巨人・菅野、開幕投手から11連勝!82年ぶり球団記録、スタルヒンに並んだ

巨人・菅野、開幕投手から11連勝!82年ぶり球団記録、スタルヒンに並んだ

  • SANSPO.COM
  • 更新日:2020/09/16

(セ・リーグ、巨人6-3阪神、14回戦、巨人11勝3敗、15日、東京D)巨人は15日、阪神14回戦(東京ドーム)に6-3で勝ち、優勝へのマジックナンバーを「38」で点灯させた。エースの菅野智之投手(30)が、6回7安打3失点で開幕から無傷の11連勝を達成。開幕投手としては1938年春にスタルヒンがマークした球団記録に並び、82年の北別府学(広島)のセ・リーグ記録にも並んだ。72試合目でのマジック点灯は2リーグ制以降の球団最速。1分けを挟む今季初の8連勝で、リーグ2連覇へ前進した。

エースのプライドを白球に乗せ、菅野がマウンドに仁王立ちした。3度のリードを許す苦しい展開をしのぎ、大きな1勝をその手につかんだ。

「チームに感謝したい。1点を与えても、次の1点を与えないようにと心掛けていました」

72試合目でのマジック点灯は2リーグ制以降では球団史上最速。意外にも菅野自身、過去に登板試合での点灯がなく、勝てばマジックが点灯する一戦へ「絶対に勝ちたい一心でマウンドに立ちました」と強い思いを抱いていた。

一回に先制を許し、三回と五回には近本に2打席連続でソロを浴びた。1試合で同じ打者に2本塁打を許すのは4年ぶり。三者凡退は二回の1度だけと、決して本調子ではなかった。

それでも、1-2の四回2死満塁のピンチで、木浪をこの日最速となる151キロの外角直球で空振り三振に仕留めるなど踏ん張った。「自分が出せるマックスの球を投げようと。あそこはターニングポイントでした」。六回に大城の2点打でチームが勝ち越すと、ベンチ前で何度もガッツポーズ。その姿が、勝利への意志を表していた。

偉大な記録に到達した。開幕戦からの11連勝は、38年春のスタルヒン以来となる球団タイ記録。球界初の300勝投手の偉業に一つ、肩を並べ「まさか、自分がそこに並べるとは。スタルヒンさんも喜んでくれているのかなと思います」と感慨に浸った。

そんな今は亡き伝説の名投手の「喜び」を代弁したのは、美容業界で活躍するスタルヒン氏の長女、ナターシャさんだ。「亡くなって長い年月がたち、いまなお父・スタルヒンの名が出てくるのは娘として、とてもうれしいことです。菅野投手が父の記録と並び、破ることで、ますますプロ野球を盛り上げ、多くの人々に夢と希望を与え続けてくれることを心から願っています」と本紙に祝福のメッセージを寄せた。

チームは2年ぶりの8連勝。負けないエースを旗印に、原巨人が2連覇へ猛進する。(箭内桃子)

データBOX

〔1〕巨人に優勝へのマジックナンバー「38」が点灯。2位以下で唯一自力優勝の可能性のあった阪神は、残り47試合に全勝で勝率・716。巨人は阪神との直接対決10試合に全敗しても、他のカードで38勝すれば、勝率・724で上回る。

〔2〕2リーグ制(1950年)以降、チーム72試合以下で優勝マジックを点灯させた例は、65年の南海の58試合目などがあるが、巨人では51年の73試合目を抜く最速。原政権での最速は2002、13年の98試合目だった。

〔3〕2位・阪神に10・5ゲーム差。巨人が優勝した年で2位に最もゲーム差をつけたのは90年の22差(2位・広島)。

〔4〕菅野の開幕11連勝は13年の楽天・田中将大(24連勝)以来。巨人では66年の堀内恒夫(13連勝)以来3人目。開幕投手の開幕11連勝以上は、04年の近鉄・岩隈久志(12連勝)以来。

ヴィクトル・スタルヒン

1916年5月1日に帝政時代のロシアで生まれ、25年に日本亡命。34年に旭川中(現旭川東高)を中退し、同年の日米野球に全日本の一員として出場。36年に大日本東京野球倶楽部(現巨人)に入団し、39年にプロ野球タイ記録の42勝を挙げた。戦時中は須田博(すた・ひろし)に改名。戦後はパシフィック入団。トンボ在籍時の55年にプロ野球初の通算300勝を達成し、同年に現役引退。通算成績は586試合で303勝176敗、防御率2.09。タイトルは最多勝6度など。57年に自動車事故で死去。60年に殿堂入り。191センチ、90キロ。右投げ右打ち。

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開幕11連勝を達成した菅野(左)はバッテリーを組んだ大城と並び、会心の笑みを浮かべた (撮影・福嶋範和)

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