「精神病院に入れてやる」養母にいじめられていた10代少女が“性的虐待疑惑”ウディ・アレンと出会うまで

「精神病院に入れてやる」養母にいじめられていた10代少女が“性的虐待疑惑”ウディ・アレンと出会うまで

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/06/10

かつては「ウディの映画に出演すればオスカーを獲れる」とまで言われ、NYを象徴する文化人として名声をほしいままにしたウディ・アレン。しかし彼は、世界中に広がった#MeToo運動により1992年に告発された性的虐待疑惑(証拠不十分で不起訴)が再び問題とされ、ハリウッドから消えつつある。

【写真】この記事の写真を見る(6枚)

ウディの元交際相手であるミア・ファローの養女スンニはウディの現在の妻である。スンニとは一体どんな人物だったのかーー。ミアが養女スンニを引き取り、ウディとスンニが出会うまでをL.A.在住映画ジャーナリスト・猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)から一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/#2を読む)

スンニとミアの出会い

スンニという名前は、生まれた時に与えられたものではない。迷子として保護された時、自分の名前を言わなかったことから、最初に連れて行かれた児童養護施設でつけられたものだ。ミアとアンドレが養子縁組をした際の書類には、誕生日として1970年10月8日と記載されているが、それも適当に選ばれた日付だ。自分の誕生日はおろか、年齢すら、この幼い少女は知らなかったのだ。

No image

©iStock.com

それでも、漠然とした記憶はあった。2018年の「ニューヨーク」誌のインタビューで、スンニは、家は貧乏で、家具もなくがらんとしており、母だけがいて、父はいなかったと述べている。庭はコンクリートのような感じで、木や植物もなく、殺伐としていた。そんな狭い空間で毎日を過ごすうちに、スンニは、「外はもっと素敵なのではないか、外にはきっと何かがある」と思うようになった。そうやって家出をしたスンニは、あてもなくソウルの街をさまよい歩いた。食べる物もなく、ゴミ箱をあさったり、見つけた石鹸を食べようとしては吐き出したこともある。見知らぬ女性に声をかけられたのは、パン屋を外から覗き込んでいる時だ。その女性は「お腹が空いているの?」と聞き、食べ物をくれたが、「名前は何、どこから来たの」と質問しても一切答えないため、女性は警察を呼び、警察はスンニを児童養護施設に連れて行った。

ミアとアンドレがスンニの写真を見せられたのは、その直後だ。その白黒写真の女の子は、丸刈りで、唇が荒れていて、楽しそうにも、悲しそうにも見えなかった。ミアとアンドレは、韓国だけでなく、アメリカやイギリスの団体ともやりとりをして新たな養子を探していたのだが、この写真の女の子に、なぜか心を惹かれた。そして、自分たちが引き取るのはこの子だと決めたのだ。

ごく普通のことの多くを知らないスンニ

だが、この子を自分たちの娘として迎え入れるには、外国からの養子縁組についてのアメリカの法改正を待たねばならなかった。その間、将来のわが娘をできるだけ良い環境に置いてあげたいと、ミアは、スンニをソウルで一番良いと聞いた施設に移すよう手配した。幼いスンニには、大人の間で、海を超えてそんなやりとりがあったことなど知るはずもなかった。何の不満もないのに、なぜ大人たちが急に自分を連れ出そうとするのか理解できず、スンニは机の下に隠れて必死で抵抗した。今いるところよりも良いとミアが聞いた次の場所は、修道女らが子供たちの世話をする施設。同室の子供の誰かがおねしょをすると、全員が引っ叩かれたりする厳しさはあったものの、スンニはここでもそれなりに快適な毎日を過ごした。

それから1年以上が経ったある日、突然、ミアが現れた。初めて会う、その白人の女性は、とても嬉しそうな表情で、両手を広げて近づき、自分を強く抱きしめた。そのドラマチックな出会いが済むと、ミアはスンニの手を繋ぎ、修道女とスンニの友達を後にした。わが家として過ごしたその施設を去っていく時、スンニは一度も後ろを振り返らなかった。

