英女王の死去は「恐ろしい悲劇」なのか

英女王の死去は「恐ろしい悲劇」なのか

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2022/09/24
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英国の人々は、敬愛する女王の死去を厳粛に悼んでいる。ここ米国に暮らす多くの英国人も同様だ。米国人には王室の重要性が分からないかもしれないが、女王が国民から崇敬されていたことは明らかだ。人々の間に広まる悲しみは理解できるが、不可解なのは、一部のニュースキャスターが女王の死去を伝える際に使った言葉だ。

女王の死を「恐ろしい悲劇」と表現したニュースキャスターがいた。本当にそうだろうか? 多くの人々に愛された、すてきでしとやかな96歳の女性が、70年という長きにわたり国のために尽くした末、自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取った。どこからどう見ても、尊厳ある死に方だった。これのどこが「恐ろしい」のだろう?

また、96歳の老体でありながら、自分の葬儀に関して計画を立てられるほどしっかりしていた人物の生涯が終わったことのどこが「悲劇」なのだろう? むしろ、喪に服す人々に便宜を図り、正式な儀式にのっとって素晴らしい形で女王を見送るという、配慮の行き届いた臨終だったのではないか。

もちろん、愛する人や尊敬する人の死は、たとえ事前に準備ができていようが、とても悲しくつらいものだ。時間がたつにつれ、喪失感が深まっていく。ごく自然なことであり、誰もがいずれ経験することでもある。

おそらく誰もが女王の死から多少なりとも学び、自国の人々が愛する人の死をどう扱っているのかを考えることができる。死を「任意」のものと捉えているのは、世界でも米国文化のみだということは、これまでも指摘されてきた。

自分自身や他の誰かが「もしも自分に何かあったら……」と口にする時のことについて考えてみてほしい。「もしも」とはどういうことか? 人生の終わりは「もしも」ではない。生き物にはすべて、誕生から死までのライフサイクルがある。「もしも」などと考えるよりも、英女王のように、死の何年も前から準備ができているほうがずっと良い。現実を直視して、自分の死に方や死後のことについての計画を周囲の人々に残すことは、王族でなくともできる。

死は誰にでも起きることだと受け入れるのは、多くの人にとって本当に難しい。高齢の親は、自分の死について話し合うことを拒否するかもしれない。成人した子どももまた、親の死の問題に直面できず、その話題を避けようとする。筆者は看護師として働いていた頃、危篤の家族の病室の外で繰り広げられる怒りや憎しみ、家族同士の口論、死を受け入れない現実逃避を目の当たりにした。

私たちは皆、不要な悲しみを避けることができる。誰かが死ぬことだけでも、十分につらい。悲しみ方は人それぞれ異なる。少なくとも、家族が安らかに息を引き取った時に、怒りの感情が生じないように準備しておくことはできる。

特に、高齢の家族の心身が衰えてきた時に、その人がいつか死を迎えるのだと受け入れることができるようにしたい。自宅で安らかに家族にみとられる死を「恐ろしい悲劇」だと考える必要はないのだ。

forbes.com 原文

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