「これはダメ...」朝日新聞の「令嬢」が、無骨な記者だけに見せた素顔

「これはダメ...」朝日新聞の「令嬢」が、無骨な記者だけに見せた素顔

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/03/27
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創業家と経営陣の長きにわたる因縁に終止符を打つため、敏腕記者が「最後の社主」のもとへ送りこまれた。彼が見たのは、四半世紀にわたり一人で創業家を背負い、運命に翻弄された女性の姿だった。発売中の『週刊現代』が特集する。

秘書という名のお目付役

3月3日午前0時12分、朝日新聞創業者・村山龍平氏の孫で、朝日新聞社主の村山美知子氏(享年99)が肺炎で亡くなった。

「社主」とは聞き慣れないが、創業家である村山家が代々務める名誉職で、いわば朝日新聞における「象徴天皇」のようなものである。会社の行事への出席、挨拶など代表としての儀礼的な役割を担うが、編集方針に干渉することは許されない。

しかし、朝日新聞の経営陣にとって社主は「目の上のたんこぶ」であった。美知子氏は生前116万もの朝日新聞社株を保有していたからだ。

これは朝日新聞社(非上場)の全株式の36・4%にあたる。ひとたび美知子氏が意見を口にすれば、経営陣はそれを無視することができなかったのだ。

朝日新聞の歴代社長は手を替え品を替え、美知子氏に持ち株を手放すよう説得を繰り返してきた。地道な「懐柔作戦」も続けられた。一人で暮らす美知子氏のもとに、朝日からお目付役として「秘書係」がつけられてきたのもそのためだ。

「秘書係は代々、大阪本社の社会部出身者が多い。私も事件記者が長かったため、推薦されたのだと思います」

こう語るのは'07年春に秘書係に抜擢され、都合7年、美知子氏に仕えた樋田毅氏(67歳)だ。

朝日を退社した樋田氏が3月26日に上梓した『最後の社主』(講談社)が、朝日幹部やOBに衝撃を与えている。

謎に包まれた美知子氏の半生、朝日新聞と社主の水面下の攻防が赤裸々に綴られており、対応をめぐって社内は騒然としているという。同書と樋田氏の証言をもとに真相に迫ろう。

〈庭園と合わせ約六〇〇〇坪の広壮な邸宅。

一〇〇〇本を超える木立に囲まれ、そびえ立つ洋館は、西洋貴族の屋敷のごとき偉容を誇っている。

もう一棟は六〇畳敷の大広間と高楼を併せもった日本館で、その規模の大きさと豪華さに、度肝を抜かれた。通路には無造作に美術品が置かれ、壁には名画が飾られていた〉(以下、〈 〉内は『最後の社主』より引用)

神戸・御影のこの大邸宅で、美知子氏は洋館と日本館に挟まれた居住棟に住んでいた。「最後の深窓の令嬢」といわれ、きらびやかな生活を送っていた美知子氏。樋田氏が当時を振り返る。

「朝に食べるパンの銘柄、焼き具合、紅茶の出し方もそれぞれ決まっていました。いつもと異なると、『これはダメ』とおっしゃる。昼と夜は専属の料理人が作りますが、毎食、少しずつ10品ほど召し上がっていました」

株を巡る駆け引き

'07年4月1日の初出勤日に、樋田氏が美知子氏のもとを訪れ挨拶をしようとすると、付き添いの女性から思わぬ言葉が返って来た。

〈「ご用がとくになければ、お会いできないとのことです」〉

いくらお世話役といっても、そう簡単には朝日新聞社の社主様には会えないのだ。

「今思えば、こちらの根性の据わり具合を見る、一種の儀式だったのではないかと思います」(以下、「」内は樋田氏)

しかし、これでは仕事にならない。なぜなら秘書係はただのお世話係ではなかったからだ。樋田氏の真の任務は社主の信頼を勝ち得て、村山家の内情を探ることにあった。社主の秘書係を元事件記者が務めるのには理由があったのだ。

その日から樋田氏は、「夜討ち・朝駆け」のごとく、朝日発行の週刊誌を届けるなど、無理やりでも用事を見つけ出して、美知子氏のもとを訪れた。

「美知子さんは脊椎の疲労骨折の手術をされた影響で、車に乗ると道路の段差の振動で腰や背中に痛みが走った。そこで意識が痛みに向かないように、毎回たくさんの話題を用意して、ひたすら喋りかけました」

必死の献身が実を結び、樋田氏は次第に美知子氏の信頼を得ていく。

とはいえ、そう簡単にことは進まない。朝日新聞社と村山家には長きにわたる因縁があった。

'64年に美知子氏の父で朝日社長を務めていた村山長挙氏が当時の広岡知男取締役らによって社長を解任され、翌年には取締役も解任されて「社主」にまつり上げられた。この「村山騒動」によって、村山家と経営陣には深い遺恨が刻まれた。

