「脳まで筋肉」誹謗中傷された金メダル柔道選手が医学部合格を果たせた、たった一つの理由

「脳まで筋肉」誹謗中傷された金メダル柔道選手が医学部合格を果たせた、たった一つの理由

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2020/11/25

二兎を追って二兎を得ることができた人は何が違うのか。2018年の世界柔道選手権などで優勝(金メダル)した朝比奈沙羅選手は今春、獨協医科大学医学部に合格した。「脳まで筋肉の柔道選手に医学部合格なんて……」などと誹謗中傷を受けたにもかかわらず、その苦難を乗り越えられた理由をプレジデントFamily編集部に明かした――。

※本稿は、『プレジデントFamily医学部進学大百科2021完全保存版』の一部を再編集したものです。

医師免許と五輪出場を狙う朝比奈沙羅とテルヤさんの物語

「朝比奈家は普通の家じゃない。子供の頃からずっとそう思ってきました」

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「二兎を追って二兎を得た」朝比奈沙羅さん(撮影=市来朋久)

2017年、マラケシュ世界柔道無差別選手権優勝、18年、バクー世界柔道選手権78kg超級優勝(金メダル)のほか、数多くの国際大会を制覇してきた柔道家・朝比奈沙羅選手。来る東京五輪代表も有力視される彼女は、自身が育ってきた家庭環境について、こう語る。

「テルヤさん、あ、父のことです。両親のことをテルヤさん、ミツコさんって呼んでいます。幼稚園の頃、父とキャッチボールをしていて、取れなくて顔にボールが当たったことがあるんです。父は学生時代水球をやっていて、球がめちゃくちゃ速い。それなのに娘の顔を心配するどころか『何やってんだ! 顔で止める気持ちでやれ!』って。普通じゃないですよね」

利き手ばかりを使っていると体のバランスが崩れると、父の言いつけで朝食は右手で箸を持ち、昼食は左手、夕食は右手で、翌朝は左からと、左右交互に使って食べさせられた。

「やる以上は徹底的に。それが朝比奈家の家訓だと言われてきました。箸だけじゃなく、左右どちらでもボールが投げられるし、両足でボールを蹴ることもできます」と沙羅選手。

「巨人の星」の星一徹と飛雄馬親子のエピソード

まるで、『巨人の星』の星一徹と飛雄馬親子のエピソードのようだが、こうした父の教育が見事に実を結び、父の念願通り、沙羅選手は日本を代表するアスリートへと成長……したのかと思いきや、事情は少し違うらしい。

東京西徳洲会病院麻酔科に勤務する父・朝比奈輝哉氏に、娘の教育方針を聞いた。

「実は、アスリートに育てようと思ったことは一度もないのです。私も妻も医療系の仕事なので、沙羅も医師にしたかった。やはり資格というのは生きるための強い武器。だったらどこでも通用する医師免許を持てば、生きる上での選択肢が増えます」

身長180cmを超える大男で、言語明晰。自信に満ちた大きな声で、子育て哲学を語る。なかなかの迫力である。

「ただ、勉強一筋で夜10時まで塾通いをさせるような教育法は違うと思っていました。体力もつけられないし、なによりも中高受験でバーンアウトしてしまう恐れがあります。いろいろな習い事をさせ、沙羅の力を総合的にアップさせていくという方針を採りました。頭と体は連動していますから、スポーツも本格的にやらせました」

文武両道を続け、中学受験で難関の渋渋に合格した

公文、水泳、バスケットボール、エアロビクス、コルネットにピアノ。大脳前頭葉視覚野が活性化するという話を聞き、そろばんも習わせた。水泳は4泳法を習得。筋肉の柔軟性をしっかりと養うことができ、後の柔道に大いに役立った。すべての習い事は輝哉氏が決め、分刻みのスケジュールも輝哉氏がマネージメントしていた。

柔道だけは、沙羅選手自身が「やりたい」と言いだした。小2のとき。たまたま習い事が休みの日、沙羅選手はアテネ五輪をテレビで見ていて、鈴木桂治選手が、小外刈りでロシアのタメルラン・トメノフ選手を破った試合に強い感銘を受けたという。

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子供時代は「朝比奈家は普通の家じゃない」と感じていた(撮影=市来朋久)

「鈴木選手の姿が“キラキラしていた”と目を輝かせて言うんです。初めて自分からやりたいと言いだしたので、近くの警察署に行ったら、講道館を薦められました」(輝哉氏)

