで、共通の問題意識を分かち合い、その解決のために積極的にまとまって行動を起こすこともできるようになる。今回、その行動の「熱」が、トランプ当選という現象を生み出したという側面もあるのかもしれない。

公共的な事柄に絶望することなく、問題を認識、共有して積極的に参加するということは、何であれ民主主義にとって不可欠なことである。だが、今回の「トランプ現象」に参加した人々は、デューイが期待したような「公衆」とは言えない。何故なら、「公衆」は知性と、知性的なコミュニケーションによって形成されるべきだとデューイは考えていたからだ。デューイにとって民主主義とは、異質な他者の存在を認め、他者を尊重しながらコミュニケーションが行われるものである。

一方、「トランプ現象」において人々を突き動かしたのは、知性ではなく怒り、嫌悪、恐怖、不安といった負の情動であり、知性的に振る舞うエスタブリッシュメントへの反発であり、コミュニケーションを遮断するための「壁」への支持である。トランプは知性をからかい、負の情動を抱えた人々を扇動してまとめた。だからこそ、やはり今回の事態を招いたポピュリズムには、デューイが見出したような意味での希望を見出すことはできない。

では、敗れた反トランプ派が行うべきことは何か。それは、ヒラリーが敗北演説で語った、「民主主義は四年に一度の選挙の時だけではなく、どんな時でも参加することを求めている」という言葉に示されている。つまり、負の情動を持って負の情動に敵対するのではなく、問題意識を伝え、共有して、まとまり、常に参加していこうとするということだ。

その際には、知性によって今まで気づかなかった問題に気づき、知性的なコミュニケーションによって伝えることで、積極的な参加を促す「熱」を生み出していかなければならないだろう。これこそが、民主主義を負のポピュリズムに堕落させないために必要なことではないだろうか。

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