Z世代に向けた『もののけ姫』論 90年代の熱狂と今こそ語られるべきメッセージ

Z世代に向けた『もののけ姫』論 90年代の熱狂と今こそ語られるべきメッセージ

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  • 更新日:2021/10/14
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『もののけ姫』(c)1997 Studio Ghibli・ND

映画ライターの杉本穂高と批評家・跡見学園女子大学文学部准教授の渡邉大輔が話題のアニメ作品を解説しながら、現在のアニメシーンを掘り下げていく企画「シーンの今がわかる!アニメ定点観測」。

(関連:「Z世代に向けた『もののけ姫』」動画での解説はこちら

第2回目は、宮崎駿監督作『もののけ姫』をピックアップ。大学講師も務める渡邉氏曰く「Z世代のジブリ離れが進んでいる」とのこと。そこで「Z世代に向けた『もののけ姫』」をテーマに、『もののけ姫』が爆発的ヒットを記録した理由から今こそ語られるべき本作のメッセージについて解説していく。(編集部)

●Z世代にとってのスタジオジブリ
杉本穂高(以下、杉本):Z世代といわれる若い世代がジブリ作品に触れていないと伺いましたがいかがですか?

渡邉大輔(以下、渡邉):そうですね。10年ほど都内のいくつかの大学で授業を持っていますが、この10年くらいで学生のジブリの視聴環境がすごく変わっていると思います。それこそ去年、コロナ禍で「一生に一度は、映画館でジブリを。」というキャンペーンがありましたけど、裏を返せば、要するに日本人の中で映画館でジブリの作品を観たことがない人が一定数いるということでもあるわけです。でも、考えてみれば当たり前のことで、Z世代と呼ばれている学生って、大体2000年生まれ前後。ジブリの数々のヒット作品が公開された後に生まれていますから、宮崎アニメをリアルタイムで映画館で観ている体験が少なくなってきていると思います。例えば、学生のリアクションペーパーを読むと、「小さい頃に親に観せられた」「今観ると理解できた」と書かれてるんですね。“ジブリを観た”という体験はあるけど物心ついてからちゃんと観たという人は激減していますね。それにジブリはストリーミング配信をやっていないので、ジブリ作品を観られる機会が年に数回の『金曜ロードショー』やDVDくらいしかない。コロナ禍においてはアクセスしにくい環境にあるんですよ。杉本さんも私もそうですが、リアルタイムでジブリを観てきた世代からすると、ジェネレーションギャップがあります。

杉本:大学で映像や映画の歴史について教える際に、学生がジブリ作品を観ていないということで困ったことはありますか?

渡邉:そんなにはありませんが、今のZ世代の若い人たちはネットで見たデマとか都市伝説の方を知っているんですよね。『となりのトトロ』が狭山事件と関係しているとか、『千と千尋の神隠し』は幻のシーンがあるとか。それらを訂正することが多々あります。

杉本:我々世代からすると、スタジオジブリの作品ってある種の共通体験的なものじゃないですか。誰でも知っていて、ある程度誰でも観たことがある作品。観たことがない人を探す方が我々の世代では困難でしたが、今は逆なんですね。

渡邉:そうですね。杉本さんがおっしゃった通り、難しい言葉で言えば“大きな物語”というか。かつて昭和とか平成の時代「日本人なら全員観ているよね」、「誰もが共通前提として知っているよね」という大きなコンテンツの最後がジブリだと思っていましたが、今は映画の『コナン』とか『ポケモン』とかに変わっているなっていう。

杉本:『名探偵コナン』はやっぱり誰でも観ているんですか?

渡邉:全員が観ているというわけではないと思いますが、なんとなく知っているよねという空気が共有されている気がしますね。

杉本:世代の共通体験としてちゃんと確立されているということですね。

渡邉:そうですね。一方でジブリは影が薄くなっていますね。ちょうど『もののけ姫』が劇場公開された年に『コナン』の映画第1作が始まっているので、その辺で分岐点というか、時代の流れというのもあると考えられますね。

●同時期に生まれた『もののけ姫』と『夏エヴァ』
杉本:2000年代に100億超えるヒットを飛ばし続けてはいたけど、宮崎駿という作家が何を成したかということを語るうえで1番重要な作品が『もののけ姫』だと僕は思っています。でもそれが観られていないというのは、映像を教える側としてはさみしいですよね。

渡邉:そうですね。でも実際見せるとすごく感動してくれるわけですよ。それってやっぱり作品の力というか。世代を超えて、1回観ただけで明らかにこれはすごいアニメだと分かる点が傑作だなという感じがします。私たちは、ほぼ同世代ですが杉本さんは『もののけ姫』を1997年にリアルタイムで観たときの感想や思い出はありますか?

