門田博光さんの引退までの5日間...「両目がかすんでボールが見えん。代打にいくのも怖いんよ」

門田博光さんの引退までの5日間...「両目がかすんでボールが見えん。代打にいくのも怖いんよ」

  • 西日本スポーツ
  • 更新日:2023/01/25
No image

真夏のJR福島駅。仙台へと北上するチームとは反対側の新幹線ホームに門田博光さんはいた。「糖尿病がな…。腎臓も肝臓も悪いし。両目がかすんでボールが見えん。本当は代打にいくのも怖いんよ」。1992年8月31日。ぐったりとベンチに腰かけ、声にも力はない。東北遠征中のチームをひとり離れ、福岡へと帰っていった。

取材しがたい人だった。旧知のベテラン記者ならいざしらず、若造の質問になどおいそれと答えてはくれない。「ああ」とか「いや」とか、一言でも反応が返ってくればまだまし。何を聞いても無言で歩き去ることがしばしばあった。南海からダイエー入りを拒んでオリックスに移籍。移籍当初は平和台球場のスタンドから「帰れコール」が浴びせられた。91年にホークスに出戻っても容赦ないヤジは残っていた。そんな空気が、なおさら気持ちを硬くさせていたのかもしれない。

それが、どうだ。「朝起きても目の焦点が合わんで、2メートル前の字も読めへん。胸も気持ち悪いし、体がふわふわ浮いとる感じがする。普通の食事もとれん。スポーツドリンクを飲むだけや」。「5年前から(肝機能など)全ての数字が悪かった。もう23年もやって、スポーツする人間の老衰やな」。能弁な問わず語りが、病状の深刻さを示すかのようだった。

「去年で引退する気持ちはあったようだけど、気力はまだあると聞いて引き留めていたんだ。今度は完全燃焼したと話していた。野球より命が大事なのは当たり前だから」。前日に宿舎で門田さんと話し合った田淵幸一監督は、糖尿病の悪化が理由とあっては慰留できなかったことを明かした。各紙は一斉に「門田引退」を打った。

ところが、だ。9月1日に福岡市内の病院で診察。門田さんの様子は一変していた。受診後、待ち構えた報道陣に「引退と勝手に書かれて迷惑しとる。体がしんどいから帰って来てる。病気なんや、病人なんや」とまくし立てた。さらには「2、3日したら西戸崎(室内練習場)にバットを振りに行く。俺は登録抹消になっただけやろ」と復帰への意欲もみせた。

もっとも、事態はもう一転がりする。球団から引退会見のリリースが発せられたのが受診の2日後。そして4日、球団事務所で会見が開かれた。「ゆっくり熟睡できそうです。自分なりにトライしてきたからこそ言えるのではないでしょうか」。おだやかな口調、すっきりとした表情で胸を張った。170センチの体で常にフルスイング。持病にとどまらず右アキレス腱(けん)、右ふくらはぎ、右膝、左足首と体はボロボロだった。

田淵監督の計らいで「最後の1打席」が用意されたのは10月1日の近鉄戦。翌年からチームは福岡ドーム(現ペイペイドーム)に本拠地を移すため、平和台球場の公式戦ラストゲームだった。3番DHでスタメン出場。マウンドの野茂英雄は直球で挑んできた。

初球の145キロを空振り、2球目の145キロはファウル、そして147キロ。バットは空を切った。「基本どおりに体が開くことなく踏み込めました」。理想のスイングを追い求めてきた求道者は、納得のフルスイングで現役の幕を下ろした。歴代3位の567本塁打、同じく3位の1678打点、そして当時歴代2位の1520個目の鮮やかな三振だった。(富永博嗣)

西日本スポーツ

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加