衰退する日本で、商社だけがなぜ「勝ち組」になれたのか

衰退する日本で、商社だけがなぜ「勝ち組」になれたのか

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/09/25
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三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅。多少でもビジネスに関係する日本人でこれら総合商社の名前を知らない人はほとんどいないはずだ。では、その仕事の実態はどれくらい知っているだろうか。

ベテランのビジネスパーソンほど、実は商社の仕事の実態を知らなかったりする。それは商社各社が近年、大きく「稼ぎ方」を変えたからだ。その結果、総合商社の利益は大きく拡大した。なぜ彼らだけが「勝てた」のだろうか。

三井物産に30年勤務し、『ふしぎな総合商社』を上梓した小林敬幸氏は、その秘密は商社業界が味わった「挫折」にこそあると言う。

5社が「純利益1000億円クラブ」入り

総合商社は、知られざる「ポストバブルの勝ち組」だ。五商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅)の連結純利益(税後利益)の平均をみると、1995年から2000年は赤字なのに、そこから2008年の約3000億円(1社1期当たり)まで右肩上がりで急成長する。それ以後、概ね数千億円の利益をだしており、これはバブル発生前と比べても10倍以上の規模だ。

直近10年の1期当たり純利益平均が1000億円をこえる日本企業は、2017年時点で30社ある。この「1000億円クラブ」に、商社業界からは3年連続で5社が入っている。

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ポストバブルにおいて、ファーストリテイリングのように特別優良な1社が急成長する例はあるが、業界上位5社がこれだけ収益を拡大しているのは、商社業界だけだろう。業界5位の丸紅も2007年には、連結純利益1000億円を超えている。

これを「資源バブル」のおかげだと説明するのは、早計にすぎる。資源ビジネスの収益依存度が高いのは、上位5社のうち三菱商事、三井物産の2社だけにすぎない。

2000年代の商社の急成長は、特定の商品分野が成長したというよりも、商社が稼ぎ方を大きく変えたことによって実現した。従来の売買仲介型ビジネスから事業投資型ビジネスに変わったからだ。それも、資源の輸入、工業製品の輸出、新規事業の育成という従来の商社の全分野で、稼ぎ方を変えていった。これは、「業態変革」「ビジネストランスフォーメーション」「ビジネスモデルの変更」の稀有な成功例と言えるだろう。

この「稼ぎ方」の変化を象徴するのが、毎年5月の決算発表のシーズンに新聞に掲載される商社の順位の指標だ。私が三井物産に入社した1986年では売上高の順に並べられていた。今では連結純利益の順に並べて報告されている。

私は30年前、新入社員で経理部署に配属された3日目に、「こんな売上高の計上競争には意味がない」と業務日誌に書いた。翌日、人事担当の次長さんから赤のボールペンでノート1ページにわたってコメントがついて返されたのが、懐かしく思い出される。

今は商社間でも、社内の営業部署間でも、売上高を競う風潮は全くない。新聞の記事でも売上高は記載すらされない。単体決算上の売上高がゼロでも、ボーナス評価が高い営業部があるくらいだ。

総合商社は、このような業態変革を業界各社がみな行ったのがまた珍しい。富士フイルムのように、1社だけで行った業態変革でも「希少なケース」としてMBAのカリキュラムで取り上げられるのに、業界全体が改革に成功したとなれば、世界でも類がないだろう。

しかも、おもしろいのは、業界全体で示し合わせたわけでもなく、誰かが強力なリーダーシップを発揮したわけでもない点だ。「ラーメンからミサイルまで」といわれる多岐にわたる商品担当の各現場から、一斉にボトムアップ型で変革されている。

「早ければ明日、潰れるかも」

今度上梓した『ふしぎな総合商社』では、商社がどう変わったのか、今、実際どういう仕事をしているのか、書こうとした。

そういう説明を同年代の金融系のビジネスパーソンにしていたら、ぽつりと言われた。

「どうして商社だけが変われたんだろう。私が最初に勤めた日系大手証券会社でも、変わらなきゃ、変わらなきゃってずっと言っていた。それなのに、全く変われず、今はこのざまだものね」

確かに、日本のほとんどの業界では、バブル崩壊以後経営不振になりながらも内部変革が進まず、破綻する企業や吸収・合併が続出した。しかし商社業界だけは、1987年における大手5社が、30年後の今まで吸収・合併もなく名前も変わらず、収益を10倍にできた。

