何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【下】

何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【下】

  • Japaaan
  • 更新日:2020/10/17
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前回のあらすじ

時は明治三1870年、仙台藩士の家に生まれたお転婆少女「たりた」は、17歳にして剣術に目覚め、両親の反対を押し切って佐竹鑑柳斎(さたけ かんりゅうさい)に弟子入り。直心影流(じきしんかげりゅう)薙刀術を学びます。

厳しい修行の末、めきめきと上達した「たりた」は、師より印可状と「秀雄(ひでお。雄=男より秀でている、の意)」の名前を授かり、剣豪美女として活躍。

先夫・吉岡五三郎(よしおか ごさぶろう)と死別し、一人娘と生き別れになった悲しみを振り切るため武者修行の旅に出て全国各地で暴れ回った末、帰郷して直猶心流(ちょくゆうしんりゅう)鎖鎌術の宗家・園部正利(そのべ まさとし)と再婚。

以降は直心影流薙刀術の宗家を継承し、大日本武徳会(だいにっぽんぶとくかい)で活躍することになるのでした。

前回の記事

何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【上】

幕末の「人斬り」渡辺昇に勝利するも……

大日本武徳会とは武士の世が終わった明治以降、次第に廃れゆく武道とその精神を継承・振興するべく明治二十八1895年に設立された団体で、初代総裁には皇族の小松宮彰仁(こまつのみや あきひと)親王が就任されました。

毎年大会を開いて武道の振興に努める中、明治三十二1899年の第4回武徳祭大演武会において、秀雄は親王殿下より渡辺昇(わたなべ のぼり)との異種対戦を指名されます。

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若き日の渡辺昇。人斬りとして新選組からも恐れられ、政治的でも維新を支えた。

渡辺昇とは肥前国大村藩(現:長崎県大村市)出身の元尊攘志士で、討幕派の急先鋒として京都で佐幕派志士を多数血祭りに上げ、かの新選組(しんせんぐみ)からも恐れられていた「人斬り」。

また、坂本龍馬(さかもと りょうま)からの依頼で討幕運動の原動力となった薩長同盟の段取りをつけるなど政治的な功績も多く、大阪府知事や元老院議官、貴族院議員などを歴任します。

……とは言うものの、そんな昇(天保九1838年生まれ)も当年62歳。さすがにピークは過ぎている一方で、秀雄は当年30歳という脂の乗り切った年ごろ。老練の渡辺昇か、新進気鋭の園部秀雄か……勝負はあっけないものでした。

「参った!」

秀雄が繰り出す薙刀の攻勢にたまらず、昇は竹刀を投げて試合放棄を宣言したそうです。そうでもしないと降参の意思が伝わらないほど、怒涛の勢いで攻め込まれたのでしょう。

新選組をも恐れさせた元「人斬り」に勝った……秀雄の評判はますます高まる一方でしたが、その二年後(明治三十四1901年)、師匠の仇討ちということで昇の秘蔵弟子・堀田捨次郎(ほった すてじろう)が勝負を挑んで来ました。

みんなは「返り討ちにされる(=秀雄の勝利)だろう」と予想していたそうですが、三本勝負で捨次郎は二本をとり、僅差で試合を制したそうです。

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堀田捨次郎。文学青年のような風貌に、静かな闘志を秘める。

当時、試合に際しては(選手の気が散る、精神統一の妨げになるなどの理由から)拍手や声援が禁じられていたにも関わらず、会場内は拍手喝采がやまなかったそうで、それだけ秀雄の強さが知れ渡っていたことが判ります。

これが秀雄の生涯における唯一の敗北(諸説あり)とされますが、当の本人は後にインタビューを受けた際、捨次郎との試合について

「あたくしが堀田さんに負けたというのは間違いです」※読売新聞、昭和三十1955年1月10日付

とコメント。よほどの負けず嫌いなのか、それとも高齢ゆえの記憶違いなのかはともかく、その後も「生涯無敗」を謳いながら夫の道場「光武館」で薙刀術を指導。

昭和十一1936年には自身の薙刀術道場「修徳館」を開き、昭和三十六1963年9月19日、94歳で亡くなる直前まで、各地を飛び回って武道の普及・振興に尽力したのでした。

エピローグ・本当の強さとは?

かくして武道三昧な園部秀雄の生涯でしたが、彼女は平素から「女性は強いだけではダメ!女性らしさを忘れず、その嗜みである家事をおろそかにしないこと!」と弟子たちに指導。自身はどんなに忙しくても、毎日の家事を欠かさなかったと言います。

現代人からすれば時代錯誤もいいところですが、秀雄は「武道に励む女性なんて、どうせゴリラみたいにガサツで、美しさなど欠片もない」などという偏見に苦しんでいたのかも知れません。

強く、優しく、美しくを目指した秀雄

強さと美しさは両立できる……美しさとは単に容姿(≒若さ)ではなく、品格ある振る舞いや丁寧な暮らしぶりに表れるもので、その修行と実践手段を家事に見い出したのでしょう。

本当の強さとは、いたずらに「武」をひけらかすことではなく、優しく、そして美しくあること……それが女性として生まれながら「男に負けないこと」を名前に謳った秀雄の見つけた結論なのかも知れません。

【完】

※参考文献:
『歴史ミステリー 日本の武将・剣豪ツワモノ100選』ダイアプレス、2020年11月
『剣の達人111人データファイル』新人物往来社、2002年10月

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