しかし問題は、すぐに起こった。その夜、2人は、ソウル市内のホテルに泊まったのだが、ここでミアは、スンニがごく普通のことの多くを知らないというショッキングな事実を見せつけられたのだ。たとえば、回転扉を見ると怖がり、エレベーターに乗ると吐いた。卵が出てくると、殻をむかずにそのまま口に入れてしまう。プレゼントを渡しても、じっと箱を見つめているばかりだった。中に何かが入っていると知らないのだと気づき、ミアが包装紙を開けてあげようとすると、機嫌を悪くして泣いた。なだめながら、ゆっくりとセロテープをはがし、中にあった女の子用のパジャマを出すと笑顔になったが、それをスンニの体の前にあてがい、鏡で見せると、パニックになって叫びながら激しく鏡を蹴った。その勢いで、2人ともバスタブの中に落ちそうになってしまった。

ミアとスンニの困難

お風呂にどう入ればいいのかも、スンニは知らなかった。施設では大風呂にみんなで一緒に入っていたが、ホテルのお風呂は小さくて、勝手がわからないのだ。その頃にはさすがにミアも苛立ち、湯船におもちゃを入れながらゆっくり教えることもせず、怖がるスンニをお湯の中にぶち込んだ。ベッドで寝ることにも慣れておらず、スンニはミアのベッドの横の床で眠った。

ロンドン郊外サリーのプレヴィン家に到着してからも、ミアとスンニの困難は続いた。それが輪ゴムであれ、ガムの包み紙であれ、何か新しい物を見つけると、スンニはパンツの中に隠すのだ。それまで赤ちゃんしか養子に取ったことがなかったミアにとって、7歳になるまでまったく違う環境で育った子は、意外なことだらけで、思っていたよりずっと大変だった。英語が話せないのも、さらに苦労を多くした。覚悟していたことだが、想像していたより、覚えがずっと遅かったのだ。ブロックを使ってアルファベットを教えている時、スンニがなかなか理解しないのに痺れを切らして、ブロックを投げつけたこともあった。スンニにとっても、そんな毎日は苦痛だった。見渡す限りラッパスイセンが咲き、犬、猫、オウム、イタチなどたくさんのペットがいる、一見、絵本の世界のような、藁わら葺ぶき屋根のその家で、スンニは過去に経験したことのない恐怖と孤独を感じていた。庭の向こうに見える屋根を眺め、スンニはしばしば「あの家のどれかには、私を愛してくれる人がいるのかしら」と、虚しく思いを馳せた。

この頃、ミアとアンドレ・プレヴィン(編集部注:ミアがウディと付き合う前の1970年〜1979年まで結婚していた音楽家)の関係が悪化していたことも、雰囲気をさらに悪くした。加えて、子供たちの中にはヒエラルキーがあり、ミアはそれを隠そうともしなかった。ミアが好きなのは頭の良い子とルックスの良い子で、頭が悪いとレッテルを貼られたスンニは、対象外だったのだ。ミアの他の子供たちや、一家を長く知っているピアノの先生は、ミアは実子も養子も平等に接していたと証言しているが、スンニの次に韓国から養子としてやって来たモーゼスは、贔屓(ひいき)はあったし、中でもスンニはとりわけミアにいじめられていたと述べている。スンニは独立心が旺盛で、恐れずミアに立ち向かったからだ。

「精神病院に入れてやる」

ミアがうさぎの置物や電話の受話器をスンニに投げつけたのも、モーゼスは目撃している。スンニがきょうだいと遊んでいて、ラークがちょっとしたケガをしてしまった時も、ミアはスンニに「あなたは参加しちゃダメだと言ったのに」と、スンニのせいだというように責め、「あなたは本当に言うことを聞かない。精神病院に入れてやる」と言い放った。そう聞いてスンニは怯えたが、幸い、それはミアの本気の発言ではなかった。

