“レジェンド”天龍源一郎が聖なる夜に語った三沢光晴の素顔

“レジェンド”天龍源一郎が聖なる夜に語った三沢光晴の素顔

  • WANI BOOKS NewsCrunch
  • 更新日:2022/01/15
No image

昨年12月25日に開催された、小佐野景浩氏の新刊『至高の三冠王者 三沢光晴』の発売記念イベントは異様な熱気に包まれていた。なぜなら、あの天龍源一郎が参戦ということで、会場となった芳林堂書店高田馬場店には数多くのプロレスファンが駆けつけていたからだ。来たる2月12日(土)には、自身が率いる「天龍プロジェクト」の興行を大阪府豊中市で開催するなど、いまも龍魂が激しく燃え盛る天龍さん。トークショーでもクリスマスに駆けつけたファンのために、三沢さんとの思い出をたくさん語ってくれた。

天龍になら何やってもいいやと開き直っていた

小佐野 まずはタイガーマスク時代の話からですが、タイガーマスクってヒーローなんだけど、実はキャリア的にはまだ3年目でした。当時の全日本プロレスは格が重んじられていて、特に外国人選手は「いいカッコさせないよ」っていう態度でしたよね。

天龍 そうだね。でも、三沢は図太くて、平気で大技を相手にカマしていたよ。

小佐野 (ミル・)マスカラスにも、けっこう平気で空中殺法やっていました。

天龍 みんなはね、三沢っていうと華奢(きゃしゃ)で好青年っていうイメージかもしれないけど、意外と図太かったよ。これ悪口じゃないよ(笑)。

小佐野 そんな三沢タイガーには低迷の時期がありました。でも、三沢さんの希望が通って「猛虎七番勝負」の第5戦で天龍さんと対戦。87年6月の金沢(石川県産業展示館)で、弾けたファイトを仕掛けてきました。

天龍 最初は何が起こったかわからなかったけど、めちゃくちゃ来ましたよね。三沢は天龍源一郎を身近で知っていたから「あぁ、天龍源一郎になら何やってもいいや」って開き直ったのかなって。いちばん覚えているのは、場外に出た俺にトップロープから飛んできて、しびれて動けなかったこと。(試合後も)しばらく歩けなかったよ。

小佐野 天龍さんはフェンス外の本部席に叩きつけられましたよね。その後も、三沢タイガーはなぜか対天龍さんになると、士道館で学んだ蹴りを出していました。それも靴ひもの跡が付くぐらい。当の本人は「人と思ったら蹴れない」と言っていました(笑)。

天龍 あいつはひどいね(笑)。でも、金沢の試合が終わったあとに、(ジャイアント)馬場さんから「ご苦労」って言われて、俺は「あぁ、三沢もよかったな」と思ったのも確かだよ。

No image

▲きっと三沢さんにも「天龍さんだから」という想いがあったはずだ

小佐野 あの試合を見た馬場さんが「龍源砲」(天龍源一郎と阿修羅・原のタッグチーム)の結成も認めて、そこから全日本プロレスは日本人対決へと進んでいき、そして天龍革命が起きました。三沢はマスクを被ったままでしたが、あの試合から変わりましたか?

天龍 三沢はね、プロレスで「上に行ってやろう」っていう向上心を常に持っていたよ。ただ、自分の感情が伝わらないモドかしさはあったんじゃないかな?

小佐野 天龍さんは、けっこう(タイガーの)マスクを破いてましたよね? 三沢さんは「マスクは自腹なのに」ってボヤいてました(笑)。

天龍 あ、そう(笑)。たしかにそうだったね。だって、マスク越しだと怒っているかわからないけど、マスクを破ると、怒って蹴ってくるからね。表情では伝わらなくても「あ、タイガーマスクがキックを出すってことは怒ってるんだ」って会場に伝わるからさ。だから俺は(マスクに)手をかけていたのかな。

No image

▲三沢さんとの思い出をうれしそうに語る天龍さんが印象的だった

三沢の参加がきっかけで朝まで飲むようになった

小佐野 あんなに激しくリング上ではやりあっていても、プライベートでは一緒に飲んでいたんですよね。

天龍 プロレス好きの社長さんと円楽師匠(当時は三遊亭楽太郎)と俺が飲んでるときに「三沢を呼ぼうよ」って話になってね。そこから三沢がちょくちょく来るようになって、いつものメンバーに三沢が加わった感じだったよ。

小佐野 僕の印象だと、昔の三沢さんはぜんぜん飲めない人でした。この時に天龍さんたちに鍛えられたんでしょうか?

