米国の衛星を破壊せよ! ソ連のレーザー砲衛星、打ち上げから35年目の真実

米国の衛星を破壊せよ! ソ連のレーザー砲衛星、打ち上げから35年目の真実

  • マイナビニュース
  • 更新日:2022/06/23
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●その名は「ポーリュス」 “スター・ウォーズ”を戦うために生まれた極秘計画

ロシア、再使用ロケットを開発へ - ソ連時代に生まれた技術が復活

いまから35年前の1987年5月15日、ソビエト連邦(ソ連)は巨大ロケット「エネールギヤ」の初打ち上げに成功した。

その側面には、黒くて長い、禍々しい形状の宇宙機が、外にむき出しの状態で搭載されていた。その名は「ポーリュス(Polyus)」。天体の極を意味する名前とは裏腹に、米国の軍事衛星をレーザー砲で迎撃することを目指し生み出されたものだった。

しかし、ポーリュスは打ち上げ直後に大気圏に再突入し、幸いにもその真価が発揮されることはなかった。そして、その運命をめぐってはいまなおさまざまな説が飛び交っている。

ポーリュスとはどんな宇宙機だったのか、そして打ち上げでいったい何が起きたのだろうか。

ポーリュスとは?

ポーリュスの開発の発端は、1985年7月にさかのぼる。このころ、ソ連の宇宙開発の中心的存在だった科学生産合同(NPO)エネールギヤでは、新型ロケット「エネールギヤ」の開発を進めていた。

エネールギヤは、ソ連版スペースシャトルとも呼ばれる有翼の宇宙往還機「ブラーン」を打ち上げるための巨大ロケットで、地球低軌道に約100tもの強大な打ち上げ能力をもっていた。ロケットエンジンの鬼才、ヴァレンティーン・グルシュコーをはじめ、当時のソ連宇宙開発の技術力を結集させたロケットだった。

そんな中、宇宙ステーション「サリュート」などの開発を手掛けていたサリュート設計局は、エネールギヤの最初に打ち上げに搭載するためのダミー衛星「GVM」を開発することになった。エネールギヤの初飛行にいきなりブラーンを搭載することはリスクがあり、またそもそもブラーンの開発が遅れていたこともあり、ブラーンに近い寸法、質量をもった模型を搭載することにしたのである。

質量100tとはいえ、単なる模型であれば造るのは難しくなかった。しかし、1985年7月に突如、ソ連一般機械製作省は「宇宙実験を行える宇宙船に改造せよ」との指令を出す。その新しい指令の下、ポーリュスには大型宇宙機の宇宙での動作検証のための温度や電力の制御システムの試験、また電離層における地球物理学実験など、計10個の実験機器が搭載されることになったほか、軌道変更のためのスラスター、太陽電池なども搭載されることになった。

かくして1987年5月15日、地球物理学実験を行うためのポーリュスを積み、エネールギヤが打ち上げられた――というのが、1990年代までロシアが公式に話していた歴史だった。

しかし、かねてよりポーリュスには「レーザー砲衛星の試験機」というもうひとつの顔があると言われていた。そして2005年ごろから、ロシアも公式にそれを認めるようになった。

レーザー砲を搭載した宇宙ステーション「スキーフ」

宇宙の軍事利用は、宇宙開発の黎明期から大きな目的のひとつだった。有人宇宙飛行や月・火星探査といった華々しい宇宙開発の裏で、軍事衛星の開発、打ち上げも粛々と進められた。むしろ、打ち上げられた衛星の数やその予算規模からすれば、軍事利用こそ宇宙開発の主役であるといえるかもしれない。

当初こそ、敵の軍事基地などをスパイする偵察衛星から始まったが、1950年代には早くも敵の軍事衛星を迎撃するための衛星攻撃兵器の研究が始まった。ソ連では1961年に、「イストリビーチェリ・スプートニク(戦闘型衛星)」、略して「IS」と呼ばれる、敵の衛星の近くで自爆し、発生した破片をぶつけて破壊する衛星の開発がスタートし、1968年10月20日には模擬標的の迎撃試験に成功している。

並行して1970年代には、宇宙ステーションから、ミサイルの弾頭のような迎撃体(キネティック弾頭)やレーザーを発射する、戦闘型宇宙ステーションの研究が始まり、そして1981年には、「スキーフ」と呼ばれるレーザー砲を積んだ宇宙ステーションの開発が始まった。輸送機を使った空中でのレーザー発射実験が繰り返し行われたほか、1983年には米国が「戦略防衛構想」、別名「スター・ウォーズ計画」を発表。多数の衛星からミサイルやレーザーを発射してソ連の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を迎撃すると謳ったこともあり、その対抗策としてスキーフには多くの期待が寄せられた。