引き取られてすぐ、スンニは「ナイル殺人事件」(1978)のロケ地エジプトに、その後には「ハリケーン」(1979)のロケ地ボラボラに連れて行かれ、学校に行くことができず、ベビーシッターに勉強を見てもらうことになった。アンドレと離婚し、マンハッタンのウエストサイドのアパートに戻ると、ミアはスンニを実際の年齢よりも2つ下の3年生として小学校に入れた。その頃から、スンニはラークと一緒に、家事の多くをやらされるようになった。一家の食料品の買い出しは2人の、弟や妹が学校に行くのを見送り、障がいを持つモーゼスにマッサージをやってあげるのはスンニの役目。ウディの妹でプロデューサーでもあるレッティ・アロンソンは、ミアの家でアジア系の少女たちが甲斐甲斐しく動き回っているのを見て、メイドだと誤解したほどだ。スンニが12歳になると、ミアがウディの家に泊まる時にはベビーシッターは雇われず、スンニとラークにその役割が押し付けられた。そのことを絶対にアンドレに言わないようにと口止めもされている。コネチカットの家では、ラークが料理をし、皿洗いと掃除はスンニとラークが2人でやった。ウディが来る日、ミアのシーツにアイロンをかけるのも、スンニだった。初潮を迎えた時にもミアは生理用品の使い方を教えてくれず、最初のブラジャーが必要になった時に買ってくれたのはベビーシッターだった。

ウディとスンニの関係

ミアの家の中でそんなひどいことが起こっているなど、ウディはまるで知らなかった。ミアは、「実子と養子が一緒に楽しく生きる幸せな家庭」のイメージを完璧に作り上げていたからだ。それに、そもそもウディは、ミアの子供たちに無関心だった。スンニは父であるアンドレとあまり時間を過ごすことなくニューヨークに来てしまったため、ミアは、ウディが家に出入りするようになった頃、ウディにスンニの父親のような存在になってくれないかと期待し、「アイスクリームでも食べに連れて行ってあげて」と何度も頼んだのだが、その都度断られている。

スンニはと言えば、ウディに興味がないどころか、むしろ嫌いだった。ミアのような意地悪な人間と付き合うような人だから、同類なのだろうと思っていたのだ。それで、ウディが来ると、スンニは今にもナイフを突きつけそうな態度を見せた。スンニの態度が少しずつ変わっていくのは、15歳になった頃だ。きっかけは、学校でサッカーをしていて、足首を捻挫したこと。

痛いのを我慢しながらなんとか帰宅してきたスンニを見て、たまたまミアの家にいたウディは心配し、医者に行くよう勧め、翌朝にはスンニを学校まで送っていってくれたのだ。「自分はいつも嫌な態度しか取らないのに、こんなに優しくしてくれるなんて」と反省したスンニは、それからはウディが家に来ると部屋から出てくるようになった。ウディがテレビでバスケットボールや野球の試合を見ていると、隣に座って、ルールを教えてもらったりするスンニを、きょうだいが冷やかしたこともある。ウディもスンニに打ち解け、家に来ると必ずスンニの部屋に立ち寄り、ちゃんと宿題をやっているか、学校はどうだなどと気にかけるようになった。スンニの16歳の誕生日パーティにも、文句も言わずに出席した。ミアの子供の誕生日を気にかけるなどそれまでなかったことだ。また、ある時、ウディがスンニの素脚をきれいだと褒めてからは、スンニは冬でも家の中でタイツをはかなくなった。ミアが「寒いんじゃないの?」と言っても、知らん顔だった。

ポラロイド写真に“性器と女の顔”が…疑惑のウディ・アレンはなぜ恋人の養女と性的関係になったのかへ続く

(猿渡 由紀/週刊文春出版部)

猿渡 由紀

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加