私はそのときこの本の原稿を読んでもらった、元三菱商事の社員(1990年代入社)の感想を思い出した。

「いやあ、原稿読ませていただいて、入社当時の会社の雰囲気をまざまざと思い出しましたよ。ほんと、老いも若きも、できる人もダメな人も、みんなこのままでは、早ければ明日にでも、粘っても5年以内に会社が潰れるという危機意識がありました。それが新入社員にもビンビン伝わってきて、ビックリしました」

業界のリーディングカンパニーの三菱商事ですらそうであった。確かに、1990年代に商社にいた人なら誰しも、そのときの真剣に「ヤバイ」感じは、今でも思い出せるだろう。年頭の社長の辞に出てくる「危機意識をもって」という言葉が甘っちょろく思えるほど、末端の現場は、わが身の危険を感じていた。

「存在意義の否定」ほど辛いものはない

この時の商社マンが持っていた危機意識は、他の変われなかった日本の業界、例えば、銀行や証券会社が持っていた危機意識とは、言葉は同じでも次元の違うものではなかったか。一言でいえば、「内部で感じる危機意識」と「外から刻みこまれる危機意識」との違いだ。

1990年代の商社で末端の現場が持っていたのは、会社が潰れ、自分の従事している仕事が社会からなくなり、自らの存在意義も否定されるような、外から刻み込まれる自分の「存在そのもの」への危機意識である。

一方で銀行・証券業界が持っていたのは、業界内での地位が下がり、自分の出世に影響し、自分たちのボーナスが下がるというような「内側の論理」と感覚における危機意識ーーつまり、せいぜい内輪の競争で負けることに対する危機意識ではなかったか。それは、心の奥底では、会社が潰れるとか、自分の仕事が社会からなくなるというほどの深刻なものではなかったようにみえる。

大蔵省は、バブル崩壊直後は「銀行は一行も潰さない」と言っていたし、過去の歴史からみても、「銀行、証券は潰れない」と言われていた。たとえ、会社が吸収合併されたり倒産となっても、銀行マン、証券マンという職業はなくならないと考えられていた(その後、ネット証券が普及し、証券営業マンの必要性は大きく減少してしまったが)。

社長の号泣で有名になった山一証券破綻の記者会見が行われる数日前、サッカー日本代表がジョホールバルでワールドカップ初出場を決めた。そのとき、山一証券の社員は皆で集まって喜び騒いでいたという。社員は、会社が存亡の危機にさらされているとは一切知らされていなかったし、よもやと思ったに違いない。確かに、会見での社長の言葉の通り「社員は悪くない」。しかし、彼らが商社ほどの危機意識を現場末端でも持っていなかったのは、否定できないだろう。

商社では、1970年代のオイル・ショック、80年代からの円高、90年代のバブル崩壊を経て、資源の輸入、工業製品の輸出、新規事業の育成といった様々な面で、どの事業分野でも従来の機能を果たせなくなった。

それに伴って現場では、取引先から面と向かって「あなた方の機能は何か」と問われ、「商社を商流から外す」という宣告を受けるようになり、担当するビジネスの利益率もみるみる下がっていった。商社の社員は、自分の会社が潰れる可能性を感じ、自分の仕事の存続の危機を覚えた。そういう危機意識を、毎日社外の人と接する仕事の中で心に刻み込んでいたのである。

「商社衰退論」ならまだしも、「商社不要論」は身にこたえる。それもお客に面と向かって言われればなおさらである。

三井物産でも、私も含めて少なからぬ社員が、商業の機能や商人の存在意義について、くどくどと考え込んだものである。今振り返ると、そこまで商社と商社の従業員は追いつめられていた。

こうした強烈な、そして、全社員に徹底した「外から刻み込まれる危機意識」こそが、変化への原動力になったのは間違いない。それが、銀行、証券などのせいぜい「内部で感じる危機意識」しか持てずに変われなかった業界との最大の違いではないだろうか。

そうして商社は、七転八倒の試行錯誤を繰り返しながら、従来の売買仲介型ビジネスから脱却し、事業投資型のビジネスを取り入れていく。

例えば資源の分野では、原油・石油製品の輸入売買ビジネスを改革し、自ら油田・天然ガス田の開発・運営まで行うようになった。工業分野でも、プラントの輸出ビジネスが、円高で受注できなくなるという苦境の中で変革を迫られ、徴収した電力料金を継続的な収入源とする電力事業の建設・運営まで行うようになった。