天龍 元から好きだったとは思うけどね。最初グッと飲んで、(深夜の)2時ぐらいに寝て、4時ぐらいに起きてきて「また飲みましょう」って……閉口しちゃったよ(笑)。それから俺たちも朝まで飲むようになったからね。

小佐野 飲んでるときの三沢さんは寡黙なんですか?

天龍 大人しい感じで黙って飲んでいたよ。まあ、俺たちがしゃべっているのをニタニタ聞いていたね。夜の8時から朝の5時までいつもいたよ。

小佐野 天龍さんが全日本プロレスを退団したあとも飲みにいったんですか?

天龍 1回だけだね。飲みながら「SWSに来たら? 倍のファイトマネー出すよ」って言ったら「いやいや僕はいいです」って。(そこから先は)以前のように楽しく飲んだよ。

No image

▲クリスマスにもかかわらず会場には多くのファンが詰めかけた

小佐野 それから年月が経って、NOAHの社長になった三沢と1度だけ飲んだそうですね。話を戻すと、天龍さんは全日本プロレスを90年の4月に退団します。事前に三沢には何も言わなかったそうですが、(退団が)報道などで公になったときには言ったんですか?

天龍 何も言ってないよ。俺は会見でもちゃんと言ったけど「全日本プロレスに来ないか?」って声をかけたのは折原(昌夫)だけ。折原にとって自分の居場所がなかったときだったからね。それ以外は馬場さんに対して失礼だから、ひとことも誰にも言っていないよ。

小佐野 天龍さんが退団されたあとの(全日本プロレスの)最初の興行が、東京体育館(90年2月10日)でした。三沢さんがマスクを脱いだことについて、当時はどう思いましたか?

天龍 三沢にとってマスクを取ることに抵抗はなかったはずだよ。マスクというしがらみがあると、思い通りの試合ができないことをずっと悩んでいたと思うからね。

小佐野 ちなみに、馬場さんは三沢さんのことを可愛がっていたんですかね?

天龍 そりゃそうだよ。彼が膝をケガして休んでいるときに新車を買ったんだよ。そしたら馬場さんが「三沢は休んでいるのに車を買いやがって。周りにシメシがつかないじゃねないか」と俺に怒っていたよ(笑)。でもさ、休んでる間も生活に困らないように、ちゃんとファイトマネーを渡していたってことだからね。そこで新車を買うところにも、彼の物怖じしないところが出てるよね(笑)。

小佐野 物怖じしないといえば、新日本の東京ドーム大会(90年2月10日)に、普段は激しく戦っている天龍さんと三沢タイガーが、その日に限ってタッグを組んで、長州力&ジョージ高野と激突しました。あの舞台でのタイガーはどうでしたか?

天龍 あいつはね、そつなくなんでもできるから舞台映えするよね。あの頃はすでに吹っ切れているときだったしね。飄々とやっていたけど、彼は妙に信頼するに足る男ですよ。

No image

▲信用していたからこそ実現した夢のタッグチーム

俺が耕した地面に三沢は綺麗な花を咲かせてくれた

小佐野 もうひとつ思い出しました。天龍さんが全日本を退団するにあたって、馬場さんと何度か話をするときに「三沢がいるから大丈夫」っておっしゃったんですよね。

天龍 そうだね。「大丈夫じゃないですか」って。俺は「ジャンボ(鶴田)が」とは言わなかったよ。三沢はちょうど伸びてきていたし、俺の穴は彼が埋めてくれると思ったよ。たぶんね、タイガーマスクになって自分を抑制していたことを、弾けてさ、すべてやりたいことをやるっていう気持ちに変わってよかったよね。

小佐野 そんな弾けた三沢さんが、マスクを脱いでわずか1か月(90年2月10日)でジャンボに勝ちましたが、天龍さんの心境はどうでしたか?