杉本:僕、神奈川に住んでいたのですが、わざわざ当時の映画の中心地であった銀座まで行って、夜中徹夜で並んで観ました。 当時WEB予約なんて当たり前になく、当日券のみだったのですごかったですよ。満席で、僕は立ち見でした。それくらいぎゅうぎゅう詰めの中にいた記憶がありますね。僕が体験した中であれほど熱狂的な映画館は、後にも先にも『もののけ姫』と『エヴァンゲリオン』くらいですね。

渡邉:私は田舎の高校生だったのですが、やっぱり公開直後に観に行きましたね。私は席には座れましたが、杉本さんがおっしゃる通り、立ち見の人もいたのを覚えています。今の『鬼滅の刃』のように、『もののけ姫』は当時、社会現象みたいになっていましたよね。

渡邉:ありましたね。ちょうど1997年の夏は『もののけ姫』と『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(夏エヴァ)が公開されて、映画館の中に『もののけ姫』の「生きろ。」というポスターと『夏エヴァ』の「だからみんな、死んでしまえばいいのに…」というポスターが2つあって。世代のトラウマを植え付けられたという思い出がありますけど(笑)。1997年の夏は忘れられない夏ですよね。

杉本:対照的なキャッチコピーですよね。その年は、スティーヴン・スピルバーグの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』がほぼ同じタイミングで公開されましたが、『もののけ姫』はスピルバーグの売り上げを超えたんですよね。それを僕はすごく強烈に覚えています。ジブリの作品が共通体験であるとはいえ、興行収入は大体20億円くらいだったじゃないですか。当時の映画といえば、莫大なお金をかけたハリウッド映画というイメージでした。その頂点であるスピルバーグを超えたのが宮崎監督で、そこから日本の映画産業が変わっていったと思います。今は「邦高洋低」といって邦画の方が売上は高いですが、90年代って日本映画どん底の時代で。日本映画を観る人はあまりいなかったんですよね。

渡邉:洋画の方がぶっちぎりでしたよね。

杉本:そういう歴史を1つ変えるきっかけになったタイトルだったのかなと思います。

渡邉:『もののけ姫』には「生きろ。」という糸井重里さんが作ったキャッチコピーもありますけど、それとは別に「風の谷のナウシカから13年、天才・宮崎駿の凶暴なまでの情熱が、世界中に吹き荒れる!」というキャッチコピーもあり、そこに化け物級のヒットをした要素が全部詰まっていると僕は思っています。まず1つは「風の谷のナウシカから13年」ということですけど、要するに1997年くらいになってくるとスタジオジブリというブランドや、宮崎監督の作家性がだいたい日本国民に浸透してきてるんですよね。そこでジブリの歴史を振り返りつつ、新作が待機できるという準備が日本人の中でできるようになった。まずこれが大きな下地になっていたということがあって。あともう1つは「凶暴なまでの情熱が」の部分で、『もののけ姫』は今までのジブリの作品と違って首が飛んだり、腕がもげたりと、当時のファミリー向けの優しい癒しの物語を作ってくれるという当時からできていたジブリのパブリックイメージを覆しましたよね。だから「またジブリか」と思う人はいたかもしれないけど「今度のジブリはなんか違うぞ」っていうのが、ジブリファンやアニメを観る人たち以外の観客にも訴求した。あとは「世界」ですよね。この作品でジブリはディズニーと提携して世界配給となりました。やはり鈴木敏夫さんの采配だと思いますけど、ヒットする条件がそろっていたので、当時高校生ながら「これはヒットする、歴史に残るよね」ということは思っていました。

