
『火の鳥 エデンの宙』©Beyond C.
漫画、アニメ文化を、長年にわたって大きく飛躍させた、日本を代表するクリエイター、手塚治虫。そのライフワークとなった漫画『火の鳥』は、他に類を見ない大スケールで、地球や宇宙の歴史を悠久の時間とともに切り取った、12篇の大作シリーズだ。そのなかでもとりわけ奇想天外な展開で異彩を放つ「望郷編」が、STUDIO4℃によって初の映像化を果たし、アニメシリーズとしてディズニープラスより配信されている。
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ここでは、そんな本シリーズ『火の鳥 エデンの宙』の内容を見ていきながら、これがいま製作された意味について考えていきたい。
恋人のジョージと地球から逃げ出して、はるか彼方の無人の星「エデン17」に住み着いた若い女性、ロミが本作の物語の中心となる。ジョージはこの一面岩だらけの荒廃した星で命を落とし、ロミは新たに生まれた息子カインと星に暮らすことになってしまう。地球には戻れない状況下で、ロミは成長したカインと種の存続をはかるため、「コールドスリープ」により13年間眠り続ける選択をする。だがシステムが誤作動を起こし、彼女はなんと1300年後に目覚めることになってしまうのだった。その年月の間に、「エデン17」には巨大な文明が築かれていた……。
生身の人間が後の時代までジャンプできるコールドスリープの技術や、相対性理論の考えにより、状況によって時間の流れに差異が生じる「ウラシマ効果」など、SF要素を駆使することで、本作は『火の鳥』ならではといえる、気の遠くなるようなスケールの時の流れを、ロミという一人の女性が、さまざまな時代の人々と巡っていく展開となる。そして原作の「望郷編」が示すように、人間が故郷である地球に固執してしまう本能的な性質と、その感情が引き起こすドラマを、まさに異星の「創世記」を想起させる壮大さで描いていく。
この原作漫画「望郷編」には、もともと近親相姦の要素が存在する。人間の存在を超越した視点で、その営みや争い、人間の業(ごう)を表現する『火の鳥』において、人間社会における既存の倫理観を逸脱した状況を描くことは珍しくなく、“種の保存”のための行為を悪として描いていない試みは、現代の観客の議論を喚起させるという意味で、興味深い点になり得たのではないか。
しかしアニメーション版である本作では、この物議を醸しそうな点は排除されている。こういった選択もまた、より多くの人々に作品を届ける上で理解できないものでもない。近親相姦の要素に「望郷編」の本質が存在するかどうかは、鑑賞者それぞれの判断によるところだが、必ずしもこの点がなければ物語が成立しないというわけではないということは、本作が証明することになったといえるのではないか。
原作自体、そもそも複数回の改変がおこなわれているように、アニメーション版も終盤の展開に、原作からの改変がおこなわれている。作中に書籍として登場する、サン=テグジュペリの『星の王子さま』のストーリーを想起させるような流れは採用されておらず、輪廻や回帰を暗示するラストシーンに行き着くというのも、本シリーズの特徴だろう。この後、11月3日に公開される予定の劇場版『火の鳥 エデンの花』では、さらにエンディングが異なるのだという。そこでどのようなラストが描かれるのかについては、楽しみに待ちたいところだ。
本シリーズのSTUDIO4℃による映像表現は、近年のアニメーションらしく、より高精細な作画によるもので、手塚治虫の絵柄を一部踏襲しながらも雰囲気は大きく変わっている。この絵柄の刷新やエフェクトの多用された背景が作り出す映像については、妥当といえる落としどころで、最高とは言わないがバランスのとれたものになっていると感じられる。
いずれにせよ、本シリーズで最も大きなインパクトが与えられるのは、やはり手塚治虫が提供していた、狂気にも似た創造性に溢れる表現の氾濫である。なかでも、鉱物によって支配された不気味な惑星の描き方や、人間たちが生み出す未来に対する徹底的に冷めた見解には圧倒的なものがある。筆者は、学生時代に原作「望郷編」を読んだ日に衝撃を受けて熱を出したことを、本シリーズを鑑賞することで思い出した。作り手たちもまた、「望郷編」に包含されている狂気を再現することに腐心したのではないか。
さらに執筆当時の手塚治虫のヴィジョンは、“現代”の問題を照らし出してもいる。多くの貧しい人々が生存権を脅かされ、社会や地球環境が壊れていくなかで、限られた特権階級にいる者たちが助かろうと大多数の人々を搾取する構図は、そのまま現在の地球の状況と、来るべき未来の姿を映し出していると感じられる。さらに、宇宙移民が厳しい状況に置かれていることも、現在の移民問題に繋がっているといえる。
日本人は、かつてグアムやハワイ、カリフォルニアやブラジルなど、集団で海外に移民した過去がある。だが、過酷な労働環境や異なった文化に戸惑い、第一世代は日本に帰りたいと望む者が多かったといわれる。それは日本だけではなく、世界中の移民や、日本に移り住んだ人々にも共通するものがあるだろう。ロミをはじめとする、地球へのホームシックを患う多くの人々の存在というのは、こういった歴史や、現実の状況を踏まえたものだと考えられる。
だが、手塚の描いたラストも、本シリーズがかろうじてたどり着いた可能性にも、未来への希望は残されている。絶望的な世界のなかにも、人間の営みはあり、心の交流はあるのだ。人々の罪や欲望を悲観的に、そして諦念を持って表現しながらも、ロミや、人間と異星生物“ムーピー”との間の子孫であるコムのような、善良な人々が存在し、社会をやり直す可能性が描かれるとというのは、一つの希望として我々の目に映る。
このように本シリーズが、この壮大な物語を通し、人種の違いや文化などの違いによる偏見を少しでも払拭し、分断の壁を低くすることに繋がってくれれば、本シリーズが新たに蘇り、世界に向けて配信される意義は、間違いなくあるといえるだろう。
(文=小野寺系)
小野寺系(k.onodera)