武田真治、調子に乗っていた“CMキング”時代と『めちゃイケ』への深い感謝

武田真治、調子に乗っていた“CMキング”時代と『めちゃイケ』への深い感謝

  • 日刊SPA!
  • 更新日:2022/01/15

先ごろ2冊目の著書となる『上には上がいる。中には自分しかいない。』(幻冬舎)を上梓した、俳優・ミュージシャンの武田真治さん。17歳でデビューした直後から脚光を浴び、ドラマやCMなどで華々しく活躍するも、20代半ばで体調を崩してしまい、大幅に仕事をセーブしなければならなかった。本書には、休養当時のエピソードも含め、武田さんのこれまでの歩み、そして、これまであまり語られることのなかった低迷期の感情が丁寧に綴られている。

先の見通しが立たない中、葛藤する武田さんを支えたのが「言葉」と「筋トレ」。心に浮かんだ言葉を書き出しては壁に貼り、自らを鼓舞するようにして筋トレを続けたという。書中には、そんな武田さんが10年以上に渡って書き続けた膨大な「言葉」が数多く盛り込まれている。

「夜の空想家ではなく、昼の実行家でいる。」「人を挑発しない、人の挑発に乗らない。」「洗面所の鏡なんかで自分をなにか結論づけない。」「傷つくときには堂々と!!」など、率直な筆致で書かれた「言葉」の数々。ときに青臭く、ときに痛々しく、ときに奔放で、ときに傲慢さすら放つそれらは、読む者の心を一瞬のうちに掴んで離さないような、得も言われぬ強度を持っている。

現在、「みんなで筋肉体操」(NHK)に出演するなど、鍛え上げられた肉体美でも注目されている武田さん。再生を果たしたいま、彼は何を思うのか。

◆食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む

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撮影/前 康輔

──前著『優雅な肉体が最高の復讐である。』が刊行された際にも「日刊SPA!」でインタビューさせていただきました。あれから7年経っても引き締まった身体は変わりませんが、いまでもシメのラーメンのスープは最後の一滴まで飲み干しているのですか?

武田:はい、相変わらずですね。基本的には食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでいます。ついこの前もカレーうどんを食べに行って、残ったスープに白飯を入れてあっさり完食しましたから。お米は別腹、スルスルと行っていきましたね(笑)。

ただ、いまは妻(2020年7月、モデルで歯科衛生士でもある静まなみさんと結婚)が食に関してもいろいろ気をつかってくれているので、独身時代と比べたら健康的なものをクチにしているとは思います。今朝はステーキを食べてきました。

──朝からガッツリしたものを食べても平気なんですね。

武田:まったく問題ありません。むしろ好んで食べています。

◆中途半端な成功物語なんて意味がない

──新著『上には上がいる。中には自分しかいない。』についてうかがいたいのですが、刊行の経緯は?

武田:前回の本(『優雅な肉体が~』)が版を6度重ねまして、おかげさまでロングセラーになったんですね。ありがたいことに、いまでも新たに手に取ってくれる読者の方がいる。

そうしたこともあって版元(幻冬舎)さんから「次の本もぜひ」というお話を折に触れていただいていたのですが、2020年は僕がデビューしてから30年という節目でもあり、タイミング的にもそろそろありなのかなと。いわば、ご褒美として刊行していただいた本だと捉えています。

──今回の本は武田さんのこれまでの歩みを振り返りつつ、ご自身の人生観や仕事観などを綴ったものですが、きらびやかな芸能生活といった要素はほぼ皆無で、ご自身が葛藤し、悩み抜いていた時期のことについて紙幅が割かれています。

武田:俳優やミュージシャンを生業としているなら、もう少しカッコよく自分の人生を語ってもよかったのかもしれません。でも「そんなの誰が読みたいんだ?」と思ってしまって。

僕の中途半端な成功物語なんて、語ったところで意味がない。興味を持ってもらえるとしたら失敗談だろうと。まあ単純に、ようやく失敗を語れるくれるくらい成長できた、ということなのかもしれません。この年齢になって、ようやく大人になれたというか。

◆過去に書いたメモの「言葉」にフォーカス

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武田さんが書き続けてきたというメモの数々(撮影/菊岡俊子)

──本書は、武田さんが過去に書き残した膨大なメモから、厳選された言葉の数々が並べられているのが特徴です。自分を奮い立たせるため、頭に浮かんだ言葉をサッと書きつけては壁に貼っていたとか。本のタイトルも、このメモの中から採ったんですよね?