その開発の主体となったのはサリュート設計局だった。そして同社は、試験機「スキーフD」の開発に着手する。

その傍らで、エネールギヤ用のダミー衛星の開発も進めており、そして前述のように、このダミー衛星は宇宙実験が行えるポーリュスの開発へと計画が変更された。

それを好機と見たソ連当局は、このポーリュスに、スキーフDの技術実証機としての役割をもたせることを決定。かくして、ポーリュスは宇宙実験とレーザー砲の試験を行う宇宙機、別名「スキーフDM」として開発されることになったのである。

通常、新しい宇宙機の開発や製造、試験には、少なくとも5年がかかる。しかし、このとき設定された打ち上げ目標は1986年の秋、つまり約1年しかなかった。そこでサリュート設計局は、過去に開発した宇宙ステーションのモジュールの設計や、打ち上げを待つ他の衛星の装置など、手元にあるさまざまな設計図や部品を活用し、組み立てることになった。

このためポーリュスは、サリュート宇宙ステーションや、同ステーションに物資を補給するために開発されていたTKS宇宙船、宇宙ステーション「ミール」、開発中のブラーン宇宙船の要素、そしてサリュートやミールのモジュールなどを打ち上げていた「プロトンK」ロケットの設計や部品を寄せ集めるようにして造られている。

もっとも、肝心のレーザー砲については開発が間に合わなかったことから搭載はされなかった。ただ、誘導用の低出力レーザーやレーダーアンテナ、光学センサー、射撃試験で使う放出型のターゲットなど、将来の実用化に向け、レーザー砲本体以外の装備はほぼ搭載されていた。

こうして完成したポーリュスは、全長約37m、直径4.1m、質量約80tという、この当時としては世界最大の、そして最も忌まわしい宇宙機となった。

●ゴルバチョフの良心が救った宇宙戦争の危機と、ポーリュスの最期
打ち上げと失敗

当初、ポーリュスを積んだエネールギヤの打ち上げは1986年9月に予定されていた。サリュート設計局は、この前代未聞の宇宙機をわずか1年で開発するという困難な仕事をやり遂げ、1986年7月までに機体をバイコヌール宇宙基地へ納入し終えた。

だが、エネールギヤや発射施設などの開発の遅れにより打ち上げは延期を重ね、1987年5月12日に設定されることとなった。

そんな折、バイコヌール宇宙基地に、当時の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ氏が視察に訪れ、基地と打ち上げを見学することが決まった。しかし、エネールギヤにとって初めての打ち上げであるため、最高指導者の目の前で失敗する可能性があること、またゴルバチョフ氏が立ち会うというプレッシャーも打ち上げ作業の障害となることなどから、打ち上げ委員会は技術的問題を口実に、打ち上げを5月15日へ延期することを決定した。

ゴルバチョフ氏は11日にバイコヌール宇宙基地に到着。12日にエネールギヤとポーリュス、各施設を訪問したのち、打ち上げを見届けることなく、14日にバイコヌールを去った。

2022年5月15日に、ロシア国営宇宙企業ロスコスモスのドミートリィ・ロゴージン総裁が、ポーリュスの打ち上げ35周年を祝ったメッセージの中では、次のように語られている。

「当時の関係者やバイコヌールの古老から聞いた話では、ゴルバチョフ氏はロケット屋(関係者や技術者)から不評を買っており、打ち上げを見に来るのを嫌い、故障を装って打ち上げを予備日へ延期したそうです。そして、ゴルバチョフ氏は延期を待たずに、帽子をかぶってモスクワへ帰ってしまいました」。

頭痛の種がなくなった技術者や関係者は安堵のため息をつき、打ち上げ準備に戻った。そしてモスクワ時間5月15日21時30分、ポーリュスを積んだエネールギヤは、バイコヌール宇宙基地から離昇した。

機体はやや傾きはしたものの、すぐに姿勢を立て直し上昇。まず側面に装着された4基の第1段機体が燃焼を終えて分離し、続いて中央の第2段が燃焼を続けた。エネールギヤは完璧に飛行し、離昇から460秒後、高度110kmでポーリュスを分離した。

この時点でポーリュスは、遠地点高度(地表から最も遠い点)155km、近地点高度(地表に最も近い点)マイナス15kmというサブオービタル軌道に入っていた。そのため、ポーリュスは分離直後にロケットエンジンを噴射し、自らの力で衛星軌道に乗ることになっていた。

この飛行プロファイルは、将来的にブラーンを打ち上げることを見越したもので、いきなり軌道に乗らず、いったんサブオービタル飛行をすることで、仮にスラスターが故障し動かなかった場合でも、自然に大気圏に再突入して帰還できるようにしている。こうした安全策は米国のスペースシャトルでも採用されていた。

ポーリュスはまた、設計上の都合でメイン・エンジンが前向きについていた。つまり、軌道速度を出すためには、まず機体を反転させたうえでメイン・エンジンを噴射するという、ややアクロバティックな運用を行う必要があった。

