ゴリ、初小説でぶつかった壁「伝える道具がない」 ピース又吉に「教え請いたかった」

ゴリ、初小説でぶつかった壁「伝える道具がない」 ピース又吉に「教え請いたかった」

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  • 更新日:2022/05/14
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2年をかけて沖縄を舞台にした小説を書き上げたゴリ【写真:小黒冴夏】

15日が本土返還50年の節目「平和について考えるきっかけに」

お笑い芸人・ガレッジセールのゴリが、小説家デビューした。本名・照屋年之の名義で上梓したのは故郷・沖縄が舞台の「海ヤカラ」(ポプラ社刊)。子ども時代は何をしても1番になれなかった照屋は、終戦後も米国に支配されていた沖縄でたくましく生きる10歳の少年(主人公)に、自身の理想を重ねたという。照屋は同作が、子どもたちが平和について話し合うきっかけになればと願っている。(取材・文=西村綾乃)

太平洋戦争末期の1945年3月下旬に始まった米軍による沖縄への攻撃では、県民の4人に1人にあたる9万人以上が命を落とした。照屋は言った。

「僕は那覇市出身なのですが、沖縄戦については、小・中学生の時に学ぶ機会がありました。動員された元ひめゆり学徒の方に話を聞いたり、糸満市にある『ひめゆり平和祈念資料館』で遺品や手紙を見学しました。住民や日本兵が避難した壕(ガマ)に行ったこともあります。ガマに米軍が火炎放射器を向けた際、中から真っ黒に焦げた人間が出てきたと先生に聞いたときは、『怖い』と感じました」

同年8月15日に終戦。だが、沖縄は米国に統治されたままで、通貨はドル、左ハンドルの車は右側通行。本土への渡航はパスポートと渡航証明書が必要だった。69年の日米首脳会談を経て、71年に両国が沖縄返還協定を締結。そして、戦後27年がたった72年5月15日、沖縄は日本に復帰した。

「僕は沖縄が日本に返還された1週間後の5月22日に生まれました。1972年に生まれた子どもは『復帰っ子』と呼ばれています。2022年は沖縄返還から50年、僕自身も50歳を迎える節目の年です。そう思っていた一昨年、『アメリカ統治下だった沖縄を舞台にした話を児童向けに書いてみませんか』とポプラ社の方に声を掛けていただきました。僕自身はアメリカに統治されていた沖縄を知らないのですが、この機会に調べてみようと取材を始めました」

照屋が、「海ヤカラ」の舞台として選んだ糸満市は、沖縄戦の際に最も激しい戦火に見舞われた。

「統治下の生活がどのようなものだったか、僕は知りません。当時を知る親世代の方々に取材を続ける中で、悲しい記憶よりも、過酷な状況下にあっても前を向いて生きているウチナーンチュ(沖縄人)の姿を書きたいと思いました」

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「アメが一粒、ムチ30発」と編集者とのやり取りを表現したゴリ【写真:小黒冴夏】

「未来を担う子どもたちが、平和について話し合うきっかけになれば」

主人公のヤカラは、ウミンチュ(海人=漁業など海の仕事に従事している人)の町で生まれた10歳の少年だ。

「勇気があり、誰からも好かれるヤカラは僕の憧れです。僕はビビりな性格でしたが、だからこそ、ハングリーさを保てていたのだと思います。いつも誰かを『うらやましい』と思い、『もっと!』と渇望していました。クラスの人気者にも、クラスで一番足が速いやつにもなれなかった。でも、40年たった今は、当時、速かったサッカー部の同期よりも、オレの方が速く走ることができます。だって、みんなビール腹になっちゃったので(笑)」

照屋が監督、脚本の映画「洗骨」は、国内外で高く評価された。だが、初小説の執筆は大苦戦。完成までに2年を要したという。

「(ガレッジセールの)ネタ作りでコントを書いたり、映画の脚本も手掛けていたので、書けると思って机に向かいましたが、これが進まない。セリフだけ書いていれば、後は役者にゆだねる部分もあった脚本と違い、小説では、その全てを文字で表現しなくてはいけない。怒るという描写も、握りこぶしを作って我慢しているのか、爆発しているのか。無数に表現があって、それを読者に伝えるための道具を持っていないことに気が付いて愕然(がくぜん)としました。ピースの又吉(直樹)先生に『教えを請いたい!』と本当に思いました」

話し言葉には慣れていても、読者に情景を伝えるための表現に限界があった。そんな照屋に編集者は、参考になりそうな児童書を送るなどして鼓舞したという。

「『なかったことにしましょう』と言ってくれないかな……と思った時期もありましたが、時々、『ここの描写はいい』とほめてくれました。でも、その後は延々とダメ出し。アメが一粒。ムチ30発という感じでやり取りを続けました。コロナ禍でゆっくり打ち込む時間があったこともよかったと思います。でも、本音を言えば心が折れそうでした」

くじけそうになったときに浮かんだのは、未来を創っていく子どもたちのことだった。

「アメリカの統治でたくましく生きる沖縄の人たちの姿は、今、この瞬間に困難な状況にある人の姿と重なります。未来を担う子どもたちが、平和について話し合うきっかけになれば」

照屋が苦労して生み出した作品。児童向けの小説だが、大人たちへのメッセージも詰まっている。

□照屋年之(てるや・としゆき)1972(昭47)年5月22日、沖縄県生まれ。中学時代の同級生、川田広樹と95年にお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。ボケ担当で、愛称は「ゴリ」。97年、日本テレビ系「ロンブー荘青春記」でレギュラーを務めてブレーク。俳優としても活動している。2009年には、映画「南の島のフリムン」の監督・脚本を担当。照屋年之の名義で監督を務め、18年に公開された映画「洗骨」は「第40回モスクワ国際映画祭」でアウト・オブ・コンペティション部門に出品された。趣味は、歩くこと。173センチ、血液型A。

西村綾乃

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