'77年、長挙氏が死去し、美知子氏が社主を引き継いでも、冷え切った関係は変わらなかった。'99年に就任した箱島信一社長の時代には、断絶と言っていいほど関係が悪化していたという。

そんな折、朝日新聞の経営陣を震撼させる事件が起きる。美知子氏の甥である村山恭平氏が雑誌のインタビューで、朝日新聞の株式を外資に売却することをほのめかすような発言をしたのだ。

美知子氏には子どもがなく、いずれは村山家の株式のすべてを恭平氏が相続する可能性があった。

「のちに恭平さんは、株を外資に売却するつもりはなかったと明確に否定しておられます。

とはいえ、仮に美知子さんの所有していた株式を全て恭平さんが相続する事態になったら、巨額の相続税の負担を避けるために、株式の相当程度を手放すこともありえたと思います。譲渡先として外資が名乗り出た可能性はゼロではないでしょう」

恭平氏はその後も、外資系企業の幹部を村山家の先祖祭に呼ぶなど、朝日経営陣を揺さぶるような行動を繰り返した。そのたびに美知子氏は社の幹部に、「恭平は社主の器ではない」と漏らしていたという。

朝日新聞が外資に乗っ取られるようなことは何としても避けなければならない。樋田氏は自らの「仕事」を遂行した。

そして、事態は急転する。秋山耿太郎社長(当時)が顧問弁護士や側近を通じて繰り返し美知子氏を説得し、曲折の末、'08年6月、ついに美知子氏が保有する株のおよそ3分の2以上を手放すことで合意に至った。

譲渡先は、テレビ朝日や美術館など朝日新聞社の関連団体であった。

重度の不整脈に悩まされ、ペースメーカーの埋め込み手術を控えていたことも決断をあと押ししたかもしれない。美知子氏は手術前にこう語っていたという。

〈「手術がうまくいかなかった時には、生還できないかもしれないのよ」
「入院の前にどうしても決めなければ……」〉

この結果、美知子氏のもとに残った株式は11・02%。村山家の持ち株をすべて合わせても20%に届かず、朝日新聞社の経営に深刻な影響を及ぼすことのない株数になった。歴代の朝日新聞社経営陣の宿願が果たされたのである。

こうして朝日新聞から課せられた仕事を完璧にこなした樋田氏は秘書係を離れた。

消された「養子縁組」話

もう戻ることはないだろう、そう考えた矢先の'12年3月、樋田氏は再び、美知子氏のもとに連れ戻されることになる。今度は美知子氏の養子探しの手伝いを任されたのだ。

「朝日新聞社を創業した祖父母を尊敬し、両親を心から慕っていた美知子さんは、養子を立ててでも、村山家の存続を心の底から願っていました」

経営陣も当初は美知子氏の希望に沿うよう養子探しを後押しした。しかし、養子縁組の話が固まってくると経営陣は一転して、うやむやにしようとしたという。

この代限りで「社主」というやっかいな存在を終わらせるためには、養子縁組の話が頓挫したほうが、会社側には好都合だったのかもしれない。

のちに明らかになることだが、秋山社長は美知子氏に持ちかけて遺言書を書かせていたという。それは美知子氏の死後、朝日新聞社の株式を含めた全財産を朝日新聞社関連の美術館に遺贈するという内容だった。

〈このとき、秋山氏は「テレ朝への株式譲渡手続きをスムーズにするためという、どさくさに紛れた感じでの説得だった」とも言っていた〉

樋田氏は〈オレオレ詐欺〉にも似た手段で、強引に株をとりあげた経営陣に憤りを感じたという。

「結果的に会社側は村山家を守りたいという美知子さんの気持ちを踏みにじり、養子を見つける気などなかったのです。決まりかけていた養子縁組の話も消え、そのまま美知子さんは亡くなってしまいました」

樋田氏は美知子氏のこんな姿を綴っている。

〈毎日、朝日新聞の朝刊、夕刊が届くたび、一階応接間にある村山龍平翁など先祖の遺影が並ぶ前に作られた「祭壇」に供えられる。

一時間ほどの「お供え」が終わった後、「書生」と呼ばれていた学生アルバイトが二階に新聞を届ける。美知子社主は「ご苦労様」と言って、おもむろに新聞に目を通すのだった。

「まず、お祖父様、お祖母様、お父様、お母様に新聞を読んでもらうのよ。私は、その後」

社主はそう話していた。朝日新聞社の創業家の当主の務めと心得ていたのだと思う〉

朝日新聞を誰よりも愛していた最後の社主はこの世を去った。一番熱心な読者を、朝日新聞は失ったのかもしれない。

発売中の『週刊現代』ではこのほかにも『あなたの老後資金 今やっておくべきこと』『イタリア 世界一「死者が多い国」の現場から 70歳以上のコロナ感染者は死んでもらうしかない』『羽田「新ルート」の着陸はこんなに危ない』などの特集を掲載している。

「週刊現代」2020年4月4日号より

週刊現代の最新情報は公式Twitter(@WeeklyGendai)で

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