ファッションへの愛を込めて描く――流行の本質を掴みだす“画伯” 綿谷 寛◉ファッションイラストレーター

ファッションへの愛を込めて描く――流行の本質を掴みだす“画伯” 綿谷 寛◉ファッションイラストレーター

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  • 更新日:2019/03/26
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◉綿谷 寛(わたたに ひろし):ファッションイラストレーター
1957年、東京都生まれ。小学生の頃からファッションイラストを描きはじめる。79年、セツ・モードセミナー在学中に雑誌「ポパイ」でイラストデビュー。以来、男性ファッション誌を中心に活躍、多数の連載を抱える。

2018年、『STYLE』(小学館)という1冊の本が出版された。表紙は、青い肘掛け椅子に足を組んだ外国人男性のイラスト。カーキ色のチノパンに白地に青のストライプシャツを合わせ、赤系のネクタイに毛糸のベスト。さりげなく上げた左手にはトリコロールカラーのベルトの腕時計。靴は白と紺のサドル。思わず「おおーっ、カッコいい」と呟く。本の副題には「男のファッションはボクが描いてきた」とある。ボクとは綿谷寛。79年にファッションイラストレーターとしてデビューして40年目、還暦を迎えて初めて出版された作品集である。

どの年代であっても男性ファッション誌を手に取ったことのある人は、細部まで綿密に描写された綿谷のイラストをきっと目にしているはずだ。ニックネームは「画伯」。業界の人も、友人たちも、みんなが敬愛を込めて綿谷をそう呼ぶ。

綿谷の仕事場兼住まいは、都心をちょっとだけ離れた閑静な住宅地にある。愛犬と共に現れた綿谷の装いは、やはりスタイリッシュに決まっている。どのシーンにもぴったりはまったコーディネートをするには、どれだけの服や靴や小物が必要なのだろうか。

「僕はファッション業界の人間じゃないから、服の数はおそらく一般のお洒落好きな人より少ないんじゃないかな。イメージを膨らませて、何をどう合わせて色はどうしようと考えるのが好きで、絵を描いて満足しちゃうところがあります」

あれやこれやと数ばかり増えるのは、失敗してはまたやみくもに買い足す結果なのかもしれない。つまり無駄が多い。ピシッと焦点が定まると、TPOに合わせた本当にいいものが的確に無駄なく揃うということか。

「僕自身は10代の頃からトラディショナル。コンサバティブでベーシックなものが好きなんです。いろいろな仕事の依頼がありますから、流行は常に意識して注目はしています。でも、自分のお洒落は流行に合わせて総取り換えではなく、基本にワンアイテムだけ今の流行りを取り入れるって感じですね」

ファッションに目覚める

幼稚園の頃から絵を描くことが好きだった綿谷がファッションに興味を持ったのは、小学2、3年のとき。ファッションイラストレーターを目指そうと明確に決めたのは中学3年だったという。

「それまではマンガ家になりたいと思ってました。『マンガ家入門』という本を買ってもらって、一生懸命描いていました。『少年サンデー』とか『少年マガジン』とかの懸賞に応募したり、マンガ家の先生のところに作品を持って行ったり。でも、佳作どまりでしたね。ストーリーが弱かったのかなあ。絵は得意だったんだけど」

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『マンガ家入門』でマンガの勉強をひとりで始めた少年時代、綿谷の将来を決めるもうひとつの出会いがあった。10歳年上の兄が買ってくる男性ファッション誌「メンズクラブ」だった。

57年生まれの綿谷が初めて兄の「メンズクラブ」を盗み見した頃は、60年代半ば。世の中はアイビーファッションのピーク。日本が高度経済成長期に入り、少しずつ豊かになってお洒落を楽しむ余裕が出てきていた。

とはいえ、既製服も今のように充実しているわけではなく、綿谷が育った東京の板橋はファッションの先端を行くエリアではない。どちらかといえば生活の匂いに溢れた下町。まして男の子がお洒落をすると、男のくせにと怒られたり不良と言われたりした時代だ。

「父は左官の仕事をしていて、家は畳に障子。夏はランニングに、古くなった父の服を切って作った半ズボン。Tシャツもなかったしね。その頃、メンクラ(「メンズクラブ」)でマドラスチェックの半袖シャツとリーバイスのデニムの長ズボンにバスケットシューズを履いているアメリカの子供の写真を見たんですよね。同じ年頃の子供なのにって、けっこうなカルチャーショックでした」