●少年犯罪が頻発した時代に響いた「生きろ。」
杉本:宣伝戦略の見事さというのは今振り返ってもすごいなと僕も思いますね。「生きろ。」というシンプルなキャッチコピーがついていますけど、当時高校生だった私たちには非常に響きました。どうしてこんなに響いたんですかね。

渡邉:世紀末の殺伐とした社会的空気があったからですかね。当時、1997年は『酒鬼薔薇聖斗事件』や『西鉄バスジャック事件』というものが起きて、僕たちは「キレる17歳」、「アダルトチルドレン」と呼ばれていました。そういった社会背景や岡崎京子の漫画のような残虐的なものをプレゼンスしていくサブカルチャーがあった90年代に、あれほどピュアな「生きろ。」というメッセージはすごいなという感じはしました。

杉本:少年犯罪がマスコミをすごくにぎわせた時代でしたよね。『酒鬼薔薇聖斗事件』、『西鉄バスジャック事件』とか、あとシンプルに「人を殺してみたかったから殺しました」という少年がいたんですよ。なんで人の命が大事なのかとか、なんで生きなきゃいけないのかといった、人としてプリミティブなところに疑問が生じていた時代でしたね。そういう世相をとらえた作品として『エヴァンゲリオン』というものが片方にあって、それに対する少し上の世代からのメッセージとして「生きろ。」と言っていたという構造ですね。

渡邉:そうですね。あの空気が今の10代、20代の皆さんにどれくらい伝わるかがなかなか難しいところです。25年くらい前ですからね。

杉本:1997年というのはノストラダムスの大予言をまだ信じている人が結構いて、1999年に本当に世界が終わるんだという考えが心のどこかにありましたよね。そういう時代に「生きろ。」というのは非常に力強いメッセージでしたし、そういう時代をとらえる力というものがプロデューサーの鈴木敏夫さんにあったんだと思います。当時のハリウッド映画は、基本は「善人が悪人を倒して終わるハッピーエンド」という分かりやすい二項対立で描かれた物語が多かったんですね。そんななか『もののけ姫』の結論のなさに僕は惹かれました。人と自然の戦いを描いているわけだけど、ではどうすべきかという結論は提示してくれていない。要するに、人ひとりの頭の中ですぐに結論を出せるような世界ではないということを僕に教えてくれた作品でした。

渡邉:ある意味『もののけ姫』のアシタカと『エヴァ』のシンジって似てますよね。普通の意味でのヒーローや主人公じゃない、というか。宮崎監督自身も言っていましたけど、アシタカって実は何の役にもたっていないんですよ。最初から最後まで右往左往して、八方美人でいろんなところに行っているけど、結局何もできていないキャラなので。でもそれがすごくリアルで、何もできなさで途方に暮れているというのが、10代、20代の若者に共通しているメンタリズムで、時代を問わず共感を生むのかもしれないですね。

杉本:アシタカという主人公は確かに面白くて、非常に正義感もあるし、強いし、かっこいい、普通の映画だったら主人公になれるはずなのになれていない。そんな世界は単純じゃないんだよって言っちゃった作品なんですよね。宮崎監督がそれまでに作っていた、例えば『天空の城ラピュタ』のような娯楽映画としてのわかりやすさに振っていないというかね。

渡邉:時代によって若者が共感する部分は様々だと思いますが、アシタカが仕事を背負わされてしまうシチュエーションは今でも若者が共感できるのではないかと思います。

●「自然最高、人間ダメ」ではないことが重要
杉本:宮崎監督って自然と人間の関係をテーマに作品を作り続けている方で、いわゆるエコロジストと呼ばれることもあるじゃないですか。でもご本人はそう呼ばれることをすごく嫌っているという有名な話もあります。

