これぞ悪党の美学?『徒然草』が伝える鎌倉時代の刈田狼藉に、吉田兼好も苦笑い

これぞ悪党の美学?『徒然草』が伝える鎌倉時代の刈田狼藉に、吉田兼好も苦笑い

  • Japaaan
  • 更新日:2021/04/07
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「やって良いことと、悪いことくらい分かるだろう!」

そう咎める人がよくいますが、無邪気な子供ならばいざ知らず、いい歳をした大人であれば、自分の行為が悪いことくらい「百も承知」でやっていることがほとんどです。

しかし、悪いことをすると言うのは多少なりとも良心が痛みますから、ひとたびやる以上は相応の覚悟を決めてかかるもの。

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『徒然草』の筆者・吉田兼好。Wikipediaより。

そんな心情は昔の人も同じだったようで、今回は鎌倉時代の随筆『徒然草(つれづれぐさ)』から、とある悪党たちのエピソードを紹介したいと思います。

悪党の美学?「僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」

人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさえ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。

理、いとをかしかりけり。

※『徒然草』第209段より。

【意訳】
土地(田の所有権)争いの訴訟で負けた男が、その腹いせに「ただ渡してやるのも癪だから、稲を刈り取ってしまえ」と手下に命じた。
手下たちは鎌を手に手に現地へ向かうが、その道中に実っていた稲を手当たりしだい刈り取り始めた。「おい、ここは訴訟とは無関係だぞ。何てことをするんだ」
田の持ち主が抗議すると、手下らは反論した。
「どこであろうと、他人の田んぼを勝手に刈り取ってよい理屈などあるものか。そもそも無茶苦茶な命令なんだから、俺たちも滅茶苦茶に従うまでさ」
……まったく、じつに筋の通った屁理屈だこと。

「それっ、どんどん刈っちまえ!」稲を刈り取る悪党たち(イメージ)。

僻事(ひがごと)とは、僻みを動機におこなうことで、少なくとも善行ではない悪事、ここでは「八つ当たりで他人の田んぼを勝手に刈り取る」行為を指します。

刈田狼藉(かりたろうぜき)と呼ばれたこの行為は、今回の件以外にも知行権(ちぎょうけん。領有権)の主張や食糧の収奪、あるいは単なる嫌がらせなどの目的で多く見られ、世が乱れると兵糧の現地調達として盛んに行われました。

(※)ただし、必ずしも犯罪とされた訳ではなく、実施者の主張が認められれば正当な収穫行為とされましたが、今回の場合は「訴訟に負けた腹いせ」という前提があるため、僻事と断定されています。

また、罷(まか)るとは「理不尽がまかり通る」「まかり越してござる」などと言うように、本来ありえない、あるべきでないことがあってしまうことを指しますから、「僻事せんとて罷る者」とは「百も承知で悪事をはたらこうとする者」となります。

「無茶苦茶な命令だから、受ける態度も滅茶苦茶であるべき」

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無法にもまた法あり(イメージ)。

筋の通らないことをするなら中途半端な分別は捨てて、とことん筋を違えていこうとする辺りに、ある種の美学?を感じてしまうのは、きっと筆者だけではないはずです。

もちろんやっちゃダメですし、真似るつもりもありませんが、こういう極端な人物・事例を見ると、善悪の判断基準やバランス感覚を養う反面教師として、非常に興味深く感じられます。

※参考文献:
島内裕子 訳『徒然草』ちくま学芸文庫、2010年4月
浅古弘ら編『日本法制史』青林書院、2010年8月
清水義範『身もフタもない日本文学史』PHP新書、2009年7月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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