父娘で講道館を訪ねると、入門を認められ、その日のうちに練習開始。もちろん「やる以上は徹底的に」という朝比奈家家訓に忠実な輝哉氏のこと。柔道の練習でも、基本である「前回り受け身」を毎日100本、親子で一緒に続けた。

沙羅選手には柔道の天賦の才があったようで、練習を始めて2年ほどで講道館の先生から「沙羅、お前は普通に練習をしていれば、将来必ず全日本クラスの選手になる。今からインタビューを受ける練習もしておこう」と太鼓判をおされたという。

文武両道の生活を続けた沙羅選手は、中学受験で渋谷教育学園渋谷中学校に合格する。そして、中学2年のときには全国中学校柔道大会で優勝。以後、国内外の強豪たちと戦い、ついには世界王者にまで上りつめるのである。

中学生の沙羅をオペ室に入れ、本物の手術を見せた

図らずも娘が柔道で快進撃を始めた一方で、輝哉氏の「沙羅を医学部に進学させる」という夢は、「柔道と勉学との両立」という難しい時期になってもまったく揺らぐことはなかった。

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沙羅選手のこと、柔道の練習のこと、医学部進学のことを熱く語る輝哉氏。沙羅という名は、強くなってほしいという願いから、映画「ターミネーター」シリーズのサラ・コナーからとったため表記は「SARAH」。(撮影=市来朋久)

「スポーツ選手のセカンドキャリアを考えると、現状、日本では厳しい環境にあります。引退した後、どうするか。選択肢を増やすためにも勉強を続けることは必須でしたね」(輝哉氏)

大学受験や国際大会のインタビューに備えて英語力を鍛えるため、どんなに眠くてもラジオの基礎英語を聞かせ、その日のダイアログ(対話)を完璧に暗記するまでは寝かせなかったという。

一方で、沙羅選手の適性を見るため、小さい頃から、輝哉氏が行う動物実験を見学させたり、マウスの解剖や実際の医学シミュレーション体験も続けていたという。

「朝比奈家の家訓のもう一つに『本物志向』というのもあります。子供向けの職業体験施設に連れていっても、本当のモチベーションを持たせることはできないと私は考えています。やっぱり本物を見せなければダメ。それと、今の医療界に対する問題意識もありました。厳しい状況になると患者に寄り添うどころか逃げだす研修医を少なからず見てきました。勉強ができるだけで、適性を欠いたまま医学部を受験した結果ではないでしょうか。上司に頼み込んで、中学生の沙羅をオペ室に入れ、本物の手術を見せたこともあります」(輝哉氏)

“輝哉流”はどこまでも徹底していた。

小さい頃は本気で「いつか父を殺してやる!」と思ってました(笑)

さて、これほど強烈な父のもと、娘はどんな思いで子供時代を過ごしてきたのか。どうやら沙羅選手はスパルタ教育に唯々諾々と従う、いわゆる“いい子”ではなかったようだ。

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撮影=市来朋久体のバランスを整えるためのボールトレーニングや水泳など様々な競技を取り入れた練習には輝哉氏も付き合う。 - 撮影=市来朋久

「それどころか、むしろ反骨精神だけで生きてきたように思います。小さい頃は本気で、『いつか父を殺してやる!』と思っていました。こういう親子関係は決してお勧めしませんが(笑)」(沙羅選手)

中学生のとき、こんなことがあった。古典の宿題を白紙で提出しようとしていた沙羅選手を見て、父が叱責すると、「古文の辞書がないからわからない。もう夜も遅くて辞書も手に入らないから、諦めるしかないよ!」と沙羅選手。

いつも怒鳴る父が静かに言った。

「この時間でもやっている本屋をネットで調べろ」

数軒の本屋が見つかる。父と娘は夜道を歩き、3軒目でやっと古語辞典を買うことができた。家に戻り、40分かけて宿題を終わらせた娘に父は言った。

「なんとかなったじゃないか。最後の最後まで諦めるな!」

わんわん泣きながら、娘は父に向かってこう言い放った。

「今日は負けたって感じかな!」

沙羅選手は父が恐ろしくて、その方針に従ってきたのではなく、輝哉氏に負けたくないからこそ、父の出す無理難題に立ち向かってきたのである。

高3の受験期は柔道特訓2時間、医学部受験勉強11時間

高3になり、いよいよ柔道と医学部進学の二刀流の真価が問われる時期となった。

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(上)ぶつかり合うことも多い父娘だが、食事をシェアするなど、絆は固い。(下)ケガをしない体づくりのため水泳は欠かせない。泳げる柔道選手は少ないという。(撮影=市来朋久)