渡邉:宮崎監督はサービス精神旺盛な方だったので、ある種パフォーマンスのようなところもあったと思うんですけど、『ナウシカ』が公開された頃はC・W・二コルさんと対談したりしていましたね。でも宮崎監督のエコロジー観はもっとラジカルですよね。この世界は人間の世界と自然環境がものすごく複雑に絡まりながら共存しているので、単純にエコロジーと言っても難しいところがあります。その最も自堕落な形が「人間中心的な自然保護」で、それをSDGsに引き付けて言うと「資本主義中心の自然保護」ですよね。まさにマルクス主義哲学者・斎藤幸平さん的な見取り図ですけど、資本主義を発展させるために「お金儲けのためにSDGsやりましょう」とか「コンビニのビニール袋なくしましょう」と言っても、それではなんの解決にもならない。それが今世界中で問題になっているわけですが、人間対自然の対立軸をひっくり返して自然について考えてみる。そういう作品を宮崎監督はずっと描いてきて、それが『もののけ姫』に結実している。

杉本:「自然最高、人間ダメ」とも言っていないところがこの映画の大事なポイントですよね。今は“持続可能な”というのが「資本主義が生き延びるために都合の良い自然だけ守りましょう」となってしまっていますが、宮崎監督が考える自然というのはもっと大きい。例えば、『もののけ姫』に引き付けて言うと、山犬がいると森が切れず、鉄も作れない。資本主義にとって不都合な存在。でも山犬も“自然”なわけです。本来人間と自然の関係って「凶暴に殺し合う側面もあったんだ」ということをもう1回思い出させるためにこういう物語になっているという明解もありますけど。じゃあどうしたらいいのか、ということが今の若い人がつまるところだと思うんですよ。宮崎監督も我々も結局人間で、人間社会の中ではないと生きられないわけですよね。それはこの映画の主人公アシタカも一緒で。だから最後、サンは森で、アシタカはタタラ場で生きようという結論になって別れている。そこに宮崎監督の「人としての考えと自然に対する思い」という複雑な気持ちが出ているなと。自然というのは、資本主義にとって都合の良いものだけを守ればいいというわけではない。そこには人間にとっての不都合な自然もあるし、美しさもある。宮崎監督はそこに惹かれる。アシタカは結局のところ人間の共同体であるタタラ場で生きるというのが限界なんだと思います。この視点って今のエコロジストにはなかなか出てこない視点です。

●『もののけ姫』が描いた新しい時代劇
渡邉:あと、現代の結びつきという面で言うと、この映画の中でタタラ場にハンセン病を思わせる包帯姿の業病の人々が登場しますよね。おそらく日本のアニメで直接的にそういうものを描き切ったというか……ハンセン病をモチーフにした作品というのは、ジブリの作品以外にはなかなかないと思います。あと『もののけ姫』って侍と農民以外の様々なマイノリティも含めた人たちが主要人物になって登場しています。この点も21世紀をある種先取りしていますよね。今観ても新鮮です。

杉本:そうですね。網野善彦さんの中世史観に影響を受けているというのはよく言われるし、ご本人同士も対談されていますけど、日本の中世と言われて我々が想像するのは武家社会なんですよ。武士がいて、侍がいて、下に農民がいて、年貢に苦しんでいるみたいな。そういうイメージでしか語られていなかったけど、実際にはもっと多様な人がたくさんいたと網野さんは言っていて。それに感銘を受けた宮崎監督が、『もののけ姫』では従来の時代劇でほとんど登場してこなかった人々にフォーカスを当てた。それがエボシ御前だったりタタラ場の人たちだったり、アシタカの部族である蝦夷だったりする。

渡邉:だからそれまで描かれてきた日本の時代劇とは、出てくる人の見た目からして全然違いますよね。網野さんは70年代以降の日本史のイメージを刷新した人ですが、網野さんの有名な言葉で「百姓は農民ではない」という言葉があります。網野さんによると百姓というのは元々農民を意味する言葉ではなかったというわけですよ。“百”は“hundred”、“姓”は“職業”という意味だったんですね。つまり、色々な職業、色々なキャラクターをひっくるめて“百姓”と呼んでいた。それが江戸時代になって農民を表す言葉になったと。「日本史はずっと天皇と武士と農民しか注目してこなかったけど、様々な民に注目しましょう」と言ったのが網野さんですよね。それに宮崎監督はすごく影響を受けています。一方で、ある種仮想敵にしているものが黒澤明監督の『七人の侍』ですよね。『七人の侍』は、農民と武士という非常に古典的な時代劇だったのに対し、宮崎監督が作ったものは侍と百姓がほとんど出てこない新しい時代劇だった。