武田:そうです。このメモを僕が締め切りギリギリになって引っ張り出してきてしまったせいで、刊行が遅くなってしまったとも言えます……。

実は2020年の段階で、本書の半分以上(書き下ろしエッセイや読者から募った質問に対する回答をまとめた「PART 2」の部分)はほぼ仕上がっていたんです。ただ、それだと単なる回顧録にしかならない気がして。芸能人として僕のことを好きでいてくれる人だけが手に取り、仮想現実に浸る……みたいな本でいいのかなと。

塩って、誰にとってもしょっぱいじゃないですか。胡椒も誰が食べてもピリッとする。そんなふうに、誰が手にしても何かしら心に引っかかって、読んでくれた方の行動や考え方にもしかしたら影響を与えられるかもしれないもの、参考にしてもらえるかもしれないものがつくりたいと考えたんです。

そこで、僕が過去に書いたメモから抽出した「言葉」にフォーカスすることを思い付きました。この方向での制作途中、純粋に言葉の強度だけで勝負できる本になるのではないかと勘違いして、僕の写真を一切載せないなんて案も出たくらいで(笑)。

──前著では武田さんの息を呑むほど鋭利な肉体が写真で示されていたのに、今回の本はビジュアル要素が妙にあっさりしているなと思っていたんです。自然な感じのポートレートが数枚載っているだけなので。

武田:最終的には、僕の顔が見えることで「武田ができるなら、自分も筋トレやってみようかな」「武田のこと、少しは信じてみるか」と思ってくれる人もいるだろうということで、顔が見えるこういう形になりました。

今回の本では自分の低迷期というか、心身ともに弱り切っていたドン底のころの自分を正直にさらけ出したいと考えていたので、肉体を披露して威圧感を与えるようなことはしたくないとも思っていました。

◆仕事が次々とやってくる状況に飲み込まれ、勘違い

──「低迷期」というお話が出ましたが、ドラマやCMに引っ張りだこだった人気絶頂期の20代半ばごろ、顎関節症を患うなど体調を崩された話が本に出てきます。仕事も減らして、引きこもりがちになり、長い長いトンネルの中で悶々と過ごすような状況に陥ったとか。

武田:ええ。17歳で雑誌のコンテスト(第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト)で優勝して、北海道から上京。ありがたいことに2年ほどで仕事にも恵まれるようになり、大した苦労もないまま、ハタチそこそこで世間的に顔と名前を覚えてもらえるようになりました。

振り返ってみれば、当時の僕は人の話をまったく聞いていなかったと思います。若くして周囲からチヤホヤされて、休む間もないくらい仕事が次々とやってくる状況にあっさり飲み込まれ、勘違いをしました。気にかけてくれた誰かが何かを言ってくれても、「あー、はいはい」「まぁ、そういう話はいいから」といった態度でしたからね。

そういう態度が1~2年も続けば、周囲も「ダメだ、こいつ」「もう知るか」となって、何も言ってくれなくなる。そうして気が付けば、誰も怒ってくれないし、褒めてもくれない状況になっていたんです。

◆ありがたさに気づけなかった当時の自分

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撮影/前 康輔

──わかりやすく調子に乗ってしまい、孤立していった感じでしょうか。

武田:そうですね。あんなふうに調子に乗れる状況って、スゴイことだったとも思います。自分が時代の波長にビタッとハマって、どんどん前に進んでいるような感覚というか。時代の最先端の波に乗るなんて、とても貴重な経験でしたね。

毎クールのようにドラマにレギュラー出演して、映画や舞台にも引き合いがあり、CMキングにもなって……という、本当に恵まれた状況でした。もっとも、当時の僕はそのありがたさにあまり気づいていませんでしたが。

結局、周囲の人々が配慮してくれて、好きなようにやらせてくれていただけなんですよね。僕はそれにほとんど感謝もせず、ただ調子に乗っていた。そのまま行き着くところまで行くと、本当に人の声って聞こえなくなってしまうんですよ。

『めちゃイケ』(1996年10月~2018年3月までフジテレビ系で放送されていたお笑いバラエティ番組『めちゃ2イケてるッ!』。武田氏は初回から番組終了までレギュラーを務める)のメンバーが「おいおい、また目がつり上がってるぞ!」と頭をひっぱたいてくれなかったら、さらに僕は勘違いしていたと思いますね。