「本当に大変でした。春夏は高校の大会。秋は全日本の大会。そして冬は国際大会。柔道にはオフシーズンがありません。練習2時間、勉強11時間という毎日でした。しかもケガが多くて、柔道も思うようにできなかった。もう本当に疲れ果てて、『私、今まで洗脳されたみたいに医学部を目指してきたけれど、大好きな柔道を犠牲にしてまで本当に医学部に入りたいのか?』っていう気持ちになったんです」(沙羅選手)

その気持ちを父にぶつけた。輝哉氏の返答は意外なものだった。

「じゃあ、医学部進学をやめれば?」

「は? ってなりましたよ。今まで散々、医者になれ、医者になれって口うるさく言ってきたくせに、今さらそんなこと言うなんて、ふざけんな! って。結局、とにかく医学部の受験まではしっかりやります。でも、その先はわかりませんから! と父に宣言して、勉強を続けたんです」(沙羅選手)

しかし、結果は不合格。

「悔しくて悔しくて、人目もはばからず、地下鉄で号泣してしまいました。そのとき思ったんです。こんなに悔しいと思うってことは、自分はやっぱり医学部に入りたいんだなって」(沙羅選手)

高3は医学部受験に失敗したが、浪人はしなかったワケ

改めて医学部進学への意欲を高めた沙羅選手だったが、この後の動きもまた、輝哉流が貫かれることになる。東京五輪代表を決める時期でもあり、朝比奈家は“浪人”という選択をしなかったのだ。

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トップアスリートであり、医師の卵でもある(撮影=市来朋久)

「通常、現役、浪人生の医学部進学のチャンスは、大学入学共通テスト(旧センター試験)を受けて各大学の2次試験を受ける国立大学受験か、一般入試の1次試験と2次試験を受ける私立大学受験の2パターンのみです。学校推薦を得る方法や海外進学の道もありますが、それ以外に、私はもっと入試のチャンスを増やす“オプション”を探っていました。まず、現役受験のときに他学部を併願し、入学しておくのです。大学生としてキャンパスライフを謳歌しながら、大学レベルの数学や物理、語学を学び、学士編入学、総合型選抜(旧AO入試)の受験資格を得る。加えて一般入試の再受験を狙う。どうでしょうか、浪人を否定しませんが、医学部合格のチャンスが確実に広がるでしょう」と輝哉氏。

実際、沙羅選手は現役のとき、医学部のほか、東海大学の工学部と体育学部を受験し、体育学部に合格している。

「浪人生活では得られない友達をつくることができ、医学部とは別の世界を広げることもできます。部活にも力を入れられる。もちろん、この選択にはデメリットもあります。医学部再受験までに長い時間がかかりますし、その間に“仮面浪人”呼ばわりされるなど、周囲からいろいろな雑音が入って、本人のモチベーションを下げてしまう危険性もあります」(輝哉氏)

「脳まで筋肉の柔道選手に医学部合格はできない」誹謗中傷にも耐えた

事実、朝比奈親子は、様々な“雑音”にさらされることになる。受験業界、医学界からは「受験をナメるな」「脳まで筋肉の柔道選手に医学部合格なんてできるわけがない」、また柔道界からも「オリンピックが狙えるのに、よそ見をしている」などの誹謗中傷が寄せられた。

「沙羅は絶対に柔道と勉強を両立させ、医学部合格を勝ち取ることができる強さを持っている。親が信じないで、誰が沙羅を信じるのか。私はブレることなく、固くそう信じていました。結果はどうであれ、最後の最後まで私が全力で沙羅を支えようと覚悟を決めた時期でもありますね」

こう語る輝哉氏の見込み通り、沙羅選手の大学生活は実に充実したものだった。所属した柔道部では、前述のように期待通りの活躍を見せた。生涯の友と呼べる友人もたくさんできた。