同時に、アイビーファッションを取り入れた穂積和夫のイラストに強い感銘を受けたという。挿絵画家がイラストレーターと呼ばれるようになり、職業として脚光を浴び始めていた。穂積のイラストに憧れながら、現実には着たくても着られないものを絵で描いて遊んで楽しんでいたという。

「女の子が着せ替えで遊ぶようなものでね。妄想ですよ」

だが、アイテムが揃って単に着せ替えて遊ぶのとは訳が違う。何が着たいのか。どんな時にどう着たいのか。頭の中で想像するのならイメージで十分だが、絵に描くとなると細部まで把握していないと描けない。

「テレビや映画を見ても、細かいところを見ちゃう。シャツの襟のロールがどうなっているかとか、袖口の違いとか、目を皿のようにして見てました」

ビデオがまだ普及していないから、全身全霊を傾けて目に焼き付ける。絵とファッションが結びついたことで、少年の夢はマンガ家からファッションイラストレーターへと変わっていった。

高校を卒業したら美大に進んで勉強しようと将来の道を定めた綿谷は、その直後に自分にはその道が閉ざされていることを知った。

「僕は生まれつき色の識別にちょっと難があったんです。でも、そのことで美大の受験資格がないということは知らなかった。就職するにも、アパレル、デザイン、広告関係は不可だった。美大もダメ、就職もダメ。目の前が真っ暗になりましたね」

努力してもどうにもならないことで、道が閉ざされる。絶望的な気持ちから救ってくれたのは、綿谷をファッションイラストレーターへと導いた「メンズクラブ」と穂積和夫だった。増刊号の座談会の記事で、穂積がセツ・モードセミナーで学んだという話をしているのを読み、そこは誰でも入学することができる美術学校だと知った。美大でなくても学べる。就職が無理なら、ひとりでフリーランスの道を進めばいい。

「どこを受験するかとか迷わなくていい。受験勉強もしなくていい。選択肢がない分、絵を描くという一点に集中できました」

時代を超えて描き続ける

強い思いと力だけを頼りに、たったひとりで道を切り拓いていく。表門が閉まっているなら、窓からでも入り込んで勝負を賭ける。セツ・モードセミナーを卒業した綿谷が、そんな背水の陣で作品を持って売り込みに行ったのが、創刊間もなかった「ポパイ」である。最初に出会い、やがて多くの仕事をすることになる「メンズクラブ」ではなかった。

「『メンズクラブ』は子供の頃からずっと憧れていたのと、すごく絵がうまい人が多いこともあって、何か気が引けちゃって。誕生したばかりの『ポパイ』なら使ってくれるかなと思ったんです」

持って行った作品は、当時流行っていた映画「アニー・ホール」のウディ・アレン、ダイアン・キートンなどの似顔絵や、たくさんのワークシューズを1枚の絵にまとめたもの。ワークシューズは、アメ横に通ってじっと眺め、いじくりまわして目に焼き付けたそうだ。

そして79年、「ポパイ」でデビュー。以来40年以上、フリーランスとして第一線で活躍し続けている。途切れることなく綿谷の絵が求められたということは、綿谷の表現方法が時代を超えてイキイキと命を輝かせ続けているということだ。

40年前の雑誌で当時の先端ファッションに身を固めたモデルの写真を見ると、懐かしさと古臭さが絡まって迫ってくる。しかし、その頃に描かれた綿谷のイラストは、今でもカッコいいと感じられる。次々と新しい流行を生み出していくファッションの世界で、写真では「そういえばこういうのあったね」という過去になっていくものが、イラストでは過去のものになっていないのはなぜだろうか。

「オールドとクラシックの違いかなあ。変わっていくのがオールドなら、それでも変わらないのがクラシック。写真はみんな写し出しちゃうけど、イラストは見えたものをすべて描くわけじゃない。本物の中の違和感を取り除いて、そのファッションの持ついいものを抽出して、そこを表現する。細部にはこだわるし、写実画ではあるけれど写真のように描いているわけじゃない。『わ、すごい。写真みたい』って言う人がいるけど、それって僕にはあんまりうれしくないんです」