こうして、資源の安定調達、工業の海外進出などに自らの機能を見出し、商社は儲け方を大きく変えていった。

売上高は気にしない

商社が、業態を変革し収益を10倍増にできたのは、業績評価の基準を単体売上高から連結純利益(税後利益)に変えたことが間接的に後押ししたと考えられる。

つまり、1980年代までは新聞での評価、商社同士の評価、そして社内の評価と全てにおいて売上高競争に狂奔していたのに、今では売上は気にせず、連結税後利益(純利益)が基準になっている。社内でも課のレベルまで連結税後利益を計算して、評価するようになった。実際に、売上がゼロでも連結税後利益の数字が良いので、いいボーナスをもらっている営業部も多い。

これも、社員に商社の存在そのものへの危機意識があったからこそ、実務で受け入れられてできた変革だろう。

売上の数字というのは、業界内のその会社の地位、ある事業本部の社内での地位、ある人の個人的な評価など、競争における優劣をつけるのには、集計もしやすく分かりやすい。しかし、そればかりを追求していて、利益が伸びなくなってしまうと会社全体の生存が危うくなってしまう。

1990年代の商社は、生存そのものが怪しくなるなかで、現場も含めて、ばかげた売上高競争などやっていられなくなった。もはや業界内の地位を争うよりも、会社の存続を確保する方が大切である。業界内競争、社内競争に地道をあげる余裕が、なくなってしまったともいえる。

会社の存続という点では、売上よりも、当期純利益(税後利益)がよほど重要で、存続可否に直結している。今回の東芝の件をみても分かるように、日本の上場企業が存続しつづけるには、監査を受けた有価証券報告書で提出する当期純利益の数字が、会社の存続に最も直接的に影響を与えるのだ。

純利益の算出は複雑な計算を要するにもかかわらず、商社が末端の現場レベルでもそれを指標として受け入れたのは、やはり従業員が「存在が否定される危機意識」を持っていたからだ。これが、デュポンやGEなどが提案するような、こじゃれた経営指標が現場に定着しないのに、商社において連結税後利益が現場に定着した理由ではないだろうか。

損失は「早めに、大きめに、明らかに」

1990年代のバブル崩壊の後処理に追われるなかで、商社社員の考え方が、「競争に負ける危機意識」から「存続が否定される危機意識」に変化していったことは、近年の商社の損失処理の手際のよさにもつながっているように思われる。

バブル崩壊後の破綻した金融機関や、最近、破綻した(元)優良企業を、商社との比較でみていると、失敗をした後の処理がどうも下手にみえる。ずっと何年も明るみにせず、歴代社長につないでいた損失案件が、とうとう破裂してしまって会社が潰れるという例が多い。

一方で、各商社は、数年に一度巨額の償却案件を出し、大きな損失をだす。それでも翌年には、従前以上の利益水準に戻してくる。最近の商社の損失処理は、早めに大きめに明らかにする。

その際、業界内での地位が危ないとか、会社あるいは個人が競争に負けるとかは、かまっていられない。損失事件が起きても生き残るためには、「早めに、大きめに、明らかに」が最善の道だと、社長から末端現場まで苦い経験の末に骨身にしみて理解しているからだ。

だから、社長交代のときに秘密の損失を引き継いだりせず、社長が勇退したときでも巨額の減損を計上することさえよくみられる。こういう社長は、最終年に花道として好業績をだす社長より、社員からは好意的にみられる。これは、商社が、長年にわたって損失案件をたくさん処理しているという、あまり自慢できない歴史故であるが。

結局、商社が「ポストバブルの勝ち組」になれたのは、これまで繰り返してきた通り、現場末端の社員が、客先と会う中で毎日のように深刻な危機意識を心に刻み込んだからである。

その危機意識は、競争を志向した浅い危機意識ではなく、存在を志向する、存在そのものへの深刻な危機意識であった。この外から刻み込まれる、存在そのものへの強い危機意識は、業績評価の基準変更をきっちりと定着させ、損失処理への対応力を増し、全社における業態の変革と急成長を生み出したのである。

「課題先進業界」である商社の経験を、「変わらなきゃ、変わらなきゃ」と思いながらも変われない官民の組織変革に活かせないだろうか。

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小林敬幸(こばやし・たかゆき)1962年生まれ。1986年東京大学法学部卒業後、2016年まで30年間、三井物産株式会社で勤務。「お台場の観覧車」、ライフネット生命保険の起業、リクルート社との資本業務提携などを担当。著書に『ビジネスをつくる仕事』(講談社現代新書)、『自分の頭で判断する技術』(角川書店)など。現在、日系大手メーカーに勤務し、IoT領域における新規事業を担当。

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