◆療養中も唯一、継続した『めちゃイケ』出演

──『めちゃイケ』共演者の方々って、武田さんを特別扱いしていない雰囲気がありました。「イケメンだろうが、売れっ子俳優だろうが関係ない」みたいな。

武田:それはもう、毎回のようにひっぱたかれていましたね……。回を重ねるごとにイジられ要員、ひっぱたかれ要員になっていきましたから。

──過労から顎関節症を患い、すべての仕事をお休みすることになった際も、『めちゃイケ』だけは出演されていました。

武田:とにかく身体もメンタルも最悪の状況だったので、会社が用意してくれるスケジュールがこなせなくなってしまったんです。でも、病院に通うにしても、家賃を納めるにしてもお金はかかるので、生活のために『めちゃイケ』の仕事だけは続けさせてもらいました。

キャストもスタッフも知った顔ですし、アットホームな現場だったので、甘えさせてもらった感じです。一時期は地元の北海道に戻って療養しながら、『めちゃイケ』の仕事のときだけ上京していたこともありました。

◆全部が中途半端だった初期の芸能活動

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撮影/前 康輔

──そして、療養期間中に始められたのが「筋トレ」、そして今回の本で紹介されている「メモ書き」を部屋の壁一面に貼り付けることだった。

武田:はい。当時“芸能界の大海原”まで来てしまったような感覚があったんです。もう後がないというか、自力で泳げるようにならなきゃ、このままでは波にのまれて海の底に沈んでいってしまうというか。

そこで「自分はちゃんと苦労しなければ」「一度しっかり遠回りをしてでも、何かを形にする経験を積もう」と心に決めて始めたのが、筋トレでした。自分の努力や汗を、ちゃんと身体に刻み込もうと思ったんです。そして、その過程で自分の考えたこと、感じたことを書き出していくことも始めました。

──自分を戒めたり、鼓舞したりするための言葉を忘れないようにしよう、心に刻み込もうという感覚でしょうか。

武田:そうですね。そうでもしないと、すぐに自分がブレてしまう気がして。僕の初期の芸能活動って、全部が中途半端だったと思う。サックスを持って上京してきたものの「自分は絶対ミュージシャンになる!」と覚悟を決めてきたわけでもなく、ドラマのチャンスが巡って来たときも「役者として生きていくのだ!」と強い決意を抱いたわけでもなく、結局は与えられた仕事をこなしていただけというか。

それで調子に乗って、人の話も聞かなくなり、果ては心身のバランスを崩して仕事を休むことになってしまった。

◆「夢」も叶ってしまえば「仕事」になる

──ボロボロになって立ち止まってみたら「結局、自分は何者にもなっていなかった」という事実に気づいてしまった、と。

武田:はい。自分としては「燃え尽き症候群」みたいな捉え方がいちばんしっくりくるかなと思っています。上京する際、せいぜい23~24歳あたりまでの夢しか描いていなかったんですよ。「こういう形でデビューして、こういう演技をして、こういう作品に出て……」なんてことをフワフワと夢想し、幸運にもそれらのほとんどがスッと叶ってしまった。

ただ、そこから先の人生設計がまったく描けていなかった。「あれ? これからどうすればいいんだろう」と。それで、急に力が入らなくなるというか、燃え尽きるような感覚があった。

要するに、自分の中に確たる覚悟がなかったんだと思います。僕はラッキーなことに“夢を叶える若者”の代表には一時期なれていたかもしれません。ただ、そこから地に足を付けて、現実的な生業として継続していく覚悟がなかった。

「夢」も叶ってしまえば「仕事」なんですよ。いまにして思えば、そうしたことをきちんと消化できていなかったから、バランスを崩したのでしょうね。

武田真治(タケダ・シンジ)

1972 年、北海道生まれ。俳優、ミュージシャン。89年、第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを獲得。翌年、テレビドラマで俳優デビュー。92 年、ドラマ『NIGHT HEAD』で注目を浴び、『七人のおたく』で映画に初出演。95年には蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』で主演を務める。99年公開の映画『御法度』では日本アカデミー賞優秀助演男優賞とブルーリボン賞最優秀助演男優賞を受賞。演劇やミュージカルでも活躍する一方、近年は『みんなで筋肉体操』(NHK)などで鍛え抜かれた肉体にも注目が集まる。また、サックスプレイヤーとしてさまざまなミュージシャンとも共演。著書に『優雅な肉体が最高の復讐である。』(幻冬舎)がある

<取材・文/漆原直行>

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