描くものの本質を掴み出し、それをデフォルメして、もう一度写実に戻して描かれるからこそ、流行りすたりの波を乗り越え時を経ても魅力を保ちうるということなのだろう。

綿谷は、50年代に花開いたアメリカン・イラストレーションのスタイルにしっかりとこだわりつつ、実は一方でその表現世界をさまざまな方向に広げてもいる。一貫して追い求めている緻密にして繊細なイラストをマジタッチ、マンガ風のイラストで流行や世相を描くものをコミカルタッチやバカタッチと呼んで、作風を使い分けている。

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「80年代に、西洋のファッションそのままではなく日本人には日本のファッションをと志すデザイナーたちが登場して、DCブランド、ドメスティックブランドが台頭してきた。今までのようなアイビースタイルを描くのに西洋を手本にしていた絵では対応できなくなったんです。日本人のファッションなのでイラストも日本人にすると、マンガチックに描いた方がリアルに表現できるかなと思って、そこからコミカルタッチが生まれたんです」

受けを狙ったわけではなく、どう表現したらDCブランドのよさが伝わるかと考えた末にこの作風になったという。それを編集者が綿谷の新しい表現方法として面白がった結果、コミカルタッチのルポルタージュやイラスト付きのコラムなどが生まれた。DCブランドのための作風が、「コンサバお洒落妄想図鑑」「苦悶式ちょっこし夜遊び学習帳」「ナウのれん」など、ちょっとシニカルで面白い連載へとつながったわけだ。

その中には、あまりに奇をてらった着こなしや、流行にいっせいになびく風潮へのちょっと辛口な綿谷の嘆きも時折垣間見える。

たとえば、何でもかんでも素足履きする風潮に、スコットランドの伝統舞踏靴のギリーシューズまでも素足履きして縞縞に日焼けした足のイラストとともに「ギリ—ブローグの素足履きは禁止します!」。さらに、「本来の履き方を理解した上で履き崩すからカッコいいのだ」と耳の痛くなるひと言が添えられる。

「基本をわかった上で崩すのと単に崩すのとでは違います。外しワザだと気取っても、単なる外れだろうというのもありますから」

ファッションへの愛情が言葉の端々から伝わってくる。キャンプ、狩猟、夜の街探訪、バーの独り飲みなど十年周期で変わるという自身の趣味も、ファッションイラストレーションの背景のために生かされている。もちろんスマホも駆使している。

「絵を描く前にそのポーズで写真を撮るんです。顔はいろいろな写真を参考に描けますが、服のどこにどんな皺ができるか、足を組んだ時ズボンはどのくらい上がるかなどを知るために、ポーズは自撮りします。前は現像に出す時間が惜しくてポラロイドで撮ってもらっていたので、スマホはアルバイトを1人雇っているくらい助かります」

最後に聞きたいのは、カジュアルな服装が今イチ決まらない日本の男性へのアドバイス。

「スーツはある程度法則がありますが、素の自分が出るカジュアルでお洒落に見せるのは難しい。一番考えるところです。まず、小さいところ、細かいところに気を使うことでしょうかね。靴下とか時計とかハンカチとか。靴下なんかけっこう目立って、お金をかけずにお洒落に見えるアイテムだと思いますよ」

意外に目につくのが実は靴下。チラッと見えた靴下がたるんでいたり、ヨレヨレだったり、色が浮いていたりしたら……細部にこそお洒落の神は宿るということか。どうせ見えないからなどとゆめゆめご油断召されるな。肝に銘じておこう。

南谷真鈴(みなみやまりん)。21歳。早稲田大学政治経済学部2年。ウエービーなロングヘアにコーラルピンクのウインドブレーカーのスポーティーな装いが、都心の公園の緑に華やかに映える。この若い女性が、日本人最年少の19歳でエベレスト登頂に成功し、その2カ月後に日本人最年少、女性では世界最年少で7大陸最高峰登頂も達成、さらに南極点、北極点到達を加えた探険家グランドスラムを世界最年少の20歳で達成したと聞いたら、道行く人はどんな反応を示すのだろうか……。偉業を知っていてさえ、記録達成までの過酷さと目の前の都会的な雰囲気の漂う女子大生の間の落差を乗り越えないと、南谷真鈴の像が結べないよ

阿部吉泰=写真

◆「ひととき」2019年3月号より

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