エネールギヤの第2段から分離されたポーリュスは、計画どおり姿勢制御スラスターを噴射し、機体を反転させ始めた。ところが、180度反転したところでもスラスターが止まらず、機体は回転を始めた。その状態でメイン・エンジンを噴射したが、当然軌道速度には到達できなかった。やがてポーリュスは、サブオービタル飛行のまま太平洋上で大気圏に再突入し、落下することとなった。

打ち上げ後、ソ連はタス通信を通じ、「1987年5月15日、ソ連は新型の多目的ロケット「エネールギヤ」の打ち上げを行った。このロケットには、推進システムを備えたペイロードを搭載していた。このペイロードはロケットからの分離後、エンジンを使って地球周回軌道に乗る計画だった。しかし、搭載システムの故障により、軌道に乗ることができず、太平洋に墜落した」と発表した。また別の発表では、このペイロードは「非軍事目的の地球物理学実験用に開発した『ポーリュス』」と紹介された。

失敗を隠すことの多かったソ連にしては、珍しく失敗を認める内容だが、これはロケットもペイロードもあまりに巨大であり、米国の軍事衛星や諜報機関などから隠し通すことが難しかったためと考えられる。

ゴルバチョフの良心と、ポーリュスの最期

ポーリュスをめぐっては、長らく2つの謎があった。ひとつは、「本当にレーザー砲が搭載されていたのか」ということ。もうひとつは、「その最期が本当にトラブルによるものだったのか」ということである。

レーザー砲の搭載の有無に関しては、現在では「搭載されていなかった」というのが通説となっている。

ソ連はたしかにスキーフ、つまりレーザー砲を積んだ宇宙機の計画を進めており、そしてポーリュスことスキーフDMがその試験機、試作機として造られていたのも事実である。しかし、土壇場で待ったをかけた人物がいる。打ち上げ直前にバイコヌール宇宙基地にも訪れたゴルバチョフ氏である。

ゴルバチョフ氏は1985年に、「宇宙は平和に役立たなければならない」とする論文を発表するなど、自国の宇宙兵器も、もちろん米国の戦略防衛構想にも、宇宙の軍事利用すべてに公然と反対していた。

これを受け、ポーリュスは打ち上げの3か月前の1987年2月に、誘導用の低出力レーザーやレーダー、光学センサーなどが取り外されることとなった。ゴルバチョフ氏がポーリュスの打ち上げ直前にバイコヌール宇宙基地を視察に訪れたのも、ポーリュスに兵器が搭載されていないかを自ら確認するためであり、さらに現地でも宇宙の軍事利用に反対する演説を行っている。

このため、実際に打ち上げられたポーリュスの内部に搭載されていたのは、無害な10個の地球物理学実験装置だけだった。つまり、長らくソ連・ロシアが、ポーリュスを「非軍事目的の地球物理学実験用」としていたのは、そこに至る経緯はともかく、事実ではあったのである。

もうひとつのポーリュスの最期をめぐっては、「単純にトラブルだった」という説以外に、「ゴルバチョフ氏の命令で意図的に墜落させた」という説もある。曰く、ゴルバチョフ氏はポーリュスがレーザー砲衛星の試験機だとは知らされておらず、打ち上げ後に初めて知り、激怒。急ぎ落下させたというものである。

現在では、ポーリュスの墜落の理由は、単純に技術的なトラブルだったというのが通説となっている。このことは、ロゴージン氏も言及している。

「ポーリュスは故障し、失敗に終わったものの、ソ連の宇宙工学にとっては大きな成功でした」。

エネールギヤ・ポーリュスの打ち上げから約1年半後の1988年11月15日、エネールギヤは有翼の宇宙往還機ブラーンの打ち上げを成功させ、その信頼性をあらためて証明した。ブラーンもまた、無人での宇宙飛行、そして地球への帰還を見事に成功させた。

しかし、1991年にはソ連が解体。その後、エネールギヤもブラーンも計画は廃止となった。2002年には、ブラーンを保管していた格納庫の屋根が崩壊。ブラーンは瓦礫と化し、二度と飛ぶことはできなくなった。

現在では、バイコヌール宇宙基地でエネールギヤの軽量型であるエネールギヤMのモックアップが保管されているほか、同基地やドイツ・シュパイアー技術博物館など各地で、ブラーンの未完成機や試験モデル、モックアップが保管、展示されている。

ソ連の宇宙開発にとっての最後の徒花は、いまなおその花びらをわずかに残している。

○参考文献

・17F19DM Skif-DM Polyus
・http://www.buran.ru/htm/cargo.htm
・Polyus Description - Buran Space Shuttle - Energia Rocket Launcher
・https://twitter.com/Rogozin

鳥嶋真也 とりしましんや

著者プロフィール 宇宙開発評論家、宇宙開発史家。宇宙作家クラブ会員。 宇宙開発や天文学における最新ニュースから歴史まで、宇宙にまつわる様々な物事を対象に、取材や研究、記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。 この著者の記事一覧はこちら

鳥嶋真也

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