【スポーツ】阿部一二三が勝てなかった女子 鍋倉那美 所属退社で24年五輪へ不退転再出発

【スポーツ】阿部一二三が勝てなかった女子 鍋倉那美 所属退社で24年五輪へ不退転再出発

  • デイリースポーツ online
  • 更新日:2021/01/12
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昨年9月末で所属を退社し、心機一転パリ五輪を目指す鍋倉那美

新型コロナ禍で東京五輪が1年延期となった異例の状況下、慌ただしくも次の2024年パリ大会に向けた戦いも水面下で始まっている。

柔道女子63キロ級で18年アジア大会金メダリストの鍋倉那美(23)もそのさなかにいる1人。ドーハで開催されている国際大会のマスターズ大会(11~13日)に出場し、再始動する。東京五輪代表を最後まで争ったものの惜しくも落選。昨年は、4年半所属した三井住友海上を退社した。心機一転、新たな所属を探しつつ、中高時代の恩師に指導を仰ぎながら、3年後の五輪出場へ不退転の決意で挑む。

昨年12月に行われた男子66キロ級の東京五輪代表決定戦。阿部一二三と丸山城志郎の一騎打ちによる24分間の名勝負は感動を呼んだ。五輪切符を勝ち取った阿部だが、小学生時代は体が小さく、毎年団体戦で対戦する女子選手に6年間で一度も勝てなかった。一二三少年の負けん気に火をつける原点となった女子選手、その張本人が鍋倉である。

「弱くはなかったけど、まさかあんなに強くなるとは思わなかったですね」と笑いながら当時を振り返る鍋倉だが、幼少期の奇縁もあり、同学年で初めて五輪代表となった同郷兵庫のスターには「柔道界を背負う存在になってほしい」と願っている。そして、「いつか2人で五輪に出られたらうれしい。そのためにも私が頑張らないと」と続けた。

鍋倉自身も五輪に手が届きそうなところまで登りつめた。だが、あと一歩及ばなかった。

19年12月のマスターズ大会では、同階級で絶対的な強さを誇る世界女王のアグベニェヌ(フランス)から大金星を挙げて優勝し、五輪でも金メダルを狙える逸材として大きくアピールした。ただ、2番手として東京五輪切符を逆転で勝ち取るためには、優勝が絶対条件だった20年2月のグランドスラム(GS)パリ大会。決勝で対峙(たいじ)したのは再び世界女王アグベニェヌだったが、今度は一本負けで玉砕した。

東京五輪の夢がついえるとともに、去来したのは「この試合に勝っていれば自分の人生が変わっていたかもしれない。そこまでの強い気持ちを持ててなかった」という後悔の念。名門実業団の充実した練習環境や周囲のサポートで力をつけたものの、大一番での敗戦はそれまでの自分の限界を感じさせるものだったという。

「思い切りボコボコにぶん投げられて、自分はこんなものか…と。このまま同じようにやっても本当に強い相手、厳しい大事な試合で勝つことは難しいんじゃないかと感じた。自分の責任でしっかり準備をして、考えてやった上での結果なら(納得できるが)。自分に責任を持ってやりたいなと思った」

次の五輪に向けて、不退転の覚悟で環境を変える決意をした。決断する上で、後押しとなったのが恩師の存在だった。鍋倉が全国区で頭角を現した愛知・大成中高時代に指導を受けた大石公平氏(45)に、GSパリ大会での敗戦後、「ここで勝っていれば東京五輪につながっていた。本当に、あの試合だったんだぞ」と諭された。恩師の目には結果はともかく、心構えの足りなさが映ったのだろう。「自分にそれだけの覚悟ができていなかった。それが悔しいし、本当にもったいない」。人生を左右する試合で最高の準備をできなかったことに心残りを感じた。

日本一に輝いた中高時代は「私の原点」。選手としてはもちろん「自立した人間になりなさい」と、勝負師として薫陶を受けたのが大石監督(当時)だった。恩師は現在ルーマニア代表監督を務めており、東京五輪後に帰国予定。それに合わせて、鍋倉はもう一度恩師に指導を仰ぎながら、パリ五輪を目指す意向だという。

「絶対にパリ五輪に向けて後悔しないように。所属がどこであろうと、自分自身がしっかり目標に向けて強い気持ちでやるべきだと」

新たな門出となった昨年11月の講道館杯では3位に入り実力を示した。一方、試合以上に神経をすり減らしたのは、この大会に至るまでの慌ただしい日々だ。寮を出て、同じタイミングで退社した選手と仮住まいの部屋に移り、翌月にはさらにもう一度ワンルームに引っ越し。その間には、行政手続きや試合に出場するための手続きにも追われた。

今までは所属のスタッフにやってもらっていた事務手続きも自分でやってみると大変な作業。毎日何らかの書類を記入しては提出を繰り返した。「ミスしないように必死でした。コロナ対策もあって書類が多かったので、漏れがないかと」。監督者のサインを書く欄もあったが、「監督?私じゃん!って(笑)」と自分の名前を記入。“選手兼任監督”という珍しい経験もした。

現在はアスリート用の就職活動で新たな所属を探しながら、フリーとして自ら出稽古先を手配しながら練習に励んでいる。大会出場や、代表合宿などでの全日本柔道連盟とのやりとりも自分でこなす。スマートフォンの「やることリスト」はタスクや期限で常にあふれかえっているが、「キツいけど、自分で決められるのはいいなと。大変だけど、経験、スキルアップになってます」。

折しも自身が新たな一歩を踏み出そうとしていた頃、女子テニス選手の大坂なおみ(23)のコート内外での活躍に感銘を受けた。「自分をしっかり持って発信、行動している。人としての強さを目の当たりにして、自分も頑張ろうと思った」。批判を恐れず、社会問題についても発言を続けながら勝つ姿に、同学年の女性アスリートとして刺激を受けずにはいられなかった。

この選択はバクチかもしれないし、正当化するには金メダルしかないという、“柔道家残酷物語”ともいうべき勝負の世界の厳しさが待ち受けている。勝つも負けるも自分次第で言い訳無用。ただ、困難も含めて、自分で選んだ人生を生きる喜びに満ちている。(デイリースポーツ・藤川資野)

◆鍋倉那美(なべくら・なみ)1997年4月11日、兵庫県姫路市出身。5歳から兄の影響で柔道を始め、04年アテネ五輪で谷本歩実が金メダルを獲る姿を見て五輪に憧れを持った。大成中・高を経て三井住友海上に入社し、現在はフリー。18年アジア大会で金メダル獲得。東京五輪代表は逃し、補欠に選ばれた。右組みで得意技は内股。163センチ。

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