「そういう仲間たちが、私のことを本気で応援してくれました。私はもともと性格がネガティブで、自分のことをあれこれ考えこむタイプなんです。世間の風当たりにくじけそうになったこともあったけど、大学の仲間たちが『人から応援される喜び』『仲間に愛される嬉しさ』を教えてくれた。それを知って、人が変わった。明るく、強くなれた気がします」(沙羅選手)

大学3年から医学部受験専門予備校へ、そして獨協医科大学医学部合格

教育実習に参加し、「教師ってなんてすばらしい仕事なんだろう」と感激し、教員免許の取得を決意した。このときばかりは輝哉氏も「取得単位数が増えるし、医学部の勉強にもさしさわるから、やめた方がいいのでは?」とアドバイスしたが、「とにかく資格を取れって口うるさく言ってきたのは誰だ!?」と一蹴し、見事、中学・高校の保健体育の教員免許を取得した。

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『プレジデントFamily医学部進学大百科2021完全保存版』

大学3年からは、輝哉氏が選び抜いた医学部受験専門予備校メディカルフォレストにも通い、本格的に勉強に打ち込んだ。

「父にうまく洗脳され、レールに乗せられているな、と感じることはありますが、いつでもやるかやらないか、最終決断してきたのは私です。父にも、世間にも、自分にも負けるのはイヤだから、とにかく結果を出して見返してやりたい。それが私なりの反骨精神なんです」(沙羅選手)

「最後の最後まで全力で沙羅を守る」と決めた輝哉氏は、その言葉どおり、各大学の入試傾向を徹底リサーチしていた。

群馬大学医学部学士編入学試験は生命科学の問題が大学院レベルで難問、帝京大学一般入試は3日間受験して一番成績のいい試験結果が反映される、東海大学で学士編入するなら62単位以上を取得しておくこと。

国際大会の間隙を狙った試験日程の組み立て、予備校の選択基準などなど、医学部受験コンサルタントばりの情報収集を行ったのだ。そして数ある選択肢の中から、沙羅選手は、複数の学士編入学試験を経て、獨協医科大学医学部AO入試をクリアしたのだ。

マニキュア&ペディキュア“普通”の女の子の素顔も同居する柔道家

現在、沙羅選手は医学部の勉強とトレーニング漬けの毎日を送っている。

「楽しいですね。同級生は18歳の現役合格生から、上は27歳までいて、東海大学体育学部とはまた違った大学生活を満喫しています。田舎だから、誘惑もないので柔道と勉強だけに集中できるのもありがたいです」

獨協医科大学柔道部は新型コロナウイルス感染対策で活動休止のため、沙羅選手は今、大学の近くにある栃木県立宇都宮高等学校の柔道部(男子)と一緒に練習をしている。もちろん、輝哉氏も時間を見つけては顔を出し、娘のために一緒に汗をかいている。

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撮影=市来朋久一緒に練習をしている栃木県立宇都宮高等学校柔道部の市川敦俊監督(1列目右)と部員たち。 - 撮影=市来朋久

「いつか殺してやる」とまで反発した父と、ぶつかり合いながらも折り合って、しっかりと結果を出し続けた沙羅選手の精神力は、まさに世界的アスリートのそれである。

「将来の夢ですか? 今は医学部の勉強についていくことと、東京オリンピックですけど、その先は……、普通になりたいですね。異常な朝比奈家で育ったから、とにかく普通に生きることが小さい頃からの夢だったんです。結婚して、お母さんになって……(笑)。『医者になったら、誰と結婚してもいい』とテルヤさんに言われているので、それをモチベーションに、がんばっています」

そうほほ笑む沙羅選手の手足の爪は、マニキュアとペディキュアでかわいらしく飾られている。文武を極めた柔道家には、24歳の“普通”の女の子の素顔も同居していた。

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撮影=市来朋久沙羅選手の手足の爪には、マニキュアとペディキュアが - 撮影=市来朋久

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朝比奈 沙羅柔道選手
1996年、東京都出身。日本傳講道館柔道伍段。78kg超級。渋谷教育学園渋谷中学・高等学校から、東海大学体育学部へ進学。大学在学中に男女通じて初の実業団選手(パーク24)となる。2018年、世界ランキング1位に。19年、東海大学を卒業。選手活動を続けながら医学部受験の準備を進め、20年、獨協医科大学医学部入学を機に、パーク24を退社。21年12月のグランドスラム・東京を最後に、現役を引退し、医学の道に専念する予定だ。
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朝比奈 沙羅

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