天龍 やっぱりさ、弾けなきゃいけないし、自分で掴み取ろうとしてね。「せっかくプロレスラーになったんだから」っていう意気込みを感じたよ。たぶん馬場さんも(三沢の)ネジを巻いたと思うけど、それを受けて結果を出したのが三沢光晴でしたね。

小佐野 そして超世代軍のとき、天龍さんは天龍さんでSWS、WARで非常に忙しかったわけですが、そのときは彼らの試合をチェックしていましたか?

天龍 しばらく見てなかったけど、久しぶりに「全日本プロレス中継」を見たときに、ジャーマンとかバックドロップを受けてる姿を見て「ヤバいな。こいつら、いつか大けがするよ」と勝手に彼らのことを危惧したのを覚えているよ。

小佐野 三沢、川田、小橋は若いころに天龍さんに触れていたから「あの当時の天龍さんに負けたくない」っていう気持ちはあったと思います。

天龍 口はばったいけどさ、(全日本という)地面に長州たちという違う種が入って、そこを俺が懸命に耕して、三沢たちが成長して綺麗な花を咲かせて、全日本プロレスという形にしてくれたのかな。退団したあとも、俺には「新日本プロレスにも負けない」っていう全日本プロレスのプライドがあったからね。三沢たちに感謝しているよ。昔は全日本プロレスはちょっとバカにされてたんだけど、三沢たち(の世代)になってから雑誌の扱いなんかもガラッと変わって、全日本プロレス出身として誇らしく思ったよ。

小佐野 その後、四天王プロレスを築いた三沢と戦ってみたかったですか?

天龍 それはなかったね。俺は全日本プロレスを卒業して、そのあとを三沢たちに任せたからね。彼らがしっかりやってくれてるから、俺の中でケジメがついたっていうのがあるよ。その後、NOAHに上がって、いきなり一騎打ちがあった(2005年11月5日)けど、「なんでいま俺とやりたいの?」って疑問符がついたよ。

小佐野 三沢さんとのシングルは、三沢タイガー時代の金沢と、その日本武道館の2回だけですが、後者はいろんな意味で重い試合でした。

天龍 パワーボムで持ち上げようとしたら、俺の万力で持ち上げようとしてもピクリとも上がらない。「この野郎!」って思ったら、俺が三沢の足を踏んでいたんだよ(笑)。

小佐野 そっちの重いですか(笑)。彼のエルボーは重かったですか?

天龍 あいつは非情だね(苦笑)。あれは効いたよ、本当に。器用でそつなくこなすイメージだけど、当時(三沢タイガー時代)はまだ爆発的な何かがなかったから「もう一皮剥けたら」と歯がゆかったよ。そこに彼はエルボーを身に付けたんだよね。

小佐野 この本は、たまたま13回忌にあたる年(2021年)に出たんですが、今でもときどき、三沢さんのことを思い出すことはありますか?

天龍 それはありますよ。漠然と「もし生きていたら何をしているのかな」って思うよ。今年が還暦らしいけどピンとこないよね……。

小佐野 ちなみにこの本は読んでくれましたか?

天龍 本が厚すぎて、自分のところだけ読んで寝ちゃったよ、俺の悪口を小佐野さんが書いていないかなって(笑)。でもさ、分厚い本ができたよね。いろんな人の話を聞いてこの厚さなんだろうけど、みんなが三沢のことをこうやって語って、彼も喜んでいると思うよ。

時折、天龍節を織り交ぜながら、多くのエピソードを語ってくれた天龍さん。リビング・レジェンドだけが知る三沢さんの素顔からも、“さりげなく命懸け”という生き様が伝わってた。そして、激しく燃え続ける龍魂からも目がまだまだ離せない。2022年2月12日の豊中・176BOX、2月23日の前田日明さんとのトークバトルなど、天龍プロジェクトの興行やイベントも見逃せない!

NewsCrunch編集部

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加