アーチスト門田博光 病苦との壮絶な闘いに終止符 電話口から「しんどいねん」 念願だった3色の富士山は

アーチスト門田博光 病苦との壮絶な闘いに終止符 電話口から「しんどいねん」 念願だった3色の富士山は

  • デイリースポーツ online
  • 更新日:2023/01/25
No image

40歳35本塁打の世界新記録を樹立=88年9月18日、大阪球場

プロ野球の南海、オリックス、ダイエーに在籍し、歴代3位となる通算567本塁打を記録した門田博光さんが亡くなった。74歳だった。鷹番記者だった当時の記憶と引退後の“壮絶な闘い”を振り返り、この場を借りて追悼したい。

◇   ◇

悲報が届いた。驚いてすぐさま自宅に電話を入れてみた。つながるはずがない。また入れたが、留守電の声が繰り返されるだけだった。

昨年のちょうど今ごろ。久しぶりに取材がしたくなったので思い切って電話したら、その時は「勘弁してくれ」と言って断られた。

「いま人工透析から帰ってきたとこや。しんどいねん」

電話口から伝わる苦しそうな様子に、近況も何も聞けずにあっさり引き下がった。昔のようにしつこく食い下がっていれば…しかし、それをやるほど若くもない。

「分かりました。お体に気をつけて」

それが門田博光と交わした最後の言葉になった。

門田さんにはあらためて聞いてみたい話があった。あの“3色富士”は描いたのかと。

南海ホークスの選手時代、車で東京へ向かう道中。突然、グレーのバックに赤、黄、紫の3色の光が富士山を差したという。

「その一瞬を僕はみたんや。(葛飾)北斎でも描いたことのない3色の富士山や!」

そう自慢げに話していたのを思い出したからだった。

陶芸や絵画に興味をもっていたから呉(広島)のキャンプにも絵の具と筆を持ち込んでいた。人は変わり者と呼んでいたし、自分でもそう言っていた。

2009年の冬に取材したときは、体が不自由そうだった。

現役引退後、「健康管理がむちゃくちゃ」になり、毎日ビールを30本飲んで糖尿病になったと、少し後悔しながら話していた。「脳の後ろに石がくっついている感じ」という小脳梗塞の話も。

糖尿病については、「足の裏がゼリー状で歩くとグニュッとなる。靴を履いていても感覚はなく、ひざから下は分からない。神経障害になっててケガをしてもその認識がない」というリアル過ぎる内容だった。

「タンパク質ダメ。果物ダメ。野菜もダメ。何を食べてもダメ。水も取り過ぎると足が鬱血する。風呂で汗を出したら血がドロドロになって血管が詰まる。ほんま、ストレスの中を生きてるよ」

難聴に悩んだ過去も告白し、引退後次々と襲ってくる苦しみは想像を超えるものだった。

取材の終わり、10年後の自分を想像してほしいというこちらの問いかけに、笑いながら「地球の土」と返してきた。「(そろそろ)棺桶が待っていると考えるようになった」と。

さらにそこから14年。長い闘病の末に聞いた「しんどいねん」のひと言に、いい知れない苦痛と苦悩を感じた。

アキレス腱の断裂からはい上がり、不惑の大砲としてホームランを打ち続けた。小さい体をめいっぱいにねじり、大きなスイングで遠くへ飛ばすことを追い求めた超一流のアーチスト。

青少年を相手にした打撃指導で「本塁打の極意」を真剣に教えて光景が印象深い。だが、NPBでその姿を見ることはなかった。

それらすべてをひっくるめて門田さん。門田博光は、とにかく凄い人だった。(デイリースポーツ・宮田匡二)

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加