嘘も方便?朝鮮出兵の陣中、戦国大名・鍋島直茂に叱られた小山平五左衛門の答えがコチラ

嘘も方便?朝鮮出兵の陣中、戦国大名・鍋島直茂に叱られた小山平五左衛門の答えがコチラ

  • Japaaan
  • 更新日:2022/06/23
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世の中「噓も方便」とはよく言ったもの。必ずしも事実でないことが、わが身も相手も助けるのはよくあることです。

もちろんあまり嘘ばかりでは信頼されなくなってしまいますが、嘘によって却って知恵を示し、より信頼を高めることもあるというもの(もちろん、ある程度の信頼関係があることが前提となります)。

今回は江戸時代の武士道バイブルとして知られる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、こんなエピソードを紹介。

主人公の小山平五左衛門(おやま へいござゑもん)、一体どんな嘘をついてみせるのでしょうか。

誰が最初に母衣を外した?主君の詰問に平五左衛門の答えは

今は昔し、戦国大名の鍋島直茂(なべしま なおしげ)が高麗へ出陣していた時のこと。陣中はどうかと見渡したところ、遠くで母衣武者たちが母衣を外してくつろいでいるのを発見しました。

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中央の騎馬武者が背負っている袋みたいなのが母衣(ほろ)。背後からの攻撃を和らげると共に、特別な立場を示す意味もあった(イメージ)

「陣中で74279を外すとは、戦場での心得がなっておらん。こっぴどくりつけてやるから、最初に母衣を外した者を連れて参れ!」

直茂は伝令に命じて母衣武者たちに確認させます。さぁ困りました。誰だって叱られるのは嫌なものです。

「困ったな、どうしたものか……」

「最初に外したのはそなたであろう、早く行って参れ」

「何を申すか、そなたであろう」

さぁ始まりました責任のなすりつけ合い。日ごろの友情もどこへやら、そなたそなたの大合唱……すると平五左衛門が言いました。

「そうだ思い出した。ここにいる20名が目と目を見合わせ、『せーの』で一度に母衣を外したのであった。御屋形様にそうお伝えせよ」

「……承知した」

代表で一人が叱られるのはバツが悪い。最初だろうが後だろうが、母衣を外してくつろいだのは皆同じ。ならばみんなで叱られようじゃないか。

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苦笑いする鍋島直茂(イメージ)

果たして、伝令から報告を受けた直茂は苦笑い。

「まったくしょうもないヤツだ。それを申したのは平五じゃな」

「左様にございまする」

「申し伝えよ。『此度は平五の嘘に免じて赦してやる。今後は気を引き締めてかかれ』とな」

「ははあ」

あえて騙されてやった直茂。母衣武者たちは平五左衛門の機転に感謝したことでしょう。

終わりに

四二 小山平五左衛門高麗にて母衣脱ぎ候事 高麗御陣の中、高き所より、直茂公、下を御覧なされ候へば、母衣武者共、皆母衣を脱ぎくつろげ居り申し候。公以ての外御立腹、「陣中にて物具を脱ぐ事不覚悟なり。何がし参つて、母衣を一番に脱ぎ始め候者を承りて参るべし。その締り申し附くべし。」と仰せられ候。御使参り、右の如く申し候へば、何れも驚き、「何と申し上ぐべきや。」と申し候時、小山平五左衛門申し候は、「廿人の母衣武者共、目と目をきつと見合はせ、一度に母衣をはらりと取り申し候。」と申す。御使帰りて申し上げ候へば、直茂公、「にくい者共かな。それは小山平五左衛門が申すべし。」と仰せられ候由。小山は龍造寺右馬太夫殿の子、武勇の人なり。

※『葉隠聞書』第七巻より

以上、小山平五左衛門のエピソードを紹介しました。今回の嘘は単に同僚と自分の身をかばうのみならず、直茂も守ることにつながったのです。

出来れば叱りたくないけれど、叱らねば軍紀が保てない。それを平五左衛門のしょうもない嘘にあえて騙されてやることで、叱らずに済んだのでした。

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その後は(たぶん)母衣を外さずに励んだであろう平五左衛門(イメージ)

ときにこの平五左衛門、龍蔵寺右馬太夫(りゅうぞうじ うまだゆう)の子で武勇にすぐれていたと言い、機転に富んだ文武両道の名将だったと言います。

私欲のためにつく嘘はいけませんが、仲間と主君を守るための嘘は、時として有用であることを教えてくれますね(※線引きが難しいのと、濫用すると信用をなくすため、おすすめはしませんが)。

※参考文献:

古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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