杉本:『七人の侍』はすごい映画ではあるんですけど、宮崎監督さん曰く「日本人の卑屈で、ずるくて、貧しいといった農民観はあの映画に支配されている」と。宮崎監督は、そういう情けない日本人の大衆像を刷新したがっていたんですよね。あと、宮崎監督って活気のある女性を描くのが好きな方ですよね。従来の日本史を辿ってもそういう女性はなかなか出てこなかったと思います。それが網野さんの中世史観によって、活気のある女性もはいっぱいいたんだということに感銘を受けて、だからこそエボシ御前のような面白いキャラクターが生まれたんだろうなと。

●今後のスタジオジブリはどうなるか
ーー改めてジブリが現代のアニメシーンにどれだけ影響を与えている存在なのか教えていただけますか?

杉本:影響外にある作家とかスタジオ、作品を挙げる方が難しい気がします。スタジオジブリというか高畑(勲)さんと宮崎さんが所属されていた東映動画が日本アニメの制作システムを作ってそれを実践してきた。宮崎監督が1番上にいて、全てがそこから派生されているようなイメージです。あと日本のアニメの背景を作るうえでジブリは明らかに基準点になっていると思います。

渡邉:今のアニメ業界で宮崎監督の影響を受けていないものはないですし、あとは宮崎監督の裏に高畑勲というラスボスがいるということですよね。宮崎アニメが興行的にもすごく目立つし、ジブリ=宮崎駿とはなりますけど、その裏にいるのは高畑勲というか。高畑勲は日本のアニメの作り方、システムをレイアウトシステムというものも含めて作っちゃった人で、高畑に徹底的な影響を受けたのが宮崎監督なので。手塚治虫みたいなものですよね。手塚治虫を1冊も読んだことないけど手塚治虫に影響を受けていない漫画家はいないみたいな。DNAとして刷り込まれているクリエイターというか存在なのかなと思います。

ーー宮崎監督は『風立ちぬ』で一時引退を発表して(後に『君たちはどう生きるか』を制作中であることを発表)、それ以降長編アニメでは、宮崎監督の作品は公開されてません。現在のスタジオジブリについてはどう感じていらっしゃいますか?

渡邉:『風立ちぬ』以降の長編アニメでは『思い出のマーニー』『レッドタートル ある島の物語』『アーヤと魔女』が公開されています。ジブリ的にも戦略なのか、少し地味になりましたよね。

杉本:『思い出のマーニー』はすごく良い映画でしたけど、従来のスタジオジブリに求められていたものではなかったかもしれません。だからあの作品はジブリブランドとしてではなく、別のスタジオから出てきていたらすごく絶賛されていたんだなと思います。『アーヤと魔女』に関しても宮崎吾朗監督という人がアニメ作家としていかに宮崎駿監督との距離をとるかという戦略の中で、3DCGという選択肢をとったのではないかと思います。ジブリブランドとはいえ、基本的には今までのジブリ作品とは別のものとして観た方が、僕はすっきり観られる気はしますね。90年代のジブリのイメージで観ると若干違うなと思うようにはなるかな。

渡邉:宮崎監督は再びジブリでアニメを制作してはいますが、『風立ちぬ』でジブリの歴史は1回終わったと考えていいと思います。

杉本:そうですね。元々スタジオジブリがなぜ結成されたかというと『風の谷のナウシカ』という作品がヒットしたことで「宮崎駿という才能をもっと活かして継続的に作品を作れる体制を作っていきましょう」ということだったので。ある意味、宮崎監督ありきだったんですよね。なので宮崎監督が引退したらそもそも歴史的な役目としては一旦終わりというところはありますね。

渡邉:杉本さんがおっしゃったように「ジブリでもジブリにあらず」というか、また別のものとして続いているという感じでしょうか。

杉本:とはいえ宮崎監督の直系の弟子である高坂希太郎さんなどが活躍されていますし、僕が思うに「ジブリ」というブランドがもしここで終わったとしても、あらゆる日本のアニメに影響力があるので、ジブリ的なものはこれからも観られ続けていくと思います。(取材=北村奈都樹